むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

大田原城(栃木県)

2019年05月10日 | 百名城以外の城
大田原城おおたわらじょう
別名龍城・龍体城
構造平山城
築城者大田原資清
築城年代1545年(天文14年)
指定史跡市指定史跡
場所大田原市城山 地図

水口館から本拠地を移し大田原城を築き、廃藩置県に至るまで続きました。
1600年の関ヶ原の戦いの際は徳川家康が奥羽の情勢を重んじて城の改修を命じています。
徳川家光の代になると城中に常時玄米を貯蔵、奥州の鎮護に備えていました。
戊辰戦争では新政府軍の軍事拠点となり、旧幕府軍による攻撃を受けて三の丸が炎上しました。
明治になると城は兵部省に引き渡され取り壊されましたが、長野県出身の渡辺国武の所有となり
子である渡辺千冬により当時の大田原町に寄贈され、龍城公園として整備され現在に至ります。



駐車場
駐車場は馬場にあります。


三日月堀
三日月というよりはくの字になったわずかに残る水堀です。


坂下門
大手にある枡形に付けられた坂下門は守りの固い構造になっています。


枡形

枡形状の土塁が今も残っています。



この坂を登ると二の丸を経て本丸へ。
左手に進むと北曲輪へと回り込んでいます。


千石倉跡

二の丸への坂の中間、右手に千石倉跡があります。
ここは「城附御詰米蔵」とされ、徳川幕府の命により幕府の米を詰めさせ
軍事的な重要拠点とされていました。


二の丸跡

二の丸には長屋二棟と弾薬庫がありました。


硝煙跡

銃弾や火薬が保管されていた場所で、建物は土蔵造りでした。


台門跡
かつてはこの城唯一の石垣を用いた重層門がありました。
この門をくぐると本丸です。


本丸跡

本丸には諸役所、武器庫、納戸庫がありました。


本丸土塁

物見も兼ねた高い土塁は、外から中が見えないほどの高さがあります。


眺望

本丸土塁の上の眺めはよろし。



本丸の中の様子もよく見えます。
ただ…あのステージがなんともここには似合わない気がします^^;


裏門跡

本丸にあるもうひとつの虎口。
搦め手口のように見えます。



裏門の頭上に突き出た土塁の先端は物見のようであり、
更に門を上から覗き込める構造になった場所です。


北曲輪

北曲輪は複数の郭から成り、軍事訓練が行われた場所です。
ここを通り奥へ進むと搦め手門へと通じています。



下から本丸土塁を見上げると、高低差が凄いです。
遊具のあるこの場所は北側なのであまり人気が無いようで少しさみしい所ですが
静かなので、ここで買ってきたおにぎりをほおばってお昼休みをしました。



かつてはこの城唯一の庭園がありました。
歌碑があるこの辺りがなんとな~く庭園の名残りでしょうか…。


空堀跡

堀底に降りられるようになっています。



途中、蛇尾川へ降りる階段もあります。



空堀沿いを通って二の丸方面へ抜けられます。


桜が満開の真っただ中の訪問でした。
おにぎりだけでなくちゃんとお弁当持って来ればよかったなあなんて思ったりしましました。
この日はどの城跡に訪れても桜が綺麗な時期だったので
ゆっくりお花見したいところでしたが、花よりお城というわけで
結局いつものように急ぎ足での散策となりました。


平成31年4月13日登城



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鈴木知子
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