むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

平賀城(群馬県)

2020年04月07日 | 百名城以外の城
平賀城ひらがじょう
別名
構造平城
築城者平賀入道真斎
築城年代不明
指定史跡
場所富岡市中沢85−3 地図

信州佐久の平賀城の城主平賀氏の一族で、内山氏を名乗っていました。
箕輪衆の一員でもあった頃には平賀氏を名乗り、それが城名として残ったものと思われます。
この城も、上信越自動車道によって主郭を分断しています。




この先が平賀城の城域となります。
上信越道を挟んで右側が主郭、左側が二ノ郭、三ノ郭がありました。



まずは上信越道東側の側道へやって来ました。
この辺りが主郭になるのですが、主郭の西側半分(右側)は
上信越道の真下になります。


主郭

残った半分、東側の主郭です。


四ノ郭

東側から見た四ノ郭(垣崎)です。
畑になっていますが、形は城の縄張りのままです。


堀跡

唯一面影が感じられる場所です。
田んぼになってますが、段差も残り名残程度ではありますが
堀の形が見て取れます。


搦手道

堀と堀の間に馬入れのような道がありますが、
ここが搦手道となっていたようです。


搦手口

搦手道の入口にはこのようなものがあります。
どこかで見たような家紋?



上信越道の西側へやって来ました。
こちらは二ノ郭、三ノ郭があります。


二ノ郭

二ノ郭も北側半分がこの道路と上信越道で消滅しています。


三ノ郭

三ノ郭が一番広く、畑と宅地と化しています。


堀跡

主郭の北側にあった堀の続きが上信越道で分断されていますが、
北西にもあります。
こちらは道下にあるせいか、少し深みがあります。


27.9kmポスト

上信越道27.9kmポスト付近が平賀城なので、
遺構は見えませんが、通過の際には意識してみて下さい。


この先には丹生城をかすめて上信越道が続いているのですが
丹生城までは削られずに済んだものの、よくぞここまで連続伐りして
してしまったものだ
これで、連続破壊された4城すべてを巡ってみましたが、
それぞれ残り方は大小あれど、遺構がみつけられたのが
ちょっぴり救いかなあと思っています。


令和2年4月4日登城


今回の参考本

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