トーキング・マイノリティ

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イラク-狼の谷-06年/トルコ セルダル・アカル監督

2007-09-06 21:25:05 | 映画
 日本では滅多に公開されないトルコ映画、さらにイラク北部を舞台にした反米アクション映画である。チラシにはこう紹介されている。
2006年2月、トルコで1本の映画が封切られ、瞬く間に記録的な大ヒットとなり、国中を席巻した。トルコ映画史上最大の制作費(13兆4500万トルコリラ/約1,000万米ドル)をつぎ込み、公開前には首相を始め閣僚たちも鑑賞。国内最大規模480スクリーン、シネコンのスクリーンを埋め尽くすほどの勢いで公開されるやいなや、連日映画館には凄まじい行列ができ、封切から一ヶ月で4百万人を動員!社会現象と化した熱狂は、国民15人に1人が見るという、史上最大の動員記録を樹立した

 映画の冒頭、2003年7月イラク北部のクルド人自治区で実際に起きたアメリカ兵によるトルコ兵拘束事件が映される。同盟国であるはずの米国軍は協力して任務に就いていたトルコ秘密司令部を急襲、拘束された兵士たちは犯罪者のように袋を被らされて連行される(トルコではフード事件として知られる)。この拘束を指示したのはアメリカ人司令官サム・マーシャル。サムはイラク北部における米軍最高司令官だった。犯罪者扱いされ、大変な屈辱を覚えたトルコ将校は、友人であり元トルコ秘密諜報員であるポラットに復讐を頼んで自殺する。友人の遺書を見たポラットは仲間2人と共にイラク北部に侵入、サムへの闘いを開始する。

 自ら命を絶つ前にトルコ将校が記した遺書の内容が興味深かった。「先祖に顔向け出来ない」「先祖に申し訳ない…」の文句があり、日本人のようなことを言うと思った。トルコ将校はムスリムのはずなのに、「神に対して申し訳ない」とは書いていない。ただ、体面を重んじるだけでなく、「(このような行為は)トルコ全体に対する侮辱」と激しく怒り、極めて誇り高いのが知れる。
 いかに侮辱されたにせよ、唯一神に命を与えられたムスリムが自殺するのかは疑問に感じたが、ここで将校が死なねば映画は後が続かない。日本人ほどではないが、ムスリムにも自殺者はいる。ただし、イスラム圏でこの種の報道は控える傾向があるとか。

 トルコに少しでも詳しい方なら、トルコ人の誇り高さはよく知られている。映画の悪役アメリカ人サム・マーシャルもポラット相手に言い放つ。
「俺は15年間トルコ人を見てきたが、異様なほど誇り高く、「越えられぬ一線」のため、激しく怒る…しかし、本当のところ怒りは袋(フード事件)などではなく、アメリカなしではいられないからだ。冷戦時代もアメリカのお陰でもっていた。(米軍の要請により)派兵をすれば、「もっと援助と物質を」と迫り、そのカネを政治家たちが奪い合う…」

 地政学的にトルコは東西を結ぶ重要な位置にあり、冷戦時代は対ソ戦略によりアメリカはトルコに援助していた。トルコにあるボスポラス海峡並びにダーダネルス海峡のどちらかを封鎖しただけで、黒海と地中海の連絡は完全に断たれる。要するに旧ソ連の黒海艦隊を「湖に浮かぶ艦隊」に出来るので、アメリカにとっては駄々っ子でもトルコを重視していたのだ。ただ、トルコは親米からNATO陣営にいたのではなく、オスマントルコ時代から続く反露感情(大規模な戦争だけでも12回)が極めて強かった背景もある。

 サムの痛烈な皮肉に対し、ポラットは穏やかだが毅然と言い返す。「俺は政治家でも軍人でもない。ただのトルコ人だ。だが、お前はトルコ全体を侮辱した」。
 米軍占領下のイラクで起きた様々な事件を題材に映像化されているが、もちろんこの映画はフィクションであり、その詳細なストーリーや概要はWikipediaにも載っている。

 この映画に登場するアメリカ兵は徹底した悪役となっている。司令官サムは自分に逆らう現地人は全てテロリスト認定し、治安維持のために子供を人間の盾にするなど、子供の命を犠牲にするのも躊躇わない冷血漢である一方、キリスト像に熱心に祈りを捧げ、己を神の子と信じきる狂信者という設定となっている。彼とつるむ医者がユダヤ人。刑務所でユダヤ人医師はイラク人捕虜の臓器を摘出し、臓器はN.Y、ロンドン、テルアビブ(イスラエルの首都)に輸送される。この悪徳医師もまた「神と契約したのは我々だ」とうそぶく。

 トルコ映画ゆえか、クルド人もよい描かれ方はしていない。アメリカ人の協力者といった印象であり、アラブ、トルコ系住民への対抗からアメリカと手を組む。劇中、「山をクルド人に与え、砂漠はアラブ人に、石油は政府が取り、トルコは置き去りだ」との台詞があったが、石油地帯ゆえの複雑な政治状況が浮かび上がる。
 クルドと対照的にアラブ側に悪人は殆ど登場しない。自爆テロシーンもあるが、実行者は幼い息子を米兵に殺害され、正気を失っている父親。また人格優れた導師が登場し、自爆テロや捕虜にした欧米人記者への殺害を激しく諌める。この導師役が十字軍映画「キングダム・オブ・ヘブン」で、サラディンに扮したハッサン・マスード。無差別テロを支持するムスリム宗教指導者はむしろ少数だが、己の子供は安全圏に置きつつ他人の子息を煽り立てる彼らは実行犯より悪質だ。

 米CNNは「アメリカ人を野蛮人のように描いたトルコ映画」と一蹴、アメリカ国内では一切上映されず、また米軍機関紙で軍関係者に映画を見ぬよう勧告がされた。「強烈なナショナリズムが感じられる」と評したのは英BBC。かつて「神と国王と祖国のために死ぬ」教育を青少年に施した英国人の第三世界の反対者に対する表現は、ナショナリストかテロリストの2種類しかないらしい。
 とかく日本では、アメリカが正義で敵は野蛮人と描く勧善懲悪アクションが幅を利かせている。この手のハリウッド映画にうんざりしていた私からすれば、面白い反米映画だった。堂々と反米映画を製作できるトルコが羨ましい。

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