トーキング・マイノリティ

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フレディ・マーキュリー/孤独な道化 その三

2013-03-29 21:40:22 | 読書/ノンフィクション

その一その二の続き
 フレディが出自や私生活面を固く隠していた理由も、著者は性的傾向による両親への影響に求めている。敬虔なパールシー教徒の両親が、コミュニティーの間で辛い想いをするのは当然知っており、親思いの息子でもあったフレディは、家族を出来る限り醜聞から守りたかったようだ。母ジャーの証言では、息子はついに両親に自分はゲイと打ち明けることはなかったという。最後の恋人であるジム・ハットンも、両親には「庭師」と紹介している。

 同性愛者など、どの宗教信者にもいるではないか…と思うが、「小さな町の住民は、何であれ毛色の変わった者を受け入れられない」との本中の一文に、ハッとさせられた。確かにパールシーのようなマイノリティ中のマイノリティでは、信者同士の結束も強いが締め付けも厳しいだろう。大宗教のキリスト教でも米国の田舎町なら、「ジーザスと銃」の類のキリスト教原理主義者は珍しくない。ザンジバルとインドで育ったフレディは、これだけで社会からはみ出してしまう別の人格を抱えていたのだ。カバー裏にも興味深い紹介文が載っている。

厳格なパールシー教徒の両親に育てられたフレディは、大人になっても自分の性にとまどい、罪の意識にさいなまれ、女性とも男性とも深い関係を持つようになった。そんなフレディは曲作りになぐさめを見出し、彼の苦悩や歓びが込められた古典的なヒット曲の数々は様々なジャンルにまたがり、今日でも聴く者の胸を揺さぶる。また、1980年代にクイーンが空中分解し始めていた頃、バンドをふたたび団結させ、重大な分岐点となったライヴ・エイドでの伝説的なパフォーマンスも本書で詳しく再現されている。 



 クイーンの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」も、実はフレディがゲイであることをカミングアウトした曲だと解釈する人もいるそうだ。歌の主人公は作詞家自身の分身というのだが、フレディ自身はこの歌詞への説明は断固として拒否している。
 この見方に私は驚いた。歌詞が難解で意味不明なので、解釈の仕様がない。2005-11-20付けの記事で、この歌への感想を書いたが、かなり底の浅く、的外れな内容になった。歌詞に出てくるガリレオはバンドメンバーのブライアン・メイ、「悪魔の回し者」ベルセブブは明らかにロジャー・テイラー、少し強引だが、フィガロ(※ボーマルシェの戯曲三部作の登場人物)はジョン・ディーコン…というのが著者の説であり、直接フレディに自説をぶつけてみたという。微笑しても彼が答えなかったのは書くまでもない。

 インタビューでブライアンは、この曲についてこう語っている。ジャーナリストよりもミュージシャンの意見の方が、より真実に近いのではないか。
答えは決して分からないと思うし、分かっていても僕は教えないと思うよ。自分の曲がどういう意味かなんて、当然、僕は人に教えたりしない。教えてしまうのはある意味歌を壊してしまうことだと思うんだ。優れた曲というのは、自分の人生で起こった個人的な出来事に引きつけて、自分なりに解釈できるから優れているのだから。



 また学歴面でも、粉飾があったという。これまでの伝記では、いくつもOレベルを取り、国語、歴史、美術で優秀な成績を収め、セント・ピーターズ寄宿学校を卒業したとされているが、そうではなかった。初期の広報担当が事実を歪めたのが発端であり、フレディ自身も本当は受かっていなかったOレベルに受かったと言ったらしい。これも他のメンバーの飛び抜けた学歴と比べれば、無理もないかもしれない。それでも他のロックシンガーに比べれば、いい方だが。

 大の親日家として知られるフレディだが、こちらは“粉飾”ではなく事実だった。個人秘書の証言は、一日本人ファンとしてはとても嬉しい。
―フレディが典型的な観光客のような態度を取ったのは、唯一日本でだけだった。日本はフレディを虜にしたけれども、他のどの国に行っても、ただ寝るための場所にしか過ぎなかった。

 著者は日本とフレディとの関係を次のように書いている。これまた不快で、英国の投影ではないか、と言いたくなるものだった。
この国とフレディには多くの共通点があった。フレディと同じく日本は矛盾の塊で、複雑で多面的な性格を持った古い珍品だった…
 穏やかで毅然とした日本人に彼は惹かれた。何世紀にも渡って封建制の圧政を生き延び、さらには第二次世界大戦からあのように粛然と立ち直ったのだ。フレディは全てを吸収しようとして、あたりを駆けずり回った。寿司や酒を堪能し、人形や絹の着物、漆塗りの箱を買い込んだ…
その四に続く

◆関連記事:「ボヘミアン・ラプソディ

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