トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

フレディ・マーキュリー/孤独な道化 その四

2013-03-30 20:40:17 | 読書/ノンフィクション

その一その二その三の続き
 スーパースターとして名声を確立したフレディだが、その代償もまた凄まじいものだった。彼が不特定多数の同性と度を越した性交渉を持ったのは事実であり、それが命取りになった。それが出来る環境や金があったにせよ、単に好色という動機だけではないようだ。フレディの性生活で初めて知ったが、男役と女役の両方をするゲイもいるそうだ。彼の最後の恋人ジム・ハットンによる暴露本にも、「フレディは積極的にも受身にもなったが、僕たちの関係ではどちらかというと受身の方が多かったようだ」と意味深な箇所があった。

 ジムと出会う前のフレディは、それこそ手当たり次第で乱れた生活を送っており、男娼を買うことも珍しくなかった。彼は晩年なると、もっぱら女役を好んでいたそうで、まさにQueen(ゲイの女役の意味もある) を地でいっていた。フレディの知人の証言から、スターの重圧というものが伺える。

で、こんなにオーラを持っていると、しまいにはそれに押しつぶされちまうんだな、って思ったのを憶えている。スターが背負う巨大な十字架だ。おそらく、天才であることの代償なんだろうな。そのオーラの内側では、他の誰と変わらないただの人間なんだ。
 高い才能に恵まれた人は、若いうちに死ぬことがとても多い。それは、想像力の限界に達して、何らかの形で“自殺を図る”からかもしれないな。名声に耐え切れなくなるんだ。薬物を過剰摂取したマリリン・モンローみたいに、自ら手を下す人もいるけど、大半はそういうことはしない。その代りに、何らかの形で自分の命を破壊するんだ…
 フレディの場合、過剰なセックスが自殺願望の表われなのかもしれないな。あの環境じゃ、いつかはAIDSに罹るから。人生に耐え切れなくなった時、生きる責任を放棄するひとつの手なんだ…(380頁)

 交際のあったオーストリアの女優バーバラ・バレンタインへのインタビューも興味深い。

てっぺんから落ちる訳にはいかないんだ、落ちぶれるなんてまっぴらだ、っていつも言ってたわ。名声のせいで彼は世界一孤独な人だった。孤独を埋めようとして、彼はどんどん派手に遊ぶようになって、終いにはそれに支配されるようになっていた。孤独のせいで過度な遊びに走ってしまったのよ。
 フレディは何でも極端だった。恐ろしい代償を支払うことになったわ。こんなつもりじゃなかったはず。でも望みは適った。不死を望んで、不死を手に入れたのだから(392-393頁)。

 2002年、バーバラはミュンヘンで脳卒中により他界している。最後のパートナー、ジム・ハットンは2010年、故郷アイルランドで肺がんのため死去した。この他のフレディの友人何名もが、彼と同じくAIDSで死亡している。

 ゾロアスター教の伝統に沿った葬儀が行われたにも関わらず、フレディが死の直前、キリスト教に改宗したという噂が飛び交ったという。これには親族全員がショックを受け、辛い思いをしたそうだ。ジム・ハットンは、「ゾロアスター教を実際には信仰していた訳ではない」とまで言っている。さらに付け加えて証言する。
でも、フレディと一緒にいた年月で、彼が礼拝したことは1度もないよ。ご家族の宗教については何も知らない。フレディが1度も口にしなかったから。でも、夜ベッドに横たわっていると、彼が隣でお祈りしていたのを憶えている。どっちの言葉か?英語だよ。誰に対してか?分からない。誰と話しているの?とたまに聞いたけれども、彼はただ肩をすくめて『お祈りを捧げているんだ』と囁くだけだった(399頁)。

 敬虔な信者には程遠いフレディだったが、カトリックのジムに対し、己の信仰する宗教の話題を避けたのは当然だろう。お祈りにしても、ジムの前でアヴェスターの聖句を唱えるはずはない。果たしてどんなお祈りを捧げていたのか、気にかかる。
その五に続く

◆関連記事:「フレディ・マーキュリーと私

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る