トーキング・マイノリティ

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フレディ・マーキュリー/孤独な道化 その二

2013-03-27 22:10:20 | 読書/ノンフィクション

その一の続き
 フレディの死後、彼のルーツを暴き立てる記事がトップを飾り、「インドのスター」「英国初のアジア人ポップスター」、果ては「ボヘミアン・ラプソディ」をもじり、「ボンベイ・ラプソディ」等の見出しが付けられたという。これにはロンドンのパールシー教徒コミュニティーは不興を示し、スポークスマンの出した声明を全文紹介したい。

9世紀以降はペルシャを離れたといっても、私たちはれっきとしたペルシャ人です。パールシーは“インド人のゾロアスター教徒”と言われるけれども、私たちの祖先は7、8世紀にイスラム教徒による迫害から逃れるためにインドに逃げたペルシャ人のゾロアスター教徒なのです。インドに移住したからといって、インド人だという訳ではありません。もしあなたがたがユダヤ人だとして、祖先がここ2千年ほどパレスチナを離れたからといって、あなたはユダヤ人ではないということになりますか?
 人種と国籍はまるで別物です。ルーツと市民権というのも。ペルシャ人パールシー教徒には、故郷と呼べるものはないかもしれません(かつての領地は今日のイランに当たる)。それでも、私たちは心からペルシャ人なのです。

 実に感動させられる声明だ。パールシーは“インドのユダヤ人”の綽名もあるが、本家のユダヤ人と異なりインドでは迫害を受けていない。インドの寛容性ゆえか、パールシーの適応力もあるのか、その双方なのかは不明だが、成り済ましが習性となっている“日本のユダヤ人”と雲泥の差と、改めて痛感させられた。拙ブログにも自称日本人愛国者が何人か書込みしてきたが、誤字脱字が目につき、悪文で文法もおかしく、感性が一般日本人と際立って違っていた。中韓、殊に後者の事件に脊髄反射するため、“ニダヤ”と私は睨んでいる。

 同時に著者が述べていたような疑問も湧いてくる。「こうして過去を改ざんされて、神聖なる先祖からの継承を足蹴にされたのに、なぜフレディの両親は何も言わなかったのだろう?私には不思議に思えた」。
 生まれ故郷ザンジバルには、今でも彼の親類が暮らしているそうだ。子供時代、フレディと遊んだ従姉妹パルヴェーズは、後に彼が有名人となっても、親族の誰にも連絡せず、カセットテープも送ってくれなかったと証言している。パルヴェーズの娘に至っては、一族の名を捨てた、ザンジバルには1度も戻ってこなかった、赤の他人だ…とまで著者に言っている。

 英国人の友人にも“ペルシア人”と名乗ったほどなので、元からフレディにはザンジバル人という自覚があったとは考えられない。しかし、ルーツのあるはずのインドにも帰らなかった。ムンバイに住む叔母シェローの証言は彼の人柄が伺えて興味深い。
インドには2度と戻ってきたくなかったの。自分は英国人だなんてね。英国の文化的な暮らしが気に入っているし、何より向こうの司法制度が良いというの。特に、インドの腐敗しきった司法に比べると。でも、私にはちゃんと便りをくれていたわ。目の手術をしなければならなくなった時には、お金まで送ってくれた。それに私にヨーロッパを見せたいと言っていたわ。

 自らのルーツを封印したフレディが、さらにプライベート面も固く口を閉ざいていた背景に、著者は彼の性的志向を指摘している。同性に比べれば数は少ないが異性とも交際があるので、正確にはゲイではなくバイセクシャルだが、正統派ゾロアスター教徒が同性愛を認めないのを彼も熟知していた。フレディが長年の間、自身の性向を抑えようとしたのは、これが一番の原因があるかもしれない、と言う。そして著者は、アヴェスターの一章ヴィンディダード(除魔書)の一節を引用している。
男が女と寝るように、または女が男と寝るように男と寝る男は、ダエーワ(悪魔)である。悪魔の崇拝者であり、悪魔の男の情婦である。

 これを以て、著者は「パールシー教徒にとって、同性愛は罪であるだけでなく、信じられないことに悪魔崇拝の一種なのだ」と書いている。フレディの生まれたザンジバルも、同性愛を見る目は未だに厳しく、著者はそれを不快に感じているのが文面から伺える。しかし、ヴィンディダードに比す聖書のレビ記には次の一節がある。一応クリスチャンの著者が知らないはずがなかろう。
あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである(18:22)。
その三に続く

◆関連記事:「ゾロアスター教の興亡
 「地獄で責め苦にあう者

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