塩野七生 氏の『ローマの街角から』(新潮社)というエッセイに(難民問題)と題した章がある。塩野氏がイタリア映画Lamerica(ラメリカ)を観ての感想で、イタリアのシチリア方言でアメリカを指す言葉が映画タイトルとなっている。このエッセイが書かれたのは'94年10月だが、十年以上経た現代も問題は少しも改善しないようだ。
映画Lamericaを要約すれば、今世紀初頭のイタリア人にとってのアメリカが、現代のアルバニア人にはイタリアであるという話なのだ。映画の最後は日 本でもTVニュース報道された、溢れんばかりのアルバニア難民を満載しイタリアの港に接近するボロ貨物船を映したシーンで幕となる。
第二次大戦 後も'90年代初めまでは、イタリアは難民に対し鷹揚だった。難民たちはアメリカかドイツを目指しており、中継地のつもりでいることが出来たからだ。だ が、アメリカもドイツも受け入れに消極的になったことに加え、アドリア海の対岸にある旧ユーゴやアルバニアではイタリアのTV番組が映る。これを観た人々 にとって、イタリアがアメリカやドイツになってしまう。通り路どころか、執着地に成り果てたイタリアがあわてたのも当然だった。
今や海 が荒れるのを期待する他ないイタリアに、東からはアルバニア人、南からは北アフリカ人が“難民”として殺到する。'94年頃、アドリア海を横断する費用 と、着いた先の南イタリアから北イタリアまでの汽車の切符を含め、その全費用は一千マルク。イタリアなのにマルク立てなのは通貨の信用からだが、これだけ の費用を捻出できる者が難民なのだ。そして今世紀初頭の移民と違い、彼らは仕事よりも先に福祉を要求する。いかに先進国といえ、イタリアにはこの連中に満足を与え続ける余裕はない。それゆえイタリア人がこの者たちを嫌悪の目で見るようになるのも当然だ。難民と距離を保つ経済的余裕のない“貧しい白人”が真っ先にネオナチ化するようになる。
イタリア人のこれらの難民への対応は、一昔前のアメリカ同様何でもカネで解決しようとした。札束で解決しようとしても、アルバニアは長く低開発地域であっ たのに加え半世紀は共産主義体制下だった。この政体にあった民族が、イタリアからは一晩の船旅の距離に現存するのである。アルバニア人に押し寄せられたイ タリア側では、当然治安も悪化する。
塩野氏は映画Lamericaの感想を一緒に観た氏の息子にこう語った。
「も しも現代のアルバニア人が、後50年経てば現代のイタリア人のように変れるのだったら、難民問題も、その原因である“南北問題”も、さして深刻な問題にな らずに済む。それが深刻な問題になってしまうのは、低開発の民の大部分に、そこから脱出する能力も意志もないという現実にある」と。
単行本になった後、さらに塩野氏は追記を載せている。エッセイから6年が過ぎたにも関らず、イタリア政府は明確な対策も立てられないでいる。反対に難民輸 送側の輸送手段の進歩は目覚しく、一晩の船旅であったのが、快速ゴムボートによる3時間の旅で済むようになってしまう。しかも、防止に立つ警察官の犠牲も 増える一方。それでもイタリア政府は、難民輸送マフィアの人権を尊重する方針を変えていない。犯罪者でも人権を尊重されるべきということで、難民たちをイ タリアに上陸させた後で帰途につくボートを、射撃してでも転覆させるようなことはしないのだ。この問題は深刻化するばかり。
塩野氏の エッセイを読んで、日本も全く同じ問題を抱えているのを痛感させられる。アルバニアや北アフリカの“難民”たちは反イタリア教育は受けてないが、日本の隣 国には幼少の頃から反日感情を植えつける教育を施された民族が現存しているのだ。戦後60年経ても、在日朝鮮、韓国人はどう変化したのか?深刻度では日本 の方が根深いだろう。
◆関連記事:「ワールド・プロブレム」
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映画Lamericaを要約すれば、今世紀初頭のイタリア人にとってのアメリカが、現代のアルバニア人にはイタリアであるという話なのだ。映画の最後は日 本でもTVニュース報道された、溢れんばかりのアルバニア難民を満載しイタリアの港に接近するボロ貨物船を映したシーンで幕となる。
第二次大戦 後も'90年代初めまでは、イタリアは難民に対し鷹揚だった。難民たちはアメリカかドイツを目指しており、中継地のつもりでいることが出来たからだ。だ が、アメリカもドイツも受け入れに消極的になったことに加え、アドリア海の対岸にある旧ユーゴやアルバニアではイタリアのTV番組が映る。これを観た人々 にとって、イタリアがアメリカやドイツになってしまう。通り路どころか、執着地に成り果てたイタリアがあわてたのも当然だった。
今や海 が荒れるのを期待する他ないイタリアに、東からはアルバニア人、南からは北アフリカ人が“難民”として殺到する。'94年頃、アドリア海を横断する費用 と、着いた先の南イタリアから北イタリアまでの汽車の切符を含め、その全費用は一千マルク。イタリアなのにマルク立てなのは通貨の信用からだが、これだけ の費用を捻出できる者が難民なのだ。そして今世紀初頭の移民と違い、彼らは仕事よりも先に福祉を要求する。いかに先進国といえ、イタリアにはこの連中に満足を与え続ける余裕はない。それゆえイタリア人がこの者たちを嫌悪の目で見るようになるのも当然だ。難民と距離を保つ経済的余裕のない“貧しい白人”が真っ先にネオナチ化するようになる。
イタリア人のこれらの難民への対応は、一昔前のアメリカ同様何でもカネで解決しようとした。札束で解決しようとしても、アルバニアは長く低開発地域であっ たのに加え半世紀は共産主義体制下だった。この政体にあった民族が、イタリアからは一晩の船旅の距離に現存するのである。アルバニア人に押し寄せられたイ タリア側では、当然治安も悪化する。
塩野氏は映画Lamericaの感想を一緒に観た氏の息子にこう語った。
「も しも現代のアルバニア人が、後50年経てば現代のイタリア人のように変れるのだったら、難民問題も、その原因である“南北問題”も、さして深刻な問題にな らずに済む。それが深刻な問題になってしまうのは、低開発の民の大部分に、そこから脱出する能力も意志もないという現実にある」と。
単行本になった後、さらに塩野氏は追記を載せている。エッセイから6年が過ぎたにも関らず、イタリア政府は明確な対策も立てられないでいる。反対に難民輸 送側の輸送手段の進歩は目覚しく、一晩の船旅であったのが、快速ゴムボートによる3時間の旅で済むようになってしまう。しかも、防止に立つ警察官の犠牲も 増える一方。それでもイタリア政府は、難民輸送マフィアの人権を尊重する方針を変えていない。犯罪者でも人権を尊重されるべきということで、難民たちをイ タリアに上陸させた後で帰途につくボートを、射撃してでも転覆させるようなことはしないのだ。この問題は深刻化するばかり。
塩野氏の エッセイを読んで、日本も全く同じ問題を抱えているのを痛感させられる。アルバニアや北アフリカの“難民”たちは反イタリア教育は受けてないが、日本の隣 国には幼少の頃から反日感情を植えつける教育を施された民族が現存しているのだ。戦後60年経ても、在日朝鮮、韓国人はどう変化したのか?深刻度では日本 の方が根深いだろう。
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「治安に責任のない奴は気楽でいいな」
とつぶやいたのを、思い出しました。
在日しかりで、かなり普段から苦労しているそうです。
以前は市民団体とは立派な人たちだと思っていましたが、ネットで彼らは治安に責任がないばかりでなく、治安悪化に繋がる輩とも関係があるのを知り、今では大半が社会の敵なのが分かりました。
実態は人権の衣を被った反日団体ですが、在日が中心的役割を果たしているのは明らか。「韓国市民と連帯する××会」「韓国女性と連帯する宮城婦人の会」などと称してますから。
ベトナム難民も、結構中国系が多かったそうです。
それだけならば、mugi様のエントリーを拝見する時に、良くある事なので、普通ならば、そのまま黙っているのですが、上の似非紳士氏のコメントを見て、この方の御父上の様な方に、政治家になって貰いたいな、と感じて、両者を併せて、一言コメントさせて戴きました。
なお、この詰まらぬコメントを書くことになったのは、仲間の「佐久間象川」君が私の感想を聞いて、嗾けた為である事も付け加えておきます。
若輩者の拙ブログを読まれて頂いて、ありがとうございました。
私も似非紳士様のお父様のように、自称難民の不法入国者に最前線で対処される方のご苦労はいかばかりか、頭が下がる思いです。
にも関らず、難民支援の市民活動家ばかりクローズアップし、お涙頂戴の難民報道をするマスコミの姿勢には怒りを覚えます。