トーキング・マイノリティ

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マザコン

2006-02-07 21:12:51 | 読書/欧米史

 男にとって母は永遠の女性といわれる。マザコンという言葉だけで度し難い軟弱男のイメージがあるが、歴史上の偉人英雄は驚くほどマザコンが多いと、塩野 七生氏はエッセイ『男たちへ』で書いていた。特に有名なマザコンにアレキサンダー大王を挙げている。

 後年になってもアレキサンダーは何でも母親に第一番に報告していたそうだ。母オリンピアスは気性が激しく、権謀術数にも長けた女だが、息子のすることに様々口をはさんでいた。大王の部下たちもこれには怒りを憶え、彼にオリンピアスを咎める手紙を送るものの、「この者は知らないのだ。たとえ数多の母非難の手紙が来ようとも、母の流す涙の一粒にも及ばぬことを」と彼は取り合わない。

 映画『アレキサンダー』では両親の不仲に心を痛めたアレキサンダーが、仲間との友情に平安を見出し海外遠征に思いを馳せる展開となっていたが、現代感覚すぎるのではないか?庶民の崩壊家庭ではないし、不仲の王夫妻の間に生まれた王子が必ずしも世界の覇者となる訳ではない。高圧的な母親から逃れるため、東方遠征したのではないだろう。
 やはり男にとって同性からマザコンと見られるのは沽券に係わるためか、男性作家となると母と息子の関係をより冷静に書いている。マザコン的な傾向は省略され、強さ勇敢さ、特に戦闘シーンが強調されている。

 阿刀田 氏の歴史小説『獅子王アレクサンドロス』は大王をめぐる様々な女たちが登場して面白い。苛烈な性格の母オリンピアスは夫フィリッポス王が暗殺された後、若い王妃と生まれたばかりの幼子を始末するが、わざわざ現場に立ち会っているのだ。殺害を実行したのは奴隷だが王妃から幼児を取り上げたのは母で、奴隷は持参した大壷の中の熱湯を嬰児の全身に注ぎ首を踏み付ける。母は背後から声をかけた。「哀しいじゃろうのう。もうお前も生きてはおられまい。ちょうどよいものを持ってきたぞえ」。そして長い紐を懐から取り出し、王妃の首の脇にたらす。息子の王位を確実にするためにせよ、女の底意地悪さが見事に表現されている。

 アレキサンダーにはペルシア貴族の娘バルシネという愛妾がいた。美しく賢明、穏やかな性格で母親とは対照的だったが、彼女とは正式に結婚せず愛妾のままだった。彼の愛が他の女に移ったからではなく、王位継承をめぐる争いに巻き込まれるのを予見して自ら王の元を去ったのだ。不幸なことにバルシネの予感は当たり、アレキサンダーの死後、大王の部下に彼女と生まれた息子は暗殺される。

 アレキサンダーが王妃にしたのはバクトリアの豪族の娘ロクサネである。山岳民族の出ながら美貌の誉れ高い女だったが、彼女も気性が激しい野心家だったのは、やはり無意識のうちに母と同じような気性の女を求めたのだろうか。ロクサネの他にもペルシア皇帝ダレイオス3世の皇女スタテイラと、ペルシア王家の姫パリュサティスとも正式に結婚したが、彼女らは王の死後ロクサネにより暗殺される。スタテイラは妊娠していたが、後宮で捕われ井戸に投げ込まれて惨殺された。「これでよい」とロクサネは殺害の現場に立会い、微笑んで頷く。ロクサネはバルシネ親子も暗殺する予定だったが、遠く離れている愛妾には手が出せず、彼女とその息子もまた夫の部下に殺害された。

 アレキサンダーの母オリンピアスは息子の死後、陰謀をめぐらせ一時マケドニアを支配するものの、息子の部下に破れ処刑される。刑は石打ちの刑で、いくつもの石を投げ打たれ絶命した。50を少し越える年齢だったと言われる。

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2 コメント

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MOTHER LOVE (Mars)
2006-02-10 01:05:50
こんばんは、mugiさん。



男にとって、母を超える女性を捜すのは難しいでしょうね。望む、望まずに限らず、死地に赴くのでしたら、恋人・配偶者よりも母を思い浮かべる男は少なくないでしょう。それも、10~20代に限らず、男は情けない。



奇遇ではないとは思いますが、QUEENの曲の「MOTHER LOVE」でも、「BOHEMIAN RHPSODY」でも、死に直面した男は、やはり母を想うもの。後者の場合、歌詞の主人公は少年ですが、前者の場合、いい大人です。でも、他人事だと笑えない、情けない男です、私は。

(INNUENDO、MADE IN HEAVENともに、素晴らしい曲が少なくないですが、フレ様の状態が上に、感傷的になってしまいますね?)



母親でも、権力を握り、今日まで名を残すのは、洋の東西を問いませんね(それもいい意味ではなく)。中国では古くは呂太后や西太后ですね。前者の場合、その後、漢王朝が繁栄を迎えたのに対し、落ち目の清王朝に止め(?)を差したのでは、大きな違いですね。

しかしながらも、男の立場から言えば、例え悪女とはいえ、専横を許した当時の男の情けなさといえば、ないですね(そして、それを未だに批判する男はそれ以上に情けなくも思えます)。



(父)親への猜疑心から中国を統一したのは、秦王・政こと、始皇帝その人ですね。両親への愛情が希薄な者程、野心的になるとは、一面的には正しいと思います。ある程度、両親への愛情が深く、経済的にも恵まれていれば、あまり高望みをしにくくなるかもしれません。でも、それが必ず、成功・失敗とは限らないから、世の中は不思議です。国でも、会社でも、起業時は前者で、ある程度繁栄すれば、後者の方がよい、とよく言われます。

(でも、マキアヴェッリに言わせれば、後継者は制度が安定していれば、平凡でも維持できると、苦言を呈していますが。金某はどうでしょうね。)



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男の習性 (mugi)
2006-02-10 21:12:24
こんばんは、Marsさん。



「天皇陛下万歳」を叫んで戦死した日本兵など稀で、大半は「お母さん」だったでしょう。これは連合国も同じのはず。



マーキュリーの母ジャー・バルサラ(Jer Bulsara)夫人はとても賢明な方で、大邸宅を建てた息子が一緒に住もうと誘っても、これまでの家で暮らしていたそうです。料理も上手く自らの手料理を時々マーキュリーの自宅に届けていたとか。もしかすると、出来すぎた母親を持ったことで、彼は生涯独身だったのかもしれません。



作家・阿刀田高さんは「いかんと思いながらも、ついつい悪い女の術中に陥るのは相当に賢い男でもやっている、男の習性みたいなもの」と言ってました。中国では皇帝は神のような存在なので批判できない。だから佞臣や女が悪いと責任転嫁する。未だに文革は4人組、特に江青が悪いとされてますが、妻の暴走を許したのは毛沢東の責任です。独立の父も揶揄対象にする隣国とはエライ違いですね。



始皇帝は育った環境が悪すぎましたね。幼年時代は敵国で人質生活、国に戻っても母は男漁りで息子に目もくれない。でも、同じような環境で育った者は他にもいるのに、中国統一を成し遂げたのは天性の非凡さがあったのでしょう。彼に限らず独裁者の家庭環境はまず悪いのが相場です。M.ガンディー、ネルー、チャーチルのように両親の愛情、経済で恵まれた指導者もいますが。



金某の制度は共産主義全盛時代ならよかったのですが、共産主義そのものが破綻してますから、それに基づく体制では宗主国の支援がない限り崩壊するでしょう。
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