トーキング・マイノリティ

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国や土地に縛られない生き方

2006-07-30 20:27:26 | 歴史諸随想
 マスコミが好んで取り上げるのは海外で活躍する日本人である。一昔前なら“国際人”と持てはやす称号を冠したが、最近は陳腐で飽きられたのか、「国や土地に縛られない生き方」の表現が主流となってきた。

 国や土地に縛られず、世界を渡り歩く生活は一見自由で格好よく感じるかもしれない。そんな生き方が出来るのはごく一部の人に限られるため、尚更そうでない暮しをしている人々の憧れの対象となるのだろう。だが、芸術家やプロスポーツ選手でもない限り、自由な生き方は到底無理なのだ。いかに海外を飛び回る外交官やビジネスマンでも、己の属する組織に縛られるものだから。
 さらに日本のマスコミが好むパターンは、日本色の薄そうな人物。「国や土地柄に縛られない」ことこそ、自由な生き方とばかり称賛する。しかし、祖国や故郷を失ったり、持てない人々も世界に大勢いるのだ。

 イスラエル建国前のユダヤ人がどれだけ辛酸を舐めたのか、改めて書くまでもないだろう。いかに頑なで協調性も欠き、独自の文化に固執した背景があるのせよ、祖国がないのはかなり立場が弱い。イスラエル建国後はパレスチナ人が同じ目にあう。表面上アラブ各国の指導者は「アラブの大義」を掲げるものの、どこでも厄介者扱いで、「黒い9月」と呼ばれる弾圧事件も起きている。
 他に中東で「国を持たない最大の少数民族」と呼ばれるクルド人も、古来から固有の地に住みながらも、アラブ、イラン、トルコに分離独立は激しく弾圧され、虐殺されたこともしばしばだ。

 イギリスのロックバンドQueenのボーカル、故フレディ・マーキュリーも「国や土地に縛られない」人生を送った一人だ。昨年7月21日付けの記事で彼について書いたが、彼自身は祖国や故郷を持たない人物だった。英国籍でも、出自はパールシーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒の少数民族。生まれたのはザンジバル(現タンザニア)で幼年時代はそこで過ごしたが、革命騒ぎで故郷を追われた過去を持つ。パールシーはユダヤ人より遥かに協調性があるにせよ、インド、イギリス共に余所者であるのは同じだ。

 2年前の12月、文藝春秋の特集「各界の著名人に聞く理想的な死に方」を見たが、アフターブ・セット前駐日インド大使の回答は実に良かった。彼の両親や彼自身もデリー出身で、生まれ故郷で穏やかな季節に家族と太陽(アフターブの名は太陽の意)に見守られながら死ぬのが理想、とのことだった。セット氏は若い頃日本留学体験もあり、その後は外交官として世界中を駆け巡ったが、その人物にして生まれ故郷で生涯を終えたいと言う。“イスラム世界のマルコ・ポーロ”ことモロッコの大旅行家イブン・バッツゥータも、世界漫遊をしながらも結局は生まれ故郷が一番との言葉を残している。

 3年程前、2ちゃんねるの宗教板でユダヤ教に改宗し、ユダヤのラビ(聖職者)を目指し勉強中の日本人が紹介されていた。キリスト教の牧師だったこの日本人はユダヤ教に入れ込み、そればかりでなく家族共々イスラエルに移住したそうだ。彼がユダヤ教に惹かれたのは曖昧な日本の宗教と違い、厳格な唯一絶対神への信仰が素晴らしいとのこと。いつの時代も変わり者はいるが、これはまた輪をかけた変人だ。2ちゃんでも「この人物は結局ユダヤに適応できず、尾羽打ち枯らして帰国するだろう」と皮肉なレスがあった。紹介主は面白くなかったらしく、「お前も寂しい男だな」とコメントするものの、皮肉屋はさらに「では、お前もさっさとイスラエルに行くがよい」と逆ねじをくわせていた。
 紹介主がユダヤ教に改宗した日本人にどんな感情があったかは不明だが、私には宗教に逃避したとしか思えなかった。様々な宗教への改宗を繰り返す“宗教ジプシー”と呼ばれる人々が実際にいるが、ユダヤ人となった日本人もその一人だろう。この類は改宗者特有の熱心さで信仰しても、生まれながらの信徒には内心は信用されず利用されることが少なくない。イスラエルの広告塔を果たすのが関の山だろう。

 私はマスコミが礼賛する「国や土地に縛られない生き方」など、共感もないし、胡散臭い意図があるとしか思えない。いかに世界を飛び回り、外国人の知己を多数持ったにせよ、故郷に友人や繋がりもないのでは根無し草と同じではないか。かつて“国際人”とマスコミの寵児だった犬養道子氏のインタビューを最近見たが、わびしい印象が強かった。“国際人”のなれの果ては、終の棲家を確保できなかった晩年。軽薄なマスコミに乗せられて、「国や土地に縛られない生き方」をするのはゴメンだ。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
島国根性 (Mars)
2006-07-31 21:16:42
セット氏の言葉は、英語の愛国者の語源、パトリに通じるものを感じました。人の多くは、国家の形態やイデオロギーではなく、生まれ育った土地の風土や記憶等を愛するものだと思います。ですから、日本の愛国心と、周辺国の官制のものとは根本的に違うように思えます。



私は一度も外国に出たことがないので、偉そうな事は言いませんが、国際人や地球市民と自称する気が知れません。そういう輩の多くが反日の癖に、いざとなると日本政府を頼る。そうでなくても、今日のように、気楽に外国に行けるのも、日本人として保証されているからなのに。
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 (似非紳士)
2006-08-01 18:13:17
ボクは、かつて国内限定の旅人だったのですが、最近のテレビで子供に海外旅行をさせたい親。なるものをみました。



狭い日本にとらわれてほしくないのだとか。



日本は、広いんですけどね。知れば知るほど、文化も気候も、ありとあらゆるものが深く興味深い。



異国への憧れは十\分理解できますが、まずは日本を知ってほしいものです。
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日本ボケ (mugi)
2006-08-01 21:50:28
>Marsさん 

私もセット氏の回答は、とても普遍的な死生観を感じました。故郷で家族に見守られて死ぬ、これこそ究極の理想の死です。

他国の「国際人」はセット氏が典型ですが、故郷や祖国に誇りを持つと同時に、異国人とも対等に付き合える方が大半です。そこが外国人の理不尽な非難に黙って従う日本の地球市民とやらとの違いですね。



私も外国に行ったのは旅行程度ですが、移住したいとは思ったことは全くありません。そもそも、移住する動機もありませんから。

海外生活を盛んに煽っているマスコミは、日本人を追い出すのが目的なのか、とも私は疑ってます。「多文化共生」と、外国人の受け入れキャンペーンも振ってますから怪しい。
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修学旅行 (mugi)
2006-08-01 21:51:46
>似非紳士さん

可愛い子には旅をさせよ、という諺がありますが、現代の子供に海外旅行をさせるのは、意味が全く違います。

海外見聞も結構ですが、仰るとおりまず自国を知ってもらいたいものです。

修学旅行も海外なのは珍しくなくなりましたが、日本の学生に「過去の歴史」への謝罪を求める国には絶対行くべきではありません。
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