スキージャンプ&スポーツ竹内元康発言

スキージャンプ選手、全日本コーチ、解説者、トレーナーを経て・・・今だから語れること。

吉岡和也のジャンプ

2000-02-28 00:43:28 | スキージャンプ
いいものを見せてもらったよ、本当に。
しかし、こんな短い時間であんなに変わるとは。和也のジャンプってもっとがむしゃらな感じでグイグイ責めてくようなタイプだった
のに。
長野オリンピックのプレシーズンの時だったんだけど、八木ちゃんと話したことがあったなぁ。
ヴィドヘルツルのジャンプを見て「やなジャンプだなぁ~」って。
今シーズンはそのやなジャンプが開花したシーズンになったもんね。
あの頃はまだそう目立ってなかったから、そんなに注意して見てなかったもんなぁ。
そのジャンプのことなんだけど、新聞などで八木ちゃんや和也がコメントはしてあるんだけど、またここでも検証してみよう。
まあこのジャンプが威力を発揮するのラージヒル以上の規模のジャンプ台になる。
まず、最初にやらなきゃいけなことは、ビンディングの紐を短くすること。なんでかって言うと、
紐が長いとマキシマムまで行く間にスキーの角度が動きすぎるから、それを防止するため。
スキーの角度が変化すると余計な抵抗を受けることになるかね。
で、それからスタンスを広げて大きくスキーを開くんだけど、そのときにしちゃいけなことは、
下方向に向かって重心移行しないこと。腰の角度を折ったままで我慢する。
このことが出来ないと、風圧に対して体をあずけていくだけで落下速度を早めてしまう。角度が下向きに変わっちゃうからなんだ
けどね。
滞空時間を長くするためにはこのことが重要になってくる。
しかし、この我慢するっていうことはジャンパーにとって耐えがたいことなんだよね。
責めなきゃ飛んでかないって意識がジャンパーには根ずいてるから。我慢するって感覚は、へたすりゃ
お尻から落ちるような感覚になるくらい我慢しなきゃいけないからね。
このことはホントやろうと思ってできることじゃないんだよね。今までのジャンプの飛び方の常識を覆すようなことだから。
責めの姿勢の強かった和也がそれをやるとなるとコーチの言ってることをすべて信用するしかないんだよね。
それを、わずか100本強のトレーニングで基盤を作ってしまったんだから凄いもんだよ。
あのジャンプが完成したら今の日本人選手は誰もかなわなくなるぞ、きっと。
やっぱ数字じゃ計り知れないのがジャンプ競技だとあらためて痛感したね。
一番大事なのは卓上の計算じゃなくてコーチの見る眼だよ。ジャンプってそういう競技。
知らない人には納得できないだろうけど。やっぱり八木ちゃんは素晴らしいコーチだよ。
ロボットが飛ぶんじゃなくて人間が飛ぶんだから、もっとジャンプ競技の原点に帰って考えなくちゃいけないなぁ。
そのことを基本に考えてやっていくと、より科学が生きてくると思うし。
それにしても、人間が感覚でその角度を作っていくんだから簡単なもんじゃないな。
人間の力って計り知れないところにある。だから生身の人間がその技術を競い合う。おもしろいよ、ジャンプって、スポーツって。
見てろよオーストリー、ドイツ、フィンランド!

国体

2000-02-23 23:55:48 | スキージャンプ
いや~、ジャンプってホントに難しい。
6シーズンぶりに雪の上でジャンプを飛んだんだけど、ちょこっとやって「おりゃー」って飛べるほど甘くはなかった。
飛べることは飛べるんだけど、思ってるように身体は全然動かない。
不安の連続だよ。恐怖心も多少はあるんだけどね。だって、どうなるか分からないから危険回避をする用意ばっかりで
全然形にならない。かっこわるいったらありゃしない。
夏から飛んでないと、まともな形では飛べないよ。
V字にする技術だってあらためて難しいなぁと思ったし、アプローチをいいポジションで滑るのも大変。
滑れなきゃ全然踏み切りにならないし、踏み切れなきゃ空中もつくれない。
本番をいれてノーマルヒルを飛んだのは7本だけど、浮力を感じたのは1本だけだった。
多少は慣れてきたんだけど、そうすると今度はやることがいっぱいありすぎてなにをやっていいか分からん状態になるし・・・・・
参加するだけなら別に楽なんだけど、勝てとなるとストレス溜まるは。
おまけに怪我なんか出来ないし気が休まらん。これがWCだとと思うと競技なんかやりたくなくなるなぁ。
結果は2位だったけど、そのときにやれることはやったし、まあ、満足はしてるけど・・・・
1位になった人は毎年の国体の常連でもあるし、毎年海外合宿に行って飛んできてる人だからその人に勝つには、本腰をいれ
てやらんと勝てないね。
まあ今回飛んだことによって、また指導するときのバリエーションが増えたけど。
それにしても、とんでもない競技を選んだもんだとつくずく思うなぁ。
飛んだものでなければこの難しさは絶対に分かるわけがないけど。
わずかなミス、これだけで勝ちを逃がしてしまう。何本飛んでも完璧なんて年間に数えるだけしかでないしねぇ。
このミスをいかにして100%のジャンプに近くするようにリカバリーするか、だから空中のテクニックって重要なんだよね。
来年も出ろというなら早く言ってね!北海道スキー連盟さん!!
そしたら絶対勝てるように練習するから。
今度は現役に復帰しようかな(笑)

タウプリッツ

2000-02-22 00:14:11 | スキージャンプ
予測不可能な天候不順で、タウプリッツのフライングW杯は中止になった。
アンドレアス・ゴルトベルガーがジャンプ台最長記録となる209.5メートルを飛ぶも、降り積もった
新雪のために転倒、ジュリーは選手の安全を懸念して、中止を決定した。
中断前までは、スヴェン・ハンナヴァルトが202メートル(191.4点)でトップに立っていた。
ジュリーは中止を決定するまでに、突風と強い降雪にもかかわらず、5回再開を試みた。

ドイツのラインハルト・ヘスヘッドコーチは、ジュリーの判断を支持した。
「1人の事故が起こった時点で、2人目が事故に遭う前に決定したのがよかった。これこそ、スポーツの精神に基づいた決定だ。
誰かが怪我しなければ中止できない、というのは間違っている」。
スヴェン・ハンナヴァルトは、今シーズンのW杯2勝目をフイにしたが、がっかりした様子もなく、
「(昨日の)自分の優勝で締めくくることができたんだから、よしと思うことにするよ」と語った。
前日のジュリーの決定を激しく非難したシュミットも、今日はこの決定を肯定的に評価した。
「やるべきことは全てやったが、見ての通りの状態。ジュリーは適切な時期に中止を決めたと思うよ」。
総合優勝争いでそのシュミットのライバルであるアンドレアス・ヴィドヘルツルも、この中止を特に残念がってはいない。
「もちろん試合ができないのは残念だけど、前向きに考えるよ。チャンスはまだまだ十分にあるしね」。

全然違う話題になるが、ローマの中田はすばらしかった。

シュミット関連ニュース

2000-02-08 02:37:28 | スキージャンプ
自分が人生の絶頂にあっても、幸福でない人々もたくさんいるということをマルティン・シュミットは忘れていない。
「スポーツマン・エイド」運動に参加している彼は、複合の選手である兄トルステンや、
純ジャンプの主力選手たちと共に慢性疾患、とくにガンの子どものための基金運動に積極的に参加している。
シュミットは10月から募金の呼びかけを始め、1月までにすでに60万マルクが集まっている。
この慈善活動には特に若い世代が多数関心を寄せ、寄付をしている。

素晴らしい若者達じゃありませんか。
これが真のトップアスリートなんじゃろねぇ。

アホネンヒストリーⅠ

2000-02-08 02:30:05 | スキージャンプ
ヤンネ・ペッテーリ・アホネン

ニックネーム:「仮面」
生年月日:1977年5月11日
出身地:ラハティ
居住地:ラハティ
身長:183センチ
体重:66キロ
好きな食べ物:スパゲッティ・ボロネーゼ
好きな飲み物:コカコーラ、ビール
好きな音楽:パンク、ラップ
好きなホッケーチーム:アナハイム・マイティ・ダックス、フィンランド代表チーム
ペット:ネコ・ネズミ
婚約者:ティヤ(?)・ヤコブセン
趣味:釣り、絵を描くこと、オートバイ、ビール、ホッケーチームの応援
オートバイ:カワサキの最新モデル
特徴:笑わない
専門:純ジャンプ
使用言語:フィン語、スウェーデン語、若干の英語
学歴:高等学校卒業
職業:ジャンパー
ジャンプを始めた年:1984年
所属:Lahden Hihtoseura
代表入り:8年前
コーチ:ミカ・コヨンコスキー
スポンサー:コニカ

スキー:Atomic
シューズ:Jelas
ビンディング:Silvretta
ワックス:Start
スーツ:Adidas
ヘルメット:Carrera
手袋:Carrera

主な成績:
1994年:ジュニア世界選手権優勝
1994年:リレハンメル五輪ノーマルヒル37位、ラージヒル25位、団体5位
1995年(サンダーベイ)、1997年(トロンハイム)世界選手権代表
フィンランド国内大会優勝多数
1996年W杯バート・ミッテルンドルフ大会2位
1997年W杯トロンハイム大会優勝
1997年世界選手権(トロンハイム)ノーマルヒル優勝・団体優勝
1997/98年ジャンプ週間総合3位
1998/99年W杯総合2位
1998/99年フライング大会総合6位
1999年世界選手権(ラムソー・ビショフスホーフェン)ノーマルヒル・ラージヒル・
団体4位
1998/99年ジャンプ週間総合優勝

アホネンヒストリーⅡ

2000-02-08 02:26:20 | スキージャンプ
1998年は、ヤンネにとってまさにブレークの年だった。長い間身につけていたゴールドゼッケンと、2本目に進めなかった
試合はほとんどなしという抜群の安定性がそれを物語っている。特に、1勝もせずにジャンプ週間総合優勝を決めた
ことが良い証拠だ。以来、彼の人となりについての人々の興味関心は非常に高まった。マスクの下の
あの生真面目な表情に一体何が隠れているのか、と多くの人が考えている。その具体的な答えを当て推量するのはやめて、
いくつかのデータを紹介することにしよう。ヤンネがラハティに生まれたのはおよそ23年前のこと。
現在も生活の本拠はそこにある。飛び始めたのは7歳の時、要するに命知らずだったのだ。最初の五輪は16歳の時
だったが、世界中を仰天させたあのトニ・ニエミネンを思わせるところがあったせいか、アホネンに対する期待は
すでに相当高かった。ニエミネンはアルベールビルで2個の金メダルと1個の銅メダルを獲得し、冬季五輪史上最年少の
ゴールドメダリストとなった。アホネンも同じ16歳での五輪出場であったが、ニエミネンに比べれば、地味なデビューだった。
期待は大きかったが、プレッシャーには勝てず、ラージヒル25位にとどまった。
しかし、アホネンは年々才能を開花させてきた。
大きく飛躍したのはトロンハイムの世界選手権優勝だった。体型の改善と共に、踏み切りにも力強さを増した。
ニエミネンはアホネンと同じペースで61.5キロまで体重を増やしたが、ニエミネンの場合は体重増加に伴って、
スピードが失われてしまった。だがヤンネは空中でのスピードを保つために、踏み切りでのパワーを強化したのだ。
また、卓越したテクニックと空中での巧さも身に付けている。クラシカルからV字への移行は非常にスムースに行われた。
この点もニエミネンとは異なっている。前監督のマッティ・プッリが言うには「ヤンネは引っ込み思案でおとなしいタイプ。
あまり笑わないしね」。ガルミッシュの試合で優勝した時、写真撮影の後、レポーターはアホネンになぜ笑顔を
見せないのかと尋ねた。彼の答えはご存知の通り、「飛びに来てるんであって、笑うためじゃないからね!」。
この科白は今でも語り草になっている。なぜ笑わないかって? 誰にもわからない。ジャンプの時にはたいていマスクをつけ
ているから、その下の表情も見えない。ひょっとして、上でスタートを待つ間には、いつも蜂蜜菓子の馬みたいに
笑っているのかもしれない。優勝した時も、満面の笑みをたたえることはまずない。わずかに腕を上げて喜びを表すだけだ。
それにしても、彼は一体何者? ビール好きで、バイクに乗り200キロで飛ばして平然としているような男なのか?
それとも控えめで、絵を描くのが好きで、魚釣り好きのロマンチストなのか? 実はその両方がアホネンなのだ。

アホネンヒストリーⅢ

2000-02-08 02:25:55 | スキージャンプ
シュミットがプラニツァでゴールドゼッケンを奪った時、カメラはスタートゲートで首を垂れているヤンネを捉えていた。
あれは何らかの感情を表していたのだろうか? ともかく、あの瞬間のアホネンは幸福とはいえなかった。
彼が笑うこともできるということは後に証明されたが。それでもあの時ヤンネはカメラのレンズをスキーの先端で突っついたの
だ。
目を引いたことがもうひとつある。W杯最終日になって突然新しいスキーとスーツを着用したのだ。
ひょっとしたらまたトップを取り返そうという意欲の表れだったのかもしれない。いずれにしても彼の野心は計り知れない。
最終日まで気持ちも体力も切れなかったのは彼の強みでもある。アホネンのクールさは、優勝した1997年のトロンハイムの
世界選手権でも垣間見えた。1本目の平凡なジャンプの後、2本目に98.5メートルをとんだ時、
「1本目の後はもう望み薄だったからね。だからプレッシャーも何もなかった。だから2本目にあれだけ飛べたんだ!」。
2本目は彼の後ろにはまだ1本目の上位7人の選手が残っていた。「ジャンプは易しいけど、待つのはしんどいね」
と彼は告白していた。ヤンネには16歳の弟、Pasiがいる。彼も有望なジャンパーである。マッティ・プッリは
「パシもヤンネと肩を並べるようないいジャンパーになってくれると期待してるんだ。弟の方も内気だけどね」と言う。
間もなくW杯の頂上をアホネン兄弟が極めることになるかもしれない。父親は仕立て職人、母親は釣り針工場で働いている。
父親は仕事と並行して大学で勉強している。ヤンネは自分の能力を過大評価せ
ず、足元を見つめている。
知性もあり、ワイヤーロープの如き神経の太さで、どのような条件をも克服できる長所を持っている。
ヤンネは神秘的で謎の部分の多い人間だが、それがかえって面白いことにもなる。ヒンターツァルテンでのサマーの試合で、
黄色い声をあげる若い女性ファンに囲まれても、そのクールさを保てるのか?と聞かれた彼は「まあ、やってみるさ!」
と応じた。そうしなければならないのは、彼がすでに婚約しているから、いやそれどころか結婚したという噂まであるからだ。
昨年春に結婚したと言われているが、相変わらず彼はそれについて語らない。婚約しようが結婚しようが、
10人の子持ちになろうが、どうでもいいことのようだ。でも、優秀なジャンパーだということは皆分かっているから、
あとは一度でいいからカメラに向かって笑顔を見せてほしいものだ。

WC後半戦

2000-02-08 01:22:57 | スキージャンプ
前半戦の図式は崩れそうにもないねぇ。シュミットは地元のプレッシャーもあっただろうから実力を出し切れなかったようだけど。
ビドなんかもう別世界いってるし。アホネンだって全然崩れる気配なし。
日本チームは、雅彦は今できるこは確実にこなしてる感じだ。
運も体調も調子もビッタリはまったら3強の一角は崩せるだろう。
浩哉は重い滑りを苦手としてるから、あららって感じだったけど調子は上がってるはず。
気を落とすことはこれっぽっちもなぞ。でも、早く克服したいよな。
孝信は久々にWCに返り咲いたんだけど、とにかくポイントを取りこぼさないこと。
それができればそこより落ちることはない。後は上がるだけ!
それが今後に大きく自信となっていくはず。
紀明はやっぱ結果が欲しいんだろうなぁ。自分のジャンプをしっかり見つめていけば実力があるんだから
結果はついてくるはずだ。なにも変に考えることはないと思うぞ。
西下和記は言うことないね。沢山経験して勉強して大いに暴れてこい。
フライングが楽しみだ。
宮平もまだ迷ってる最中って感じ。メンタルな部分が唯一の弱点なんだけど、邪魔な3強を蹴飛ばすくらいの
度胸さえあれば、表彰台なんてすぐ上れるから。
んでもってフネちゃん。
見解は八木さんと一緒なんだけど、今年の失敗はスキーの選択にあると思う。
メーカーとの契約や条件提示といった部分でいろいろあるのは百も承知なんだけど、
今まで慣れ親しんで自分のジャンプを作り上げてきたスキーから替えてしまうということは、そんなにやさしいことではないぞ。
新しいものの発見っていう部分では理解は当然出来るけど、スキーの性格っていうのは、
各メーカーで全然違うから。ただ、これもいずれは財産にはなっていくはずだけど。
どんなに改革しようと思っても、自分のスタイルに根付いてる根本的な質っていうのは簡単には変わらない。
っていうよりも、変わりようがない。アレンジしてくものはどんどん変えていけるけどね。
日本のためにフネは強くいてくれなきゃ困るから遠回りはしてほしくない。
慰めの言葉なんかかけてもしょうがないから、早く帰ってきてくれフネ~!
転倒してもガッツポーズのでるフネが早く見たいぞーーーー!!

祝!亨平!!

2000-02-08 00:07:18 | スキージャンプ
遅くなったけど、いや~よかったねぇ亨平。今シーズンはいつかはきそうな感じだったもねぇ。
地崎工業から所属を変わったんだけど、地崎に入れたってことは光るものがあったからだからねぇ。
それでなきゃ、あの会社には入れないから。
入ってからは泣かず飛ばずで成績がでなくて引退を余儀なくされたけど。
どこで花咲くか分からないねぇ、ジャンプ競技は。
白馬のジャンプ台の高橋所長も、これには嬉し涙でしょ。ホントにおめでとう!!
これからも自信を持って頑張れ!応援してるぞ、小樽の後輩!!