スキージャンプ&スポーツ竹内元康発言

スキージャンプ選手、全日本コーチ、解説者、トレーナーを経て・・・今だから語れること。

日本名 馬車 馬一(ばしゃ ばいち)

1999-10-21 00:58:18 | スキージャンプ
バシャねぇ、一言で言うと、いい奴、熱い奴、日本人みたい奴。
3言になてしまった。
宮の森のWCのときだったかなぁ、日本人にあまりにも条件が悪すぎると血相変えてジャッジタワーに抗議に行ったの。
まあまあと周りの日本人になだめられた。日本人より日本のために戦う奴なんだよねぇ。
これからの活躍を期待してるよ!

マッティ-・ニッカネン、スオミ オブ フィンランド

1999-10-20 00:21:40 | スキージャンプ
91~92シーズンの話で11月にフィンランドに合宿に行ったときのこと。
この年は、フィンランドも雪不足で練習場所に困っていた。
日本選手は最初はタイバルコスキーという所に基地を置いて雪待ち。
1週間くらいたってからようやく雪が降り出したけれども、現地ではまだまだ雪が足りず飛べる状態ではなかった。
2、3日してからルカというところのミディアムヒルが飛べるようになったということで、
そこから1時間半かけて、4、5日だったと思うが毎日チャーターバスで通った。
そこに、ちょうどニッカネンも来ていた。そのときは、いくら下火だったとはいえそこそこのジャンプはしてたんだよね。
その年はV字元年(世界中が)だったんだけど、ニッカネンはまだトライしてなかった。
余談だけどA・P・二ッコラもそうだった。ベッサ・ハカラっていういい選手もいたんだけど、彼もV字ができなくて、その後引退してし
まった。
話は戻って、それからロバエミという北極圏から5キロまでのところに移動。
ここでローカル大会が開催された。(フィンランドチームではWCの選考会)
そのときの結果はちょっと覚えてないが、ニッカネンの飛ぶときの声援の誰よりも凄いこと、そりゃもう地響きよ。
力が落ちても、英雄ニッカネンここにありって感じだった。ありゃもうスーパースターとしか言いようがなかったね。
マッティマッティの大合唱!オリンピックでもないのに。
他のフィンランド選手は面白くない顔。なんであんな奴応援すんだって。
いろいろゴタゴタあったからねぇ。ま、これは内部の話だからお客さんは知ったこっちゃないよな。
そんでもって、この年なんだよね、ニッカネンの次を担うジャンパーがデビューしたの。
ご存知、アルベールビルオリンピックで史上最年少で金メダルをとったトニー・二エミネン。
この選手はフィンランドではいち早くV字をマスターしたねぇ。ニッカネンはこの年で、ジ・エンドになってしまった。
ニッカネンの強さに憧れてた自分としても、V字をマスターした彼を見てみたかったなぁ・・・・・・
今は、当たり前のようにV字やってるけど、あれって結構難しいんだよね。
クラシカルで飛んでた選手はみんなこの技術の難しさは、嫌っていうほど味わってきたもんなぁ。
金具が変わって技術が変わり、スキーのレギュレーションが変わって技術が変わり、終わりがなくなってきたなぁ。
マスターできない選手は引退していく。どっちにしてもこの世界も随分厳しくなったもんだ。

マッティ・ニッカネン

1999-10-16 15:53:45 | スキージャンプ
最近TVに出てからってもの随分ニッカネンが話題になってるようで。
ニッカネンといえば、あれほどの強さを持った奴はもう現れないんじゃないかなってくらい強かった。
今の選手では誰が勝つかわからないけど、どんな条件だろうと彼を負かすことは不可能に近かったもんなぁ。
クラシカル時代の頂点を極めたのは、まぎれもなくマッティ・ニッカネンだねぇ~。
年齢は俺より一つ上で1963生まれじゃないかな。
強さゆえに色々問題もあったんだけど・・・・・そういう話題はやめといて、
俺が初めて海外遠征に言ったのが1982のジュニア世界選手権(オーストリア)で、
あ、そうそう、確かニッカネンは早生まれでこの年もジュニアの権利があったはずだが(ちがったかなぁ)・・・・、WCのほうを転戦してたんだ。
バイスフロクもそうだったよなぁ。
そのときのメンバーといえば、エルンスト・フェットーリ、リチャード・シャラート、アンドレアス・バウアー、なんとかアホネンとか、すんげーのが沢山いたなぁ。
公式練習じゃ俺も2番とか4番とよかったんだけど・・・
本番じゃ、さすが日本人V[^^]v、力だせんかったもんなぁ。
優勝はフェットーリ、2位はリッチでオーストリアのワンツーだった。
そのとき凄いショックを受けたことが一つあった。オーストリアチームのモーターホーム。
中を覗いたら、沢山モニターがあってベットがあって、なにやら訳の分からん機械があって、
頭になんだかコードがいっぱいついてて。
今だったらないやってたかわかるけど、その当時はねぇ。
とニッカネンの話から脱線してしまったなぁ。
次の年の開幕戦のWC、レークプラシッドとサンダ-ベイ、このときの日本のメンバーは、八木、竹内、坂口、佐々木と高校生が3人。
ニッカネンはこの年もダントツ。飛ぶたびにバッケンレコード更新、なんてこっちゃ、飛んでるとこが全然違うぞ。
他の外国人もみんなお手上げ。唯一多少対抗してたのがホルスト・ビューローだけだった。
インスブルックの世界選手権でも離れ業話があったなぁ。
スタートする順番に遅れそうになってダッシュして登って、靴の紐縛る時間がないから紐縛らないでマジックテープだけでとめて
ハァハァいいながら飛んで最長不倒だって。想像できないよな普通じゃ。
パート1はここまでとしといて、パート2はまた後日!