ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評】 呉善花「私はいかにして<日本信徒>となったか」難波先生より

2013-09-23 11:49:05 | 難波紘二先生
【書評】エフロブ「買いたい新書」の書評に 呉善花「私はいかにして<日本信徒>となったか」を取りあげました。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1378451287
 1956年、済州島に生まれ、1960年代に始まる反日教育と漢字廃止教育を受けた世代です。生まれた場所は「朝日」が持ち上げた詐欺師、吉田清治が著書「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房 1983)で,「慰安婦狩り」をしたと偽証している島の、東端部,表善里村の近く。
 彼女は1983年,大学留学のため来日し,1991年に日本に帰化している。岩手県生まれの在日韓国人鄭大均(旧東京都立大学教授)が「在日韓国人の終焉」(文春新書,2001)を書き,「在日よ,日本に帰化せよ」と発言する10年も前のことです。呉善花は「スカートの風」(1990)以来,同シリーズで日本と韓国の文化の違いを紹介して異文化交流に貢献しましたが、旧祖国では不評で、2007年と2013年7月に韓国政府が空港で入国を拒否するという言語道断な措置を目に遭っています。この夏の拒否原因は「韓国併合への道・完全版」(文春新書)の出版にあるのだろう。

 本書は現在,拓殖大学国際学部教授である彼女の自叙伝といえよう。題名は内村鑑三の有名な「余は如何にしてキリスト教徒となりしか」(岩波文庫)をもじっている。緑茶を飲む習慣のない韓国人が,マンションの一室に小さな茶室を造り,その隠し扉の奥に神棚と仏壇を置き,両親を偲ぶ空間にしているという。どうしてここまで「日本信徒」 になったのか、その過程を述べたものです。


 李御寧「<縮み>志向の日本人」(講談社学術文庫)は1934年生まれ、ソウル大卒のエリート知識人が日本留学後に日本語で書いた日本文化論。韓国版もベストセラーになりました。彼は梨花大学教授(現名誉教授)なので、 済州島の貧しい農村に生まれた韓国人とソウルのエリートでは、人生の軌跡が異なり、ちょうど戦前の朝鮮人来日の事情、あるいは日本人移民の海外渡航の理由が異なるような関係だと分かります。
 李御寧の本も、よい本だと思います。
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