【露伴】10/30「毎日」の一面コラム「余録」、
http://mainichi.jp/opinion/news/20121031k0000m070105000c.html
に誘われて、「青空文庫」からダウンロードして幸田露伴「蘆声(ろせい)」、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card1439.html
を読んだ。露伴というと、腕は超一流だが世渡りがヘタな大工の棟梁、のっそり十兵衛を主人公にした「五重塔」が有名だ。
驚いた。岩波文庫「五重塔」では、2ページ26行にわたり、改行なし、読み点(。)なしの、固い文語調の文章が出てくる。しかし、これは隅田川の河口近くに住んでいた作者が趣味としていた釣りに出かけて、出会ったひとりの少年のことを書いたエッセイふうの短編小説だ。現代とあまり変わらない口語体である。
口語体にはちがいないが、文語体で鍛えた独特のリズムは、ちゃんと生かされている。
先着の少年との釣り場をめぐるちょっとしたもめ事、その着衣や所作、簡単な会話を通じて、身の上から家族関係そしてその性格・心理にまで分け入って行く手法は見事である。30数年前に一度だけ出会った少年のことを書くのだから、「事実そのまま」ではない。だから随筆にはならず、短編小説なのである。
「蘆声」という言葉は「藤堂・漢和大辞典」にはない。終末でたそがれの川面にひびいたゴイサギの声を象徴しているのであろうか…
かつては目上に敬語が使えなかったり、自分の父母に「お」をつけたり、他人の家に行き履き物を揃えないであがるなどの、下品な言動や所作を称して「お里が知れる」といった。今では死語になったようだが、ここで少年の「お里」は露伴によって、まさに、知られつくしている。
文末の執筆年度をみると「昭和3(1928)年」とあった。「五重塔」は明治24(1891)年の発表だから、恐らくそれ以前のエピソードを素材としたものであろう。
ともかく一面コラムは、こういう余裕のある導入から始まり、「転」があって、意外な時局風刺の「結」につながって行くのを良しとする。「序破急」の呼吸だ。
カロリー計算は栄養士なら誰でもできるが、うまい料理は調理師でないとダメだ。調理するネタは、仕込みが大切なのだが、近頃は浅漬けみたいなコラムが多すぎる。
http://mainichi.jp/opinion/news/20121031k0000m070105000c.html
に誘われて、「青空文庫」からダウンロードして幸田露伴「蘆声(ろせい)」、
http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card1439.html
を読んだ。露伴というと、腕は超一流だが世渡りがヘタな大工の棟梁、のっそり十兵衛を主人公にした「五重塔」が有名だ。
驚いた。岩波文庫「五重塔」では、2ページ26行にわたり、改行なし、読み点(。)なしの、固い文語調の文章が出てくる。しかし、これは隅田川の河口近くに住んでいた作者が趣味としていた釣りに出かけて、出会ったひとりの少年のことを書いたエッセイふうの短編小説だ。現代とあまり変わらない口語体である。
口語体にはちがいないが、文語体で鍛えた独特のリズムは、ちゃんと生かされている。
先着の少年との釣り場をめぐるちょっとしたもめ事、その着衣や所作、簡単な会話を通じて、身の上から家族関係そしてその性格・心理にまで分け入って行く手法は見事である。30数年前に一度だけ出会った少年のことを書くのだから、「事実そのまま」ではない。だから随筆にはならず、短編小説なのである。
「蘆声」という言葉は「藤堂・漢和大辞典」にはない。終末でたそがれの川面にひびいたゴイサギの声を象徴しているのであろうか…
かつては目上に敬語が使えなかったり、自分の父母に「お」をつけたり、他人の家に行き履き物を揃えないであがるなどの、下品な言動や所作を称して「お里が知れる」といった。今では死語になったようだが、ここで少年の「お里」は露伴によって、まさに、知られつくしている。
文末の執筆年度をみると「昭和3(1928)年」とあった。「五重塔」は明治24(1891)年の発表だから、恐らくそれ以前のエピソードを素材としたものであろう。
ともかく一面コラムは、こういう余裕のある導入から始まり、「転」があって、意外な時局風刺の「結」につながって行くのを良しとする。「序破急」の呼吸だ。
カロリー計算は栄養士なら誰でもできるが、うまい料理は調理師でないとダメだ。調理するネタは、仕込みが大切なのだが、近頃は浅漬けみたいなコラムが多すぎる。
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