ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【熊本地震と活断層】難波先生より

2016-05-17 08:15:37 | 難波紘二先生
【熊本地震と活断層】
 4/14に発生した「熊本地震」は活断層の認知だけでなく、日本の地震学がまだまだ遅れていることを示した。
(写真1)
 TVや新聞ですでにおなじみの「日奈久断層」(写真1)を地表面で発見した、高校の同級生中田高君(広島大名誉教授、地質学)からの「発見リポート」が送られてきたので紹介する。まだご本人は現地に滞在して老骨にむち打って調査中だと思う。事故のないことを祈りたい。

<何か大きな活断層起源の地震が起こりそうな予感(非科学的)があり、本年の年賀状に野島断層保存館内部の画像と一緒に「Remember!!! 必ず起きる直下型大地震」と書きました。
まさか、その100余日後にそれが現実になるとは・・・

14日に私の教え子である広島大学の准教授2人が、車を出すので予備調査に行かないかと誘ってもらいました。M6.5では地表に地震断層は現れていないのですが、活断層沿いに地震断層が無いことを確認する目的で出かけました。

15日朝6時半に広島を高速道路や地方道も渋滞で、現地についたのは昼過ぎでした。
予想通り、活断層は動いていませんでした。
15日は熊本駅前のホテルに投宿しました。

16日未明に熊本市内でも震度6強の揺れで、当初はM7.1の地震だということで、活断層が動いたことを確信しました。すぐに、明るくなってからの交通混雑を予想して、すぐにホテルをチェックアウトして、地震を起こしたであろう、活断層に向かいました。
信号はどこも働いていませんでしたが、スムーズに現地に到着して夜明けを待ちました。
ちょうど21年前の(淡路島の野島)地震断層発見と同じ状況でした。
 空が白み始めたので、活断層近くまで車で移動、徒歩3分の後に地震断層を活断層沿いに発見しました。今回は、教え子の提案に従ったことと、都市圏活断層図「熊本」の調査者であり土地勘が多少あったことが、早期発見につながりました。

 多くの人が被災され犠牲者も少なからず出た場所で調査をすることは苦痛を伴いますが、何が起こったのかを知るためには「手で触って見られる地震の証拠」である地震断層をできるだけ克明に記録することが重要なので、老骨に鞭打ち予察的な調査を行いました。
多くの地震研究者(地震計記録分析者)の活断層に対する過小評価が、地震後のコメントでも目立つのが残念です。

 地震発生場所、地震の規模と様式を事前に特定できるのは、過去の地震のズレの累積によって形成された地形をもとに活断層を認定できる変動地形研究者であることを、社会はもっと知るべきだと思います。
 見ればわかることより、(地下の)見えないものを難しそうに解説する方が偉く見えるというのはどこの分野でもあることでしょうが、使用禁止用語である「群盲象を撫でる」に似ているような気がします。>

 地震学にはまったくの素人だが「活断層」が地震で動いてできる新たな断層を「地震断層」と呼び、地震学では区別するようだ。中田君のチームが発見したのは新たな「地震断層」だ。5/15「熊日」は熊本市内で同チームにより新たな「地震断層」が発見された可能性が高いと報じている。(写真2)
(写真2)
 この記事本文は以下にある。(5/15朝には閲覧可能だったが、今は閲覧できないPDFの「魚拓」はどういうわけかPREVIEWからの「形式を選択してペースト」での文字列のペーストがうまく行かない。そこで、手入力すると、…

<熊本市の東区から中央区にかけての市街地で、未知の活断層が地表に現れたと見られる亀裂を発見したと、広島大の研究グループが14日明らかにした。…同大の後藤秀昭準教授(地理学)らの研究グループは、地震前後の地表の高さをGPSデータから解析、その結果、東区から中央区にかけて約5キロに渡り、地表面が上下に5センチほど食い違う2本の線を見つけた。>
とある。
 要するに日本列島の地下には無数の断層があり、過去2万年以内に「動いた形跡」のあるものを「活断層」と呼んでいるだけだ。しかも「未調査の断層」は山ほどあり、「活断層でない」とは結論づけられていない。従って「熊本地震」のように、未知の断層が動いて「地震断層」として地表に現れてくるなど、当たり前のことだろう。
 地震多発国家における最大の防御柵は、「一極集中の排除」「重要機能の地方分散」だと思う。
従来型の高度成長を取り戻そうという、アナクロニズムのアホノミクス信者が総理大臣をしているようでは、この国は次にプレート型大地震に見舞われたら、「日本沈没」になると思う。
 「国土強靱化」は空念仏で、実際には何の備えもな
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花土子)
2016-05-19 18:46:01
大地震が来ても安倍内閣のせいではないです。
そういう運命です。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-05-22 10:42:53
そうです、ワトソンのせいです。
返信する
Unknown (【 原子力規制庁 前長官 池田克彦、川内原発の再稼働を許可。審査の適正さが疑われる件 】)
2017-02-01 22:10:15

原子力規制庁 前長官 池田克彦。

埼玉県警察 本部長 在任時に、埼玉県警察学校長が、前任の校長による業務上横領を報告し、処分を求めた。

しかし、県警上層部と共に、これをことごとく無視。
県警最高幹部による重大な不正を正さない人物。
再稼働審査の適正さが疑われる。

【 埼玉県警察学校 校長 小河進 副校長 岩淵敏雄 が業務上横領 】
blog.livedoor.jp/saitamalvdoor/archives/8291218.html

【 本部長 】

2004年4月~2005年8月 埼玉県警察 本部長 警視監 池田克彦
2005年8月~不明 埼玉県警察 本部長 警視監 加地正人

【 警務部長 】

2005年3月~不明 埼玉県警察 警務部長 警視正 牛嶋正人
(就任後、警視長に昇任か?)

【 主席監察官 】
2005年3月~不明 警務部参事官 兼 主席監察官 兼 監察官室長 警視 伊藤茂
(2005年4月1日 警視正 昇任)

【 埼玉県警察学校 校長 】

2002年9月~2004年3月 朝霞警察署 署長 警視 小河進
2004年3月~2005年3月 埼玉県警察学校 校長 警視正 小河進 業務上横領
2005年3月~2006年3月(退職) 交通部長 警視正 小河進

【 埼玉県警察学校 副校長 】

2002年9月~2003年9月 越谷警察署 副署長 警視 岩淵敏雄
2003年9月~2005年3月 埼玉県警察学校 副校長 警視 岩淵敏雄 業務上横領
2005年3月~2006年3月 羽生警察署 署長 警視 岩淵敏雄
( 2006年3月~2007年3月 羽生警察署 署長 警視 鷲平保雄 )
2006年3月~2007年9月 装備課長 警視 岩淵敏雄
2007年9月~2009年10月(退職) 警務部理事官 兼 監察官 兼 第三方面本部副本部長 警視 岩淵敏雄

【 埼玉県警察学校 庶務・厚生担当事務官 】
庶務・厚生担当事務官(警部級)は、内田義昭か? 

~2001年3月 厚生課 事務吏員 内田義昭
2001年3月~2003年3月 鴻巣警察署 会計課長 事務吏員 内田義昭
2003年3月~2005年3月 警察学校 校長補佐 事務吏員 内田義昭
2005年3月~2007年3月 運転免許課 課長補佐 事務吏員 内田義昭
2007年3月~2011年3月 交通機動隊 隊長補佐 内田義昭
2011年3月~2016年3月(退職) 秩父警察署 会計課長 内田義昭


12月6日 さいたま県警の元幹部でさいたま市警察部長(警視正)まで務めた警察OBの田中三郎氏(60歳)が、埼玉県県政記者クラブで記者会見を行って、元埼玉県警察学校長等 を 業務上横領の疑いでさいたま地検に告発したことを明らかにした。
 
記者会見には、「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の代表で田中氏の代理人である清水勉弁護士と同ネットワークの会員で「市民の目フォーラム北海道」代表の原田宏二が同席した。
 
埼玉県警察学校の学生と教職員の任意団体「校友会」が、構内の売店業者から売上金の3%を「助成金」名目で上納させていたが、告発状によると田中氏の前任だった平成16年当時の校長(警視正 既に退職)は、庶務・厚生担当事務官(警部級)に「助成金は、当時の副校長(警視)に渡すよう」に指示し、平成16年4月から12月までの間の「助成金」計約125万円を「校友会」の出納帳に記載せず、
当時の校長や副校長ら3人が着服したとしている(告発状はPDF参照 http://www.ombudsman.jp/fswiki/wiki.cgi/akarui?action=PDF&page=%BA%EB%B6%CC%B8%A9%B7%D9%BB%A1%B3%D8%B9%BB%A1%A1%B9%F0%C8%AF%BE%F5 )。

警察学校長に着任して、犯罪を取り締まる警察官のイロハを教えるところである警察学校に不正経理があることを知り愕然とするとともに、警察幹部として求められるルールに従って、警察本部長(警視監~キャリア)、警務部長(警視長~キャリア)等の県警上層部に報告したが、ことごとく無視され、改めて警察の自浄能力の無さと隠蔽体質を知らされる。

 田中氏は、こうした県警上層部の態度は、警察改革に逆行するものであると考えた。

 そして、警察が自浄機能を発揮することが無理ならば、本件事案の真相を明らかにする唯一の手段は司直の手にゆだねる以外にないとの結論に達し、平成20年の定年退職を待たず、職を退いた上で告発をすることにした。

 以下、田中氏の説明や当時の新聞報道からその経緯を追ってみよう。

1 使途不明金を知った経緯について

 警察学校では、平成17年3月22日付けの人事異動で、校長、副校長のほか、新設された庶務・厚生担当調査官(警視級)が新たに配置となり、庶務・厚生担当課長補佐(警部級)も交代となったことから、引継ぎ書類の点検や所掌業務の把握の過程で、使途不明金の存在が判明した。

 また、田中氏と前校長(元警視正、既に退職、被告発人)との事務引継ぎが警察学校校長室で行われた際、校内の売店から「助成金」を受け取っていることを知り、国家公務員倫理法で利害関係者からの金銭等の授受が禁止されていることもあり、田中氏は警察学校内で売店を営む業者から金銭の提供を受けることがあってはならないと判断し、早急に是正することを決意し、即刻、売店業者からの「助成金」の提供を辞退したという。

2 田中氏が講じた措置等

 田中氏の説明によれば、当時、警察学校長として、次のような措置を講じたという。

(1) 校友会の収入金については、前記の使途不明金を除き、いずれも校友会収入として金銭出納帳に記載され、いずれも支出の経緯及び領収書等の証拠書類が保管されていることなどから、単に帳簿記載上の単純ミスではなく、上級幹部がかかわる非違事案に発展する疑いが認められた。

(2) 本件事実を認知した後の平成17年3月下旬に、学校長から非違事案を調査する首席監察官(警視正)に電話速報するとともに、副校長等が同年7月末までに、少なくても4回にわたり、関係書類を本部に持参して事実関係を報告したほか、学校長自らが警察本部長、警務部長ほか関係部課長に口頭報告を行い、事実関係の調査を依頼した。

 しかし、その後においても、本部の対応が不明であったことから、平成17年9月26日、首席監察官に調査状況を確認したところ「上司の指示でそのままにしてある」との回答があったため、このままでは、後々県警の対応について非難を受けるおそれが懸念されたことから、再度、県警として適切な措置をとるように要求した。

 その過程で「これを調査したら北海道警のようになってしまうが、それでもいいのか」と詰め寄られる場面があったという。

  さらに、平成17年10月25日に、8月12日付けで交替した新警察本部長に対して事案の概要を報告したが、その後においても本部の調査の進捗状況は不明のまま推移した。


埼玉県警 不祥事
https://twitter.com/saitamatwitt
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