ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【体細胞と胚細胞】難波先生より

2014-03-26 09:38:02 | 難波紘二先生
【体細胞と胚細胞】
 1ヶ月ぶりにかかりつけ医に受診した。「中国新聞のSTAP細胞についての論評を読んだがわからなかった」といわれた。京大医学部を出て、研究生活もしていた人だが、やはり「遺伝子再構成の矛盾」のところが分からないそうだ。「三度読んだがわからなかった」という人もある。
 「指紋の比喩」は週刊誌の記者に「喩えで説明してほしい」といわれて考えたものだが、やはり難しいか…

 「40億年の生命の歴史」というのは、生物学的には胚細胞を通じて、遺伝子セットが次の世代に伝えられるということであり、その遺伝子セットとは二重鎖のDNA分子組合せのことだというのは、大方に理解されていると思う。
 つまり遺伝は胚細胞→胚細胞という系列でしか起こらないから、「胚細胞の道」が存在するし、そこを流れる40億年前からの「遺伝子の川」が存在する。
 これを逆に見れば、「個体は遺伝子を運ぶ乗り物」にすぎないから、遺伝子とはひたすら乗り物を変えて、自分のコピーを増やそうとしている「利己的な存在」といえる。また体細胞は胚細胞に獲得情報を与えられないから、「獲得形質の遺伝」は起こらない。
 この辺は、20世紀後半の生物学医学が到達したコモンセンスだろう。

 進化は次の世代(F1)をどれだけ多く生むかではなく、生殖可能時期まで生き延びられるF1をどれだけ多く残すかで決まる。体重の半分が卵巣であるような魚は何十万個の卵を産んでも、無事に成魚に達するものはほんのわずかしか残らない。
 個体の生存にとって決定的に有利だったのは、鳥類以上でよく発達している免疫系の進化である。「遺伝子の川」で重要なのは、次世代に伝えられる「胚細胞遺伝子」が変わらないという点にあるが、免疫系では個体を守るために体細胞の「遺伝子が変わる」。

 この再構成遺伝子は細胞分裂の際に次の世代に受け継がれ、クローンを形成する。このクローンが「STAP細胞」の元だとすれば、その子孫であるかぎり「指紋」=再構成遺伝のバンドが残るはずだが、「STAP幹細胞」には指紋がなかった。これはありえない。
 この前「中国」に寄せた論評で、「再構成遺伝子という指紋は幹細胞になっても消えないはずなのに、STAP細胞から大量生産可能な<STAP幹細胞>を作製した時点では、消えていた。全く別の細胞にすり替わったのでないとすると、この現象は説明がつかない。」と書いた。
 私だけが突出した批判を展開していて、いささか気がひるむ思いもした。

 が、これを書いている途中電話があって、3/15夜7:00のNHKニュースが、「細胞すり替え」を意味する報道をしたという。実は京都から電話で教えてくれた人があった。9:00のNHK NEWSはこれを伝えなかったが、「MSN産経」が伝えている。
 http://sankei.jp.msn.com/science/news/140325/scn14032521180003-n1.htm
 若山氏が渡された「STAP幹細胞」が体細胞由来でなく、ES細胞由来の別の細胞だったとすれば、遺伝子再構成がないのが当たり前で、矛盾点は消失する。事件の根本はこれで明らかになった。後は、個々の研究者の関与責任と理研理事長の管理責任が残るだけだ。私なら、こんな「最終報告書」3日あれば書けると言おう。理研が当初に約束したように、「3月中に」出せるだろう。

 一時的に起こる体細胞突然変異のために、免疫学的な多様性が生みだされ、抗体やT細胞の多様性がつくられ、個体を保護する免疫が成立する。
 興味深いのは、もともと多細胞生物が発生したとき、体内に「掃除・修理屋」として機能する細胞と子孫をつくる細胞があったが、これははじめ一つの細胞で、時と場所により働きが変わっていたにすぎないということだ。前者の子孫がマクロファージや白血球であり、免疫を担当するリンパ球になった。後者は後に胚細胞として特化したということだ。
 もともと原始血液細胞には、「遺伝子複製能力」と「遺伝子変異能力」があった。遺伝子を忠実に複製する能力の方は胚細胞に受け継がれ、「突然変異能力」の方は免疫細胞に受け継がれた。この分化を促したのは、血管系の完成である。

 植物の場合は、血管系も遊走能力をもつマクロファージもないから、体細胞に個体全体を再生させる能力が見られることがある。よく知られた「ゲーテ草」(セイロンベンケイソウ)がその一つだ。葉をちぎって水に浸けておくと、葉脈が葉縁に接するところから新しい芽と根が吹いてきて、幾つかのクローン性個体が生まれる。(写真1)
 
 (写真1:セイロンベンケイソウの「葉から芽」現象)
 こういう現象があるから「哺乳類では体細胞が胚細胞に初期化されることはありえない」とは言い切れない。ただ植物と動物が分岐したのが10億年前、両者の時間距離は20億年も離れており、「体細胞の初期化」がそう簡単に哺乳類で起こせるとは思えない。
 植物の場合、動物と異なり移動の自由がなく、哺乳類と異なり血管系も免疫系もないから、生殖の時期まで個体を維持できない場合に、「自己そのものを体細胞から再生する」という遺伝子のエスケープルートが用意されている、と見るのが妥当ではないかと思う。
 この場合、その遺伝子から見ると、一周遅れで遺伝子の「適応放散レース」に参加することになり、必ずしもメリットとはいえない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【日本版ORI】難波先生より | トップ | 【三次喫煙】難波先生より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事