【玉音放送】
今上天皇に生前退位の意向があり、現行の「皇室典範」に抵触しないように、憲法の定める「象徴天皇」に徹したいというお考えが、8/8(月)のテレビ放送を通じて表明されるらしい。
ところが8/4(木)中国電力の下請け会社が、「8月8日14:00〜15:00、三相交流用のトランスを付けるために、停電させてもらいたい」と言ってきた。即座に「今の時点でそれは承服できない。10分間にわたる<玉音放送>が録画の放映なのか、生中継なのかが未定だ。生中継なら正午開始だろうが、録画なら午後になる可能性がある」と承諾できない理由を伝えた。
その後のGoogle Newsは8/6の広島原爆記念日と8/9長﨑原爆記念日を避けて、8/15の「終戦記念日」を避けるとすれば、8/8という日程しかないことを報じた。生中継ではなく録画メッセージを放映するとなれば、午後になるだろうと思っていたら、やはり<陛下は、来週8日月曜日の午後、録画によるビデオメッセージの形で「お気持ち」を述べられる見通し>(読売TV)と報じられた。まさに問題の停電時間帯に重なる可能性が出てきた。
その旨伝え、会社に善処するように申し出たら、しばらくして「別途電源車を用意し、工事中でも停電しないようにします」という回答があったので、工事を了承した。
1945/8/15の「玉音放送」は国民の多くは天皇による直接の生放送だと思ったが、実際は2〜3日前に録音されたSP版レコードの再生音だった。
今のTV放送も大部分は録画の再生であり、知らないから「生中継」と思って見ていることが多い。その意味では今度の放映も「玉音放送」に変わりはなかろう。
余談になるが、「神の代理人」であるローマ法皇にすら「生前退位」が認められている。「皇室典範」を改正して天皇の「生前退位」を認めて、どこが悪いのだろうか。
日本史をひもとくと、後鳥羽上皇だの、後白河法皇だの、退位した天皇が実権を手放さずに、いわゆる「院政」を敷いた時期はきわめて例外的だといえる。多くは「公家」と「武士」の対立を利用して、自分の権力保持を図ったものだった。(北畠親房 「神皇正統記」,岩波文庫,1975/11)
大正天皇は幼児期の脳膜炎のため身心発達に障害があった。このため在位わずか9年目の大正9(1920)年には、皇太子裕仁(後の昭和天皇)が摂政になっている。(原武史「大正天皇」朝日選書, 2000/11)
この時期はいわゆる「大正民主主義」の最盛期であり、昭和初期に台頭したような「天皇を利用した軍部の政治介入」は起こっていない。
もう50年も昔のことになるが、かつての「敵国」のアメリカ人が日本の皇族を激賞するのに驚いたことがある。ある縁があって、今上天皇(当時は皇太子)の弟常陸宮夫妻が、米NCI(国立がん研究所)の病理部を視察されたことがあった。初めに病理部長が部員をご夫妻に紹介し、握手が交わされた。その後、病理部の各研究室を訪問された。
お帰りになる時、部員全員がお見送りしたら、宮妃は一人一人の顔を見て、名前を呼び、親しく握手されたが、一人の名前の言い間違いもなかったという。
私はこの話を「皇族優秀譚」として受け取らず、「宮妃であるとは、なんと重荷なことよ」と受けとめた。親王の妃にしてこうだから、「皇后」であることの重荷は計り知れないだろう。
ローマ法皇に退位が少ないのは、カトリックは独身だからである。よって世襲制もない。
配偶者と行動を共にすることが求められ、さらに皇位継承者の男子を産むことが期待されている現行の「皇室典範」は平均寿命が50歳程度の明治期はいざ知らず、長寿が当たり前になった現在では、かなり残酷な制度だと私は思う。直近五代の天皇の寿命はこうだ。
第120代天皇「仁孝天皇」寿命47歳
第121代天皇「孝明天皇」寿命35歳
第122代天皇「明治天皇」寿命60歳
第123代天皇「大正天皇」寿命47歳
第124代天皇「昭和天皇」寿命89歳
まあ、この続きは8/8、15:00からの「天皇のテレビ会見」を観てからのことにしたい。
今上天皇に生前退位の意向があり、現行の「皇室典範」に抵触しないように、憲法の定める「象徴天皇」に徹したいというお考えが、8/8(月)のテレビ放送を通じて表明されるらしい。
ところが8/4(木)中国電力の下請け会社が、「8月8日14:00〜15:00、三相交流用のトランスを付けるために、停電させてもらいたい」と言ってきた。即座に「今の時点でそれは承服できない。10分間にわたる<玉音放送>が録画の放映なのか、生中継なのかが未定だ。生中継なら正午開始だろうが、録画なら午後になる可能性がある」と承諾できない理由を伝えた。
その後のGoogle Newsは8/6の広島原爆記念日と8/9長﨑原爆記念日を避けて、8/15の「終戦記念日」を避けるとすれば、8/8という日程しかないことを報じた。生中継ではなく録画メッセージを放映するとなれば、午後になるだろうと思っていたら、やはり<陛下は、来週8日月曜日の午後、録画によるビデオメッセージの形で「お気持ち」を述べられる見通し>(読売TV)と報じられた。まさに問題の停電時間帯に重なる可能性が出てきた。
その旨伝え、会社に善処するように申し出たら、しばらくして「別途電源車を用意し、工事中でも停電しないようにします」という回答があったので、工事を了承した。
1945/8/15の「玉音放送」は国民の多くは天皇による直接の生放送だと思ったが、実際は2〜3日前に録音されたSP版レコードの再生音だった。
今のTV放送も大部分は録画の再生であり、知らないから「生中継」と思って見ていることが多い。その意味では今度の放映も「玉音放送」に変わりはなかろう。
余談になるが、「神の代理人」であるローマ法皇にすら「生前退位」が認められている。「皇室典範」を改正して天皇の「生前退位」を認めて、どこが悪いのだろうか。
日本史をひもとくと、後鳥羽上皇だの、後白河法皇だの、退位した天皇が実権を手放さずに、いわゆる「院政」を敷いた時期はきわめて例外的だといえる。多くは「公家」と「武士」の対立を利用して、自分の権力保持を図ったものだった。(北畠親房 「神皇正統記」,岩波文庫,1975/11)
大正天皇は幼児期の脳膜炎のため身心発達に障害があった。このため在位わずか9年目の大正9(1920)年には、皇太子裕仁(後の昭和天皇)が摂政になっている。(原武史「大正天皇」朝日選書, 2000/11)
この時期はいわゆる「大正民主主義」の最盛期であり、昭和初期に台頭したような「天皇を利用した軍部の政治介入」は起こっていない。
もう50年も昔のことになるが、かつての「敵国」のアメリカ人が日本の皇族を激賞するのに驚いたことがある。ある縁があって、今上天皇(当時は皇太子)の弟常陸宮夫妻が、米NCI(国立がん研究所)の病理部を視察されたことがあった。初めに病理部長が部員をご夫妻に紹介し、握手が交わされた。その後、病理部の各研究室を訪問された。
お帰りになる時、部員全員がお見送りしたら、宮妃は一人一人の顔を見て、名前を呼び、親しく握手されたが、一人の名前の言い間違いもなかったという。
私はこの話を「皇族優秀譚」として受け取らず、「宮妃であるとは、なんと重荷なことよ」と受けとめた。親王の妃にしてこうだから、「皇后」であることの重荷は計り知れないだろう。
ローマ法皇に退位が少ないのは、カトリックは独身だからである。よって世襲制もない。
配偶者と行動を共にすることが求められ、さらに皇位継承者の男子を産むことが期待されている現行の「皇室典範」は平均寿命が50歳程度の明治期はいざ知らず、長寿が当たり前になった現在では、かなり残酷な制度だと私は思う。直近五代の天皇の寿命はこうだ。
第120代天皇「仁孝天皇」寿命47歳
第121代天皇「孝明天皇」寿命35歳
第122代天皇「明治天皇」寿命60歳
第123代天皇「大正天皇」寿命47歳
第124代天皇「昭和天皇」寿命89歳
まあ、この続きは8/8、15:00からの「天皇のテレビ会見」を観てからのことにしたい。
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