【負け犬】それから約20年後、酒井順子「負け犬の遠吠え」(講談社, 2003)がベストセラーになった。酒井は1966年東京都生まれだから、出版時37歳である。
この本は「余はいかにして負け犬となりしか」という章から始まる。「負け犬」の定義は、「未婚、子なし、30代以上(1973年以前の生まれ)の女性」である。
「いわゆる普通の家庭というものを築いていない人を、負け犬と呼ぶ」と彼女は言う。
余談だが、小泉改革の後で「勝ち組、負け組」という言葉が生まれたが、もとは酒井のこの本の中の「勝ち犬、負け犬」という用語にあるようだ。
この本では直接にラジカル・フェミニズムを糾弾してはいないが、「翔(とん)でる女性」を目指した結果、「嫁がず、産まず、この歳に」なったことを嘆いている。巻末の「負け犬にならないための十ヵ条」では、第一に「不倫をしない」ことをあげている。男ならソープランドや「ホテトル」があるが、独身女性にとって安全な性処理の相手となると、既婚の男性相手の「不倫」しかない。未婚男性だと結婚を迫られるからだ。これが「晩婚化・少子化の大きな原因になっている」と酒井はいう。この本がよく売れたのはフェミニズムにかぶれた多くの女性が、「負け犬」の境遇になっていたからである。
エリザベート・バタンテール「迷走フェミニズム:これでいいのか男と女」(新曜社, 2006)が、アメリカのラディカル・フェミニズムを批判したのが、それから間もなくである。彼女はパリ理工科学校の哲学教授であり、夫は弁護士で子どももある。夫のロベールはミッテラン大統領の時に法務大臣となり、1981年フランスの死刑を廃止している。彼のおかげでギロチン台は博物館入りしたのである。
彼女の主張は婦人参政権を求める運動を「第一期フェミニズム」とし、女性の社会的進出を求める運動を「第二期フェミニズム」と位置づけ、婚姻制度そのものを否定したり、「チェアーマン」を「チェアーパーソン」と言い換えさせたりする第三期の「ラディカル・フェミニズム」は有害だ、とするものだった。
それはともかく、「従軍慰安婦」ということばは、「女は男の共同便所だった」とする田中美津により造語され、元毎日新聞記者千田夏光により広められたものである。(千田夏光「従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発」、三一書房, 1973)
当初は「従軍」という言葉がつくことで、「軍の関与、強制連行」を示すと主張されたが、例の吉田清治の「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房, 1983)が全くのフィクションであることを、当の本人が告白してから状況が変わり、フェミニストは「従軍」という言葉がつくと「従軍記者」のように「任意で行った」ととられる恐れがあると、「従軍慰安婦」という用語を忌避し、たんに「慰安婦」と呼ぶように要求するようになった。
「慰安婦」なら英語でComfort Womanで、売春婦の別名である。普仏戦争を背景にしたモーパッサン「脂肪の塊」に出てくるヒロインも慰安婦である。仏軍なら相手にするが、敵のプロシア兵には身を任さないという愛国心で、フランス人を感動させたのである。こっちの言葉の方によほど任意性があると思うが、理屈と膏薬はどこにでもつく。
中国はあまり問題にしないが、韓国はこれからも「従軍慰安婦」を問題にしてくると思われる。日本側に事態をここまで悪化させた原因があることをきちんと認識する必要があろう。
この本は「余はいかにして負け犬となりしか」という章から始まる。「負け犬」の定義は、「未婚、子なし、30代以上(1973年以前の生まれ)の女性」である。
「いわゆる普通の家庭というものを築いていない人を、負け犬と呼ぶ」と彼女は言う。
余談だが、小泉改革の後で「勝ち組、負け組」という言葉が生まれたが、もとは酒井のこの本の中の「勝ち犬、負け犬」という用語にあるようだ。
この本では直接にラジカル・フェミニズムを糾弾してはいないが、「翔(とん)でる女性」を目指した結果、「嫁がず、産まず、この歳に」なったことを嘆いている。巻末の「負け犬にならないための十ヵ条」では、第一に「不倫をしない」ことをあげている。男ならソープランドや「ホテトル」があるが、独身女性にとって安全な性処理の相手となると、既婚の男性相手の「不倫」しかない。未婚男性だと結婚を迫られるからだ。これが「晩婚化・少子化の大きな原因になっている」と酒井はいう。この本がよく売れたのはフェミニズムにかぶれた多くの女性が、「負け犬」の境遇になっていたからである。
エリザベート・バタンテール「迷走フェミニズム:これでいいのか男と女」(新曜社, 2006)が、アメリカのラディカル・フェミニズムを批判したのが、それから間もなくである。彼女はパリ理工科学校の哲学教授であり、夫は弁護士で子どももある。夫のロベールはミッテラン大統領の時に法務大臣となり、1981年フランスの死刑を廃止している。彼のおかげでギロチン台は博物館入りしたのである。
彼女の主張は婦人参政権を求める運動を「第一期フェミニズム」とし、女性の社会的進出を求める運動を「第二期フェミニズム」と位置づけ、婚姻制度そのものを否定したり、「チェアーマン」を「チェアーパーソン」と言い換えさせたりする第三期の「ラディカル・フェミニズム」は有害だ、とするものだった。
それはともかく、「従軍慰安婦」ということばは、「女は男の共同便所だった」とする田中美津により造語され、元毎日新聞記者千田夏光により広められたものである。(千田夏光「従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発」、三一書房, 1973)
当初は「従軍」という言葉がつくことで、「軍の関与、強制連行」を示すと主張されたが、例の吉田清治の「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房, 1983)が全くのフィクションであることを、当の本人が告白してから状況が変わり、フェミニストは「従軍」という言葉がつくと「従軍記者」のように「任意で行った」ととられる恐れがあると、「従軍慰安婦」という用語を忌避し、たんに「慰安婦」と呼ぶように要求するようになった。
「慰安婦」なら英語でComfort Womanで、売春婦の別名である。普仏戦争を背景にしたモーパッサン「脂肪の塊」に出てくるヒロインも慰安婦である。仏軍なら相手にするが、敵のプロシア兵には身を任さないという愛国心で、フランス人を感動させたのである。こっちの言葉の方によほど任意性があると思うが、理屈と膏薬はどこにでもつく。
中国はあまり問題にしないが、韓国はこれからも「従軍慰安婦」を問題にしてくると思われる。日本側に事態をここまで悪化させた原因があることをきちんと認識する必要があろう。
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