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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【顔の見える記事を!】難波先生より

2015-09-14 12:34:47 | 難波紘二先生
【顔の見える記事を!】
 「本には参考にした文献のリストと索引を、新聞記事には署名を」と言い続けている。
9/7「中国」の一面トップ記事「がん拠点病院で就労支援、ハローワーク職員が出張、治療と両立図る=厚労省方針」には驚いた。末尾に(山岡文子=共同)と記載されていたからだ。すべからく新聞・雑誌記事はこうあってほしい。「がんは死病」という誤った認識のため、がんと分かると失職する人が依然として多いという記事だ。だったら「がん検診」をやめたらよい。
 レナード・ショッパ『<最後の社会主義国>日本の苦闘』(毎日新聞社,2006)は、ソ連崩壊の後、最後に残った社会主義の国が日本だと述べている。組織や官僚体制があって、個人の自立ができていない、それが日本であり、やがて崩壊すると指摘している。帯には「なぜ子供の産めない国になったのか?!」とある。
 野口悠紀雄『1940年体制:さらば「戦時経済」』(東洋経済新報社, 1995)が指摘したように、日本は戦争遂行のために社会主義(全体主義)国家になった。敗戦で軍部はなくなったが、統制主体の官僚や大企業はそのまま残った。マスコミも同様である。そこがドイツと違う。

 かつての高度成長経済を支えたのは、終身雇用制の無名の企業戦士たちつまり「会社人間」である。あの時代には「会社のために自分がいた」。だが1990年のバブル破裂で、終身雇用制は崩れ始めた。もう「自分のために会社がある」と思うべき時代になった。
 記事は会社の健康診断、がん検診により退職に追いこまれた人が非常に多く、その就労が大問題になっている、ということを詳しく報じたものだ。未だに「がん=死病」と考えている企業が多いのに驚いた。我が家では家内も私も、昔から健康診断もがん検診も受けない。症状があれば受診する。
 それはともかく、こうして記事に名前が載るようになっただけでも、記者の励みになるだろう。よい記事を書いて有名になり、個人の信用力を高めることだ。そうなれば会社にしがみつく必要もなくなる。メディアの質も向上するだろう。スポーツ選手もタレントもとっくにそうしている。

 「東洋経済オンライン」の中村陽子記者による<世界の潮流「修復腎移植」を阻む移植学会の闇:裏には「透析医療の利権問題」も>という記事には11件のコメントがあり、京都高雄病院の江部康二院長が自分のブログで「修復腎移植を支持する」という意外な展開をみせた。「修復腎移植はありえない!」と最初に書き込んだ関東逓信病院泌尿器科の安部光洋医師も「とんだやぶ蛇」と嘆いていることだろう。
 http://toyokeizai.net/articles/-/80469?page=3

 ちょっとも懲りないのが「東京オンコロジークリニック」の大場大(まさる)医師だろう。9/8、散髪屋に出かけたので先に本屋に行ったら、「週刊文春」9/10号がまだあった。近藤誠vs.大場大の論争が知りたかったので新刊の新書2冊とあわせて買った。
 この「オーシャン」というチェーン店(広島県内に23店舗ある)は値段が安い(カット1,300円)ので、平日の昼過ぎなのに客が多い。その多くは年金暮らしと思われる老人だ。待ちながら3ページの記事を読んだ。ことの次第はこうらしい。

1.2015/8:大場大『がんとの賢い闘い方:「近藤誠理論」徹底批判』が新潮新書で出た。
2.「週刊文春」8/13・20合併号が近藤誠vs大場大「<がん放置療法>は正しいのか?」という、二人の2時間半に及ぶ対談にもとづく対談記事を掲載した。この時に両者間に「対談で触れなかった話題やデータを編集段階で付け加えない。対談時に話していない言葉も加筆しない」という約束が成立していた。ところが、大橋はその後「週刊新潮」の取材をうけ、その結果:
3.「週刊新潮」9/3号に大場大「批判されても反論でもがん放置<近藤誠>医師の7つの嘘」という「特別読物」が掲載されたそうだ。その際に大場医師は対談時に話していないことを、あたかも議論されたかのように沢山もち出しているそうだ。
4.それはフェアーでないというのが「週刊文春」9/10号記事「近藤誠<週刊新潮>がん報道を論破する」の主旨だ。(但し執筆記者の署名はない。)副題に「大場医師の反論は後だしジャンケンだ」とある。

 大場医師は「セカンド・オピニオン」クリニックを帝国ホテル・タワー内に構えたというから、さぞかし運転資金が大変だろう。
 この記事では近藤誠が、「新しい医療を導入する際にはその効果の証明責任は医療を行う側にある。欧米では肺ガン検診を導入する前にランダム比較試験をおこなったら、結果は無効だったので、導入されなかった。新薬についても同じこと。ところが手術に関してはその有効性のエビデンスがないものが多い」と指摘しているが、的を射ていると思う。

 私の留学時代の友人は、70年代の後半に帰国する際にアメリカ横断旅行をして東海岸から西海岸まで行った。そこで車を売って日本に帰ったのだが、途中で胃潰瘍になり帰国してすぐ入院して胃を切られた。
 私は1995年、ストレスで胃炎と不眠症になり、入院したら胃内視鏡による生検で、萎縮性胃炎とピロリ菌が見つかり「除菌」をすすめられた。「なに、これまでずっと共生してきた菌だから何か良いこともしているに違いない」と言って、放置してきた。ピロリ菌には「生きたかったら、これからはおとなしくしておれよ」と言い聞かせた。
 ところが2005年頃、夏に軽井沢・長野・小諸などを家内と旅行している最中に胃痛に見舞われた。牛乳を飲むとしばらくは痛みが消える。「これは多発性の胃潰瘍だ」と自己診断して、帰宅して病院を受診し除菌療法を受けた。以後、胃はなんともない。肉をたっぷり食っても、胃酸分泌は正常らしく、便に肉の小片が混じることもない。
(NHK「試してガッテン」のお薦めと違い、私は排便後自分の出したものをよく見て、血が付いていないか、全体に均質か、などをよく観察した後、ボタンを押して水流に乗るところをよく観察する。面白いのは肉食主体だから、食物繊維がないのでタヌキの糞のように小球状になり、渦に乗って流れ終わるまでに、便全体がすっかり観察できることだ。)
 もし私が1970年代に胃潰瘍を発症していたら、ピロリ菌と胃潰瘍の関係、除菌療法による治療法が知られていなかったので、胃切除になっていただろうと思う。

 同じように1980年代に乳がんになった女性はみな「ハルステッド手術」といって、乳房だけでなく大胸筋や腋窩リンパ節の切除を含む大手術を受けさせられた。胸は洗濯板みたいになったものだ。今は「腫瘤切除」という乳房温存術が主流になっている。これは近藤誠の功績だ。
 外科手術にはファッションがあるから、受けるかどうかはよく考えた方がよい。手遅れになる可能性と逆に切らなくても済む治療法が開発される可能性と両方ある。
 「大場さんだけでなく手術医全体が、<証明責任>という言葉にナーバスになっている。なぜならエビデンスがない事こそが彼らのアキレス腱だからです。」
という近藤さんの言葉には説得力があると思った。

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