【渚にて】連休中に米映画「渚にて」(原作=ネビル・シュート、監督=スタンリー・クレイマー、製作1959年)を観た。恐らく約60年ぶりではないかと思う。もちろん北朝鮮問題が最悪の展開を見せた場合のことが、脳中にある。
冒頭、原子力潜水艦が浮上するシーンから、キャストを紹介する字幕の背景に流れる音楽を聴いて「どこかで聞いたことがあるな…」と思った。
https://www.youtube.com/watch?v=EMzEWpKKOZs
そう、これはオーストラリア民謡「Waltzing Matilda(ワルチング・マチルダ)」の曲だ。スローテンポで交響曲風に編曲されているので初めは気がつかなかった。
そのうち「この曲を日本語の歌詞で歌ったことがある」と思い出した。どうも歌詞に「我ら自由の放浪者」という一節があった。この一節をキーワードにしてGoogle検索したら、以下の2番の歌詞が見つかった。Waltzingを「ウォルシング」と訳すのは誤訳と思うが、そのまま引用する。
ユーカリ茂る川の岸辺に
キャンプの火を囲んで
声をそろえて歌うこの歌
ウォルシング マチルダの調べよ
ウォルシング マチルダ
ウォルシング マチルダ
われら自由の放浪者
マチルダ肩に さあ友よ歌わん
ウォルシング マチルダの調べよ
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/007/99worusing.html
こうなると記憶の連鎖が曲と歌詞を結びつけ、歌詞を見ただけで曲の流れを思い出すから不思議だ。だが、いつこの映画を見たのか、日本語の歌を誰からいつ聞いたのかがはっきりしない。映画の日本公開は1960年だが、米国での製作・公開は1959年で、59年にはこの曲と歌を知っていたように思う。歌だけ先に入って来たのかもしれない。
驚いたのはこの曲の小節が、マーチ風とか叙情曲風にアレンジされて、各シーンの背景音楽として流れることだ。主旋律の変奏曲だけで映画が成り立つというのも珍しい。スタンリー・キュブリックの「2001年宇宙の旅」では、背景音楽はすべて古典的名曲だけを用いていた。時系列的には「渚にて」が先行するので、キュブリックがこの映画から背景音楽についてヒントを得たのかも知れない。
映画が進行するにつれて、オーストラリア海軍士官のホームズ少佐(アンソニー・パーキンス)の妻マリーの友人モイラ(エヴァ・ガードナー)と米原子力潜水艦艦長タワーズ中佐(グレゴリー・ペック)が恋におちる。川マス漁が解禁になったと知り、二人が渓谷に川マス釣りに出かける。川岸で多くの市民が釣りをしていて、みんなで「ウォルティング・マチルダ」を合唱している。
英語Googleで「Waltzing Matilda Lyrics」を検索したら以下が見つかった。
Once a jolly swagman camped by a billabong,
Under the shade of a Coolibah tree,
And he sang as he watched and waited till his billy boil,
You'll come a Waltzing Matilda with me.
Waltzing Matilda, Waltzing Matilda,
You'll come a Waltzing Matilda with me,
And he sang as he watched and waited till his billy boil
You'll come a Waltzing Matilda with me.
ただ「われら自由の放浪者」に相当する一節をどうしても見つけられない。
1959年製作のこの映画は、5年後の近未来に世界全面核戦争が発生し、生き残った人類はオーストラリアの人々と潜行中だった米原潜1隻の乗組員だけという設定になっている。
オーストラリア東海岸メルボルンの根拠地に入港した原潜と乗組員。オーストラリア海軍提督の命令で米軍原潜に乗り組むホームズ少佐。
その間にも放射能に汚染された大気が徐々に南半球にも近づいてくる。
タワーズ艦長に出港命令が下った。人が死に絶えたはずのサンフランシスコから誰かが無線機のキーを叩いて、無線を送っている。上陸して状況を把握せよ、というものだ。
出港した原子力潜水艦スコルピオンはまずアラスカに直行し、大気の汚染度を測定する。その後、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通って、フィッシャーマン・ウォーフの近くに停泊する。
どうやって撮影したのかわからないが、坂の町サンフランシスコが完全に無人となり不気味な光景が広がる。
無電の発信源はサンディエゴとわかり、艦はさらに南下する。放射能防護服に身を固めた決死隊員が1人でゴムボートを漕ぎ、上陸して発信源を突きとめる。許容時間は1時間で、浮上した潜水艦から15分ごとに警告のサイレンが鳴らされる。ここは美事なサスペンスドラマになっている。
この映画では、北半球で核兵器使用を伴う第三次世界大戦が発生し、北半球は完全壊滅、発生した放射能雲が徐々に南半球のオーストラリアにも押し寄せる、というグランド・デザインは伏せられている。観客は映画が進行するにつれて、人々の会話や生活の変化を通じて、深刻で危機的な事態を知るようになっている。
ついにメルボルンの空気中の放射線量が危険な数値に上昇し、医師たちが安楽死用の薬を人々に配布し始める。スコルピオン号のタワーズ館長は、出港して米国に帰国するか、それともメルボルンに残るかを乗組員の衆議にまかせる。多数意見は「出港・帰国」で、艦は無人の米国に向かう。
渚でただ一人、恋人タワーズの乗る潜水艦を見送るモイラ。目の前で潜水艦は潜航体勢に入り、大量の水泡に包まれて海中に消えて行く。
この映画には声高な反戦・反核の主張は一切ない。それだけに「北半球が全面核戦争により壊滅し、発生した高濃度放射能雲が戦争とは無関係なオーストラリアに押し寄せる」というプロットを、人々の日常生活の変化を通じて静かに描いている点で、非常に説得的だ。
原発事故の後遺症に苦しんでいる福島県の人たちにも通じるところがある。
ネビル・シュートの原作「渚にて」も読んでみたいと思った。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
冒頭、原子力潜水艦が浮上するシーンから、キャストを紹介する字幕の背景に流れる音楽を聴いて「どこかで聞いたことがあるな…」と思った。
https://www.youtube.com/watch?v=EMzEWpKKOZs
そう、これはオーストラリア民謡「Waltzing Matilda(ワルチング・マチルダ)」の曲だ。スローテンポで交響曲風に編曲されているので初めは気がつかなかった。
そのうち「この曲を日本語の歌詞で歌ったことがある」と思い出した。どうも歌詞に「我ら自由の放浪者」という一節があった。この一節をキーワードにしてGoogle検索したら、以下の2番の歌詞が見つかった。Waltzingを「ウォルシング」と訳すのは誤訳と思うが、そのまま引用する。
ユーカリ茂る川の岸辺に
キャンプの火を囲んで
声をそろえて歌うこの歌
ウォルシング マチルダの調べよ
ウォルシング マチルダ
ウォルシング マチルダ
われら自由の放浪者
マチルダ肩に さあ友よ歌わん
ウォルシング マチルダの調べよ
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/007/99worusing.html
こうなると記憶の連鎖が曲と歌詞を結びつけ、歌詞を見ただけで曲の流れを思い出すから不思議だ。だが、いつこの映画を見たのか、日本語の歌を誰からいつ聞いたのかがはっきりしない。映画の日本公開は1960年だが、米国での製作・公開は1959年で、59年にはこの曲と歌を知っていたように思う。歌だけ先に入って来たのかもしれない。
驚いたのはこの曲の小節が、マーチ風とか叙情曲風にアレンジされて、各シーンの背景音楽として流れることだ。主旋律の変奏曲だけで映画が成り立つというのも珍しい。スタンリー・キュブリックの「2001年宇宙の旅」では、背景音楽はすべて古典的名曲だけを用いていた。時系列的には「渚にて」が先行するので、キュブリックがこの映画から背景音楽についてヒントを得たのかも知れない。
映画が進行するにつれて、オーストラリア海軍士官のホームズ少佐(アンソニー・パーキンス)の妻マリーの友人モイラ(エヴァ・ガードナー)と米原子力潜水艦艦長タワーズ中佐(グレゴリー・ペック)が恋におちる。川マス漁が解禁になったと知り、二人が渓谷に川マス釣りに出かける。川岸で多くの市民が釣りをしていて、みんなで「ウォルティング・マチルダ」を合唱している。
英語Googleで「Waltzing Matilda Lyrics」を検索したら以下が見つかった。
Once a jolly swagman camped by a billabong,
Under the shade of a Coolibah tree,
And he sang as he watched and waited till his billy boil,
You'll come a Waltzing Matilda with me.
Waltzing Matilda, Waltzing Matilda,
You'll come a Waltzing Matilda with me,
And he sang as he watched and waited till his billy boil
You'll come a Waltzing Matilda with me.
ただ「われら自由の放浪者」に相当する一節をどうしても見つけられない。
1959年製作のこの映画は、5年後の近未来に世界全面核戦争が発生し、生き残った人類はオーストラリアの人々と潜行中だった米原潜1隻の乗組員だけという設定になっている。
オーストラリア東海岸メルボルンの根拠地に入港した原潜と乗組員。オーストラリア海軍提督の命令で米軍原潜に乗り組むホームズ少佐。
その間にも放射能に汚染された大気が徐々に南半球にも近づいてくる。
タワーズ艦長に出港命令が下った。人が死に絶えたはずのサンフランシスコから誰かが無線機のキーを叩いて、無線を送っている。上陸して状況を把握せよ、というものだ。
出港した原子力潜水艦スコルピオンはまずアラスカに直行し、大気の汚染度を測定する。その後、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通って、フィッシャーマン・ウォーフの近くに停泊する。
どうやって撮影したのかわからないが、坂の町サンフランシスコが完全に無人となり不気味な光景が広がる。
無電の発信源はサンディエゴとわかり、艦はさらに南下する。放射能防護服に身を固めた決死隊員が1人でゴムボートを漕ぎ、上陸して発信源を突きとめる。許容時間は1時間で、浮上した潜水艦から15分ごとに警告のサイレンが鳴らされる。ここは美事なサスペンスドラマになっている。
この映画では、北半球で核兵器使用を伴う第三次世界大戦が発生し、北半球は完全壊滅、発生した放射能雲が徐々に南半球のオーストラリアにも押し寄せる、というグランド・デザインは伏せられている。観客は映画が進行するにつれて、人々の会話や生活の変化を通じて、深刻で危機的な事態を知るようになっている。
ついにメルボルンの空気中の放射線量が危険な数値に上昇し、医師たちが安楽死用の薬を人々に配布し始める。スコルピオン号のタワーズ館長は、出港して米国に帰国するか、それともメルボルンに残るかを乗組員の衆議にまかせる。多数意見は「出港・帰国」で、艦は無人の米国に向かう。
渚でただ一人、恋人タワーズの乗る潜水艦を見送るモイラ。目の前で潜水艦は潜航体勢に入り、大量の水泡に包まれて海中に消えて行く。
この映画には声高な反戦・反核の主張は一切ない。それだけに「北半球が全面核戦争により壊滅し、発生した高濃度放射能雲が戦争とは無関係なオーストラリアに押し寄せる」というプロットを、人々の日常生活の変化を通じて静かに描いている点で、非常に説得的だ。
原発事故の後遺症に苦しんでいる福島県の人たちにも通じるところがある。
ネビル・シュートの原作「渚にて」も読んでみたいと思った。
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