【エナガ】今朝11/30は朝7時頃起きて2階から見下ろすと、仕事場の黒い屋根が周囲だけ厚い霜のために白くなっていた。屋根裏にも断熱材を敷いてあるのだが、やはり夜間の放熱は避けられない。外気温がー2℃、仕事場の室温が14℃だった。(添付1)
朝は快晴で、雲ひとつなく、仕事場脇の雑木にこの冬はじめて、数羽のエナガの群がやってきて、樹皮をつついて虫をついばみ始めた。キツツキは樹皮の厚い樹にとまって、コツコツと木に穴を掘り、深部にいる虫を食べるが、それと違って、チョコチョコと動き回るから、写真が撮りにくい。
おまけに、冬だからカーテンをレールごと外してあるのだが、二重ガラスの清掃をしていないので、くもりがある。(添付2)
http://ja.wikipedia.org/wiki/エナガ
写真はやはりガラスのくもりが写ったが、カメラの動きをエナガはあまり気にしなかった。
カラスやヒヨドリは非常に敏感で、動きを感じたらすぐに飛び立ってしまうので、なかなか撮影できない。
この鳥は冬になると現れるので渡り鳥かと思っていたが、WIKIによると「留鳥」らしい。
夏はもっと高いところにいるのだろう。
頭の真ん中が白くて、両脇に黒いすじがあるところが、新撰組を思わせるところがあり、「新撰組」とあだ名をつけていたが、「エナガ」の語源は「柄杓」(えなが)に似ているところから来たのだそうだ。確かに胴の長さと同じくらいに尾羽が長いから、ヒシャクに喩えたのもわからないでもない。
梶島孝雄「資料 日本動物史」をみるとエナガは載っておらず、古文献では「雀」と一緒になっていたのだろうと思う。
「日本書紀」には赤雀、白雀、3本足の赤雀が出てくる。年号に「朱雀」がある。
日本を統一した偉大な天皇天武の時代、686年に「朱雀(朱鳥)」と改元されているが、これは天武6(677)年に太宰府から「朱烏」が献上され、天武9(680)年に飛鳥宮殿の南門に「朱雀」が見かけられたという事蹟と、686(天武15)年、天皇が恐らく「躁うつ病」の躁期と思われる病気にかかり、その平癒を願って「朱雀(朱鳥」と改元したものだ。
687年正月から「朱雀元年」になったが、天皇の病は癒えず、9月に死去。妃が即位して持統元年に変わった。(岩波文庫「日本書紀5」)
エナガはユーラシア大陸全体にひろく分布している。きわめて特徴的な小鳥なので、これがその頃いたとすれば、シジュウカラ科のこの鳥が見逃されるとは考えにくい。我々は「今あることは大昔からある」と思いこみがちだが、気候大変動である「中世温暖期」は、およそ9世紀に始まり13世紀まで400年間続いた。その後、地球は寒冷化した。するとこの寒冷化の時代に大陸から日本に渡って来た可能性もあるだろう。
北隆館「新日本動物図鑑3」をみると、エナガはなんと巣を作るのに、苔を集めてそれをクモの糸で綴るそうだ。楕円形で木の瘤のように見えるという。恐らくクモ糸で木に巻き付けるのであろうが、クモ糸を人間より先に利用していた動物がいるとは…。

朝は快晴で、雲ひとつなく、仕事場脇の雑木にこの冬はじめて、数羽のエナガの群がやってきて、樹皮をつついて虫をついばみ始めた。キツツキは樹皮の厚い樹にとまって、コツコツと木に穴を掘り、深部にいる虫を食べるが、それと違って、チョコチョコと動き回るから、写真が撮りにくい。
おまけに、冬だからカーテンをレールごと外してあるのだが、二重ガラスの清掃をしていないので、くもりがある。(添付2)

http://ja.wikipedia.org/wiki/エナガ
写真はやはりガラスのくもりが写ったが、カメラの動きをエナガはあまり気にしなかった。
カラスやヒヨドリは非常に敏感で、動きを感じたらすぐに飛び立ってしまうので、なかなか撮影できない。
この鳥は冬になると現れるので渡り鳥かと思っていたが、WIKIによると「留鳥」らしい。
夏はもっと高いところにいるのだろう。
頭の真ん中が白くて、両脇に黒いすじがあるところが、新撰組を思わせるところがあり、「新撰組」とあだ名をつけていたが、「エナガ」の語源は「柄杓」(えなが)に似ているところから来たのだそうだ。確かに胴の長さと同じくらいに尾羽が長いから、ヒシャクに喩えたのもわからないでもない。
梶島孝雄「資料 日本動物史」をみるとエナガは載っておらず、古文献では「雀」と一緒になっていたのだろうと思う。
「日本書紀」には赤雀、白雀、3本足の赤雀が出てくる。年号に「朱雀」がある。
日本を統一した偉大な天皇天武の時代、686年に「朱雀(朱鳥)」と改元されているが、これは天武6(677)年に太宰府から「朱烏」が献上され、天武9(680)年に飛鳥宮殿の南門に「朱雀」が見かけられたという事蹟と、686(天武15)年、天皇が恐らく「躁うつ病」の躁期と思われる病気にかかり、その平癒を願って「朱雀(朱鳥」と改元したものだ。
687年正月から「朱雀元年」になったが、天皇の病は癒えず、9月に死去。妃が即位して持統元年に変わった。(岩波文庫「日本書紀5」)
エナガはユーラシア大陸全体にひろく分布している。きわめて特徴的な小鳥なので、これがその頃いたとすれば、シジュウカラ科のこの鳥が見逃されるとは考えにくい。我々は「今あることは大昔からある」と思いこみがちだが、気候大変動である「中世温暖期」は、およそ9世紀に始まり13世紀まで400年間続いた。その後、地球は寒冷化した。するとこの寒冷化の時代に大陸から日本に渡って来た可能性もあるだろう。
北隆館「新日本動物図鑑3」をみると、エナガはなんと巣を作るのに、苔を集めてそれをクモの糸で綴るそうだ。楕円形で木の瘤のように見えるという。恐らくクモ糸で木に巻き付けるのであろうが、クモ糸を人間より先に利用していた動物がいるとは…。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます