【元神戸新聞社長の死】
47NEWSが<元神戸新聞社長、山根秀夫氏死去:阪神大震災で陣頭指揮>と1/18夜、報じていた。75歳だったそうだ。阪神淡路大震災の発生日に1日遅れだが、まあ同じ日とみなしてよいだろう。
1995/1/17の震災で、神戸三宮にある本社の社屋が壊滅的打撃を受けながらも、「京都新聞」の協力を得て、1/17にも新聞を刊行したのは、当時、取締役編集局長だった山根英夫のリーダーシップが大きい。
私は「阪神大震災全記録」(神戸新聞社、1995/3)というグラビアMOOKを大切に保存している。これには同紙のコラム「正平調」が1/18〜2/18分まで収録されている。これ(Fig.1)は1/18朝刊の「正平調」だが、執筆者は山根英夫とみられる。山根は当日午前6時に本社当直に電話を入れ、午前7時に徒歩で本社に出勤している。(間違っていれば訂正したい。)
(Fig.1:1995/1/18、神戸新聞一面コラム「正平調」)
1/17の「神戸新聞」夕刊が出せたいきさつは、本書pp.172-175に書かれているが、結果として神戸新聞社は「地震・災害に強い」新聞発行システムを新たに作るのに成功した。その功績の多くは、編集局長山根英夫の活躍に帰せられるだろう。
47NEWSが<元神戸新聞社長、山根秀夫氏死去:阪神大震災で陣頭指揮>と1/18夜、報じていた。75歳だったそうだ。阪神淡路大震災の発生日に1日遅れだが、まあ同じ日とみなしてよいだろう。
1995/1/17の震災で、神戸三宮にある本社の社屋が壊滅的打撃を受けながらも、「京都新聞」の協力を得て、1/17にも新聞を刊行したのは、当時、取締役編集局長だった山根英夫のリーダーシップが大きい。
私は「阪神大震災全記録」(神戸新聞社、1995/3)というグラビアMOOKを大切に保存している。これには同紙のコラム「正平調」が1/18〜2/18分まで収録されている。これ(Fig.1)は1/18朝刊の「正平調」だが、執筆者は山根英夫とみられる。山根は当日午前6時に本社当直に電話を入れ、午前7時に徒歩で本社に出勤している。(間違っていれば訂正したい。)
(Fig.1:1995/1/18、神戸新聞一面コラム「正平調」)
1/17の「神戸新聞」夕刊が出せたいきさつは、本書pp.172-175に書かれているが、結果として神戸新聞社は「地震・災害に強い」新聞発行システムを新たに作るのに成功した。その功績の多くは、編集局長山根英夫の活躍に帰せられるだろう。
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