ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【渡辺淳一氏】難波先生より

2014-05-08 13:01:51 | 難波紘二先生
【渡辺淳一氏】
 5/6の各紙が伝えるところによると、4/30前立腺がんのため自宅で死去したという。2008年に診断され、その後骨転移などがあった。74歳で診断確定後6年の経過で死亡したことになる。近親者による密葬後に公表された。後日「お別れ会」が開かれるという。これが最近の葬制としてはほぼ一般化してきたように思う。
 「毎日」は署名記事による「評伝」を社会面に載せていて、訃報報道のあり方に新機軸を打ち出している。ともかく「署名のない記事」を私はまず信用しない。通信社配信でも社名と記者の名前を記入すべきだろう。(「中国」は一部これをしていた。)

 渡辺淳一というと札幌医大整形外科の講師時代に書いた「小説・心臓移植」(のち「白い宴」)を思い出す。68年8月に行われた札幌医大胸部外科で行われた和田心臓移植は、当初国民の熱狂的支持を集めた。和田教授による「ゆるぎなき命の塔を」(青河書房、1968/12)という本まですぐに出版された。
 医学界の内部から、この手術を批判したのが学内の渡辺淳一による小説と病理学の藤本輝夫教授だった。和田心臓移植は多くの人の運命を狂わせた。藤本教授は札医を去り、大阪市立大医学部の教授に転じたし、渡辺講師は69年に辞職し、上京して作家となった。和田自身も77年に札幌医大を辞し、榊原仟教授の後任として東京女子医大に移った。

 作家の吉村昭も71年にノンフィクション「消えた鼓動」を発表し、和田移植を批判した。吉村は「当時、マスコミは、ひとしくその手術を快挙として称賛し、一種の興奮状態にあった」と書いている。吉村は、手術直後に朝日新聞東京本社で行われた札幌=東京間の電話会談で、「患者は(大学の)内科からですか」という東大・心臓外科医の質問に答えて、和田が「外部の病院から直接来ました」と(後に嘘と判明する)回答をするのを聴いている。
 当時、心臓移植をテーマに新聞連載小説を準備していた吉村は、心臓移植には多量の輸血用血液が必要になることを知っていた。
 マスコミがレシピエント宮信夫の容態のみを、一喜一憂で報じている間に、吉村はドナーの調査から始めた。また輸血用血液が事前に大量に発注されていたことを知っていた。「ふっと信夫君のことを思い出し、手術直前に医師団を呼びだした」という和田の記者会見での言葉を聞き、「おかしい、とピンときた」という(「凍れる心臓」,共同通信社)。

 藤本教授は、レシピエント宮信夫に心移植が必要だったという証拠として、胸部外科から提出された元の心臓の弁がくり抜かれ、他人の弁とすり替えられているのを発見した。(後に弁と心臓本体の血液型が違っていることも見つかった。)データ捏造である。今回のSTAP騒動と同様だ。
 「和田心臓移植」事件は日本の移植医療に大打撃を与え、それは今も回復していない。移植医療に対する理解を深めるためにも「修復腎移植」の普及が必要なのである。今回の「STAP細胞」疑惑も、対応を誤れば、日本の幹細胞研究に壊滅的打撃を与える可能性がある。

 渡辺淳一は医師以外の人が手術を論評することに当初批判的だったが、手術の嘘が次々と浮上するにつれ、意見を変えた。それも大学を辞めた動機のひとつだろう。
 彼の作品には医学医療をテーマにしたものと、男女の愛をテーマにしたものとがあるが、後者のジャンルのものを私は「シャトウ・ルージュ」くらいしか読んでいない。
 日本の篤志解剖第1号となった遊女美幾をテーマにした「白き旅立ち」(新潮文庫)、野口英世をテーマにした「遠き落日」(角川文庫)は面白く読んだ。どちらも評伝小説といってよいだろう。「白き旅立ち」では日本の人体解剖の歴史も書かれていて、参考になった。学生実習のときに若い女性の遺体を解剖したら、胃の中からブドウの種が出てきて、その一粒をシャーレに入れて家に持ち帰り、本棚の隅に保存していた、という実話と思われるエピソードも書き込まれていて、小説のリアリティを増している。
 渡辺淳一は「病腎移植」騒動の時に、「週刊朝日」で許容できるとする意見を表明した数少ない「文化人」のひとりだった。もう少し長生きしてほしかった。
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3 コメント

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きちんと言論で (Unknown)
2014-05-09 10:44:29
今回のスタップ騒動をみていてつくづく、世論というものの、軽く、薄く、そして一歩間違った時の怖さを教えられました。万波先生しかり、山中先生までもがその中に。専門家でなくてもきちんと物事を見ていれば分かると思います。ただいつの時代も気に入らない意見にたいして言論で対峙せず卑怯な手段で封殺しようとする輩がいます。残念です。
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ものごころついてから初めて意識されたニュース (メダカとトクサ)
2014-05-10 03:52:06
和田心臓移植はものごころついてから初めて意識したニュースの1つです。
当時、小学校一年だったでしょうか。一挙手一投足が報道されていた患者の宮崎さんが幼稚園の先生と同じ名字だったので、特に印象に残っています。
歓迎報道の後、宮崎さんが亡くなると、突然手のひらを返したような批判ばかりになり、詳しい事情がわからない私は子供心に戸惑いました。
嘘をついて手術をしていたことは説明されて理解していたかな。
吉村さんも、正史に残っていない帰国漂流者による種痘の実施やシーボルトの娘いねの生涯など、医学史上の興味深い小説を書いていますよね。
医学史に関わる調査を少ししているので渡辺さんの小説も読んでみたいと思います。
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メダカとトクサさんへ (未だ未だ学ぶことの多いこと)
2014-05-10 08:40:05
物をしらないので恥ずかしいです。トクサは聞いたことがありますが詳しくは知りませんでした。生薬にも類するのでしょうか。メダカとの関連性が分からないのですが。
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