【RESから】
1)Nスペ「病の起源:第Ⅰ部・脳卒中」への意見について、前の国立科学博物館・人類学部長の馬場先生からメールがあった。
<私は、前回の「病の起源」シリーズで、人類進化の観点から、直立二足歩行と腰痛の関係、また上下顎の退縮と睡眠時無呼吸症の関係などを説明しました。
その因縁で、第1回の前日に放送された「病の起源プロローグ」での一般的な解説を頼まれ、人類進化との関係の及ぶ範囲でコメントを述べました。いわば前回のシリーズの復習的な雰囲気でした。
私は、今回の「病の起源」シリーズには関わっ ていないのですが、第1回の放送を見て、医学の素人である私でも、ずいぶんご都合主義の解釈を無理につなげて結論に持って行ってしまったなと思っていました。難波先生のご指摘を拝見して、良く理解できました。>
ご意見ありがとうございました。
まあ、私と似たような印象を受けられたようだ。
2002年4月28日放映のNスペ「奇跡の詩人」(重度脳性麻痺の少年が素晴らしい詩をつくるという話)は、大問題となり担当ディレクターは左遷された。(詳細は滝本太郎、石井謙一郎・編著『異議あり<奇跡の詩人>』,同時代社, 2002/6)
今回の「病の起源」はあれほどひどくはないが、「人類の進化と病」の関係について、あらかじめセオリーがあり、それに合うような事実だけを取りあげているように感じた。
病理学の一分野に「比較病理学」がある。「人間はもっとも詳しく調べられた動物である」のは事実だが、他の動物にも循環障害、代謝病、先天異常、腫瘍がある。
副腎髄質に「クロム親和細胞」があり、アドレナリン、ノルアドレナリンを分泌している。この細胞が腫瘍化すると高血圧症が起きる。血圧が高くなれば、脳出血が起こり、動物(患者)は死亡する。
この「クロム親和細胞腫(褐色細胞腫)」はまれな腫瘍だが、動物ではイヌ、ウシ、ウマに起こることが知られている。
実験動物としては京大の岡本耕三教授が開発した「先天性高血圧ラット」が知られている。これは遺伝病だ。
内陸の草原に住む動物でウシ、ヤギ、ヒツジなどは反芻性であり、複胃といい胃が4つある。ウマはヒトと同じく単胃である。
複胃の動物では第一胃から第三胃までは、食道と同じ扁平上皮で内面が被われ、噛み砕いた植物のセルロースを発酵により分解する。これらの胃は発酵胃であり、消化胃ではない。第四胃が消化胃になっている。この発酵細菌はポルフィリン核の中心部にコバルトをもつ、シアノコバラミンをも合成する。これはビタミンB12で核酸合成に不可欠なビタミンである。
反芻動物では胃内細菌がビタミンB12の合成をしているため、土壌にコバルトが欠乏した地域ではこれらの動物はビタミンB12の欠乏症を起こし、全身性の消耗疾患にかかり死亡する。
単胃のウマやヒトでは、この疾患は起こらない。
内陸部ではヨウ素が欠乏することがあり、これは甲状腺ホルモン=チロキシンに必要な元素であり、不足するとヒトでも動物でも、甲状腺の肥大(単純性甲状腺腫)が起きる。チロキシン不足だと、妊娠、胎児発育に異常が起こるため、動物が繁殖しなくなる。亜麻科の植物にはリナマリンというヨウ素の利用をブロックする配糖体が含まれており、土中のヨウ素が不足していなくても、家畜がこの植物を食べたために甲状腺腫が集団発生することがある。
病気を横断的にとらえる比較病理学とは別に、生物の進化の時間軸で病気をとらえる「進化医学」という分野がある。
病気を特定の遺伝子の問題として説明しようとする、F.R.レイリー『病気を起こす遺伝子』(東京化学同人, 2007)のような立場と異なり、遺伝子と環境への不適応の問題として、「病気」の出現を説明しようとする。
例えば、壊血病(ビタミンC欠乏症)はヒトを含む霊長類の一部とモルモット、ゾウなどにしか存在しない。熱帯雨林に棲んでいたヒトの祖先は果物を常食としていたので、2500万年前にビタミンC合成遺伝子を失ったにもかかわらず、何ら不都合を生じなかった。9万年前の出アフリカ、さらには16世紀以後の「大航海時代」を迎え、ビタミンC不足による壊血病が大問題になったのである。アイルランドでは冬場は生鮮野菜が欠乏するため壊血病が大問題だった。エスキモーはビタミンCが豊富な動物の副腎を生で食べるので壊血病が起こらない。(井村裕夫『人はなぜ病気になるのか:進化医学の視点』, 岩波書店, 2000)
進化生物学者のR.M.ネシーとJ.C.ウィリアムズは病気の原因に、「至近要因」と「進化的要因」の2種を区別しているが、通常の医学があげる病因は「至近要因」である。例えば壊血病の要因に「ビタミンC不足」をあげるが、進化的要因は「ビタミンC合成遺伝子の欠損」にある。(ネシー&ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか』, 新曜社, 2001)
人が水中で溺れ死ぬ原因は鰓がないからであるが、これは「進化的要因」であって、普通の医者は至近要因としての「空気欠乏」を死因としてあげる。
Nスペ「病の起源」においても、進化的要因と至近要因を区別して取り扱うように望みたい。
病気と言えば、ハリウッドの人気女優が乳がん遺伝子をもち片方に乳がんを発症したため、他方の乳腺を予防切除したことが、日本のメディアにより大々的に報じられた。家族性乳がんの場合、卵巣ガンの発症率も高くなる。
F.R.レイリー『病気を起こす遺伝子』(東京化学同人, 原著2004)によると、このような女性の場合、「もう子供はいらない」と判断するとすでに卵巣の予防切除が行われている。また「両側乳房切除」も予防法として行われている。
つまり米国では乳がんの遺伝的素因のある人が、予防切除を受けることは、すでに10年近く前に一般化していた。
この遺伝的素因は、アシュケナジ系ユダヤ人に多く、一般の白人や黒人、アジア人には少ない。恐らくこの女優も、アシュケナジ系(東欧系)のユダヤ人であろう。学者と同じくアメリカの芸能界にはユダヤ人が多い。
よって、この女優が予防手術を受けることを公表したとき、米メディアはぜんぜん驚かなかったが、無知な日本メディアが驚いて大々的に報道したにすぎない、と私は思う。
担当記者が普段からまじめに関連書をフォローしていれば、こういうことにはなるまいに、と思う。
1)Nスペ「病の起源:第Ⅰ部・脳卒中」への意見について、前の国立科学博物館・人類学部長の馬場先生からメールがあった。
<私は、前回の「病の起源」シリーズで、人類進化の観点から、直立二足歩行と腰痛の関係、また上下顎の退縮と睡眠時無呼吸症の関係などを説明しました。
その因縁で、第1回の前日に放送された「病の起源プロローグ」での一般的な解説を頼まれ、人類進化との関係の及ぶ範囲でコメントを述べました。いわば前回のシリーズの復習的な雰囲気でした。
私は、今回の「病の起源」シリーズには関わっ ていないのですが、第1回の放送を見て、医学の素人である私でも、ずいぶんご都合主義の解釈を無理につなげて結論に持って行ってしまったなと思っていました。難波先生のご指摘を拝見して、良く理解できました。>
ご意見ありがとうございました。
まあ、私と似たような印象を受けられたようだ。
2002年4月28日放映のNスペ「奇跡の詩人」(重度脳性麻痺の少年が素晴らしい詩をつくるという話)は、大問題となり担当ディレクターは左遷された。(詳細は滝本太郎、石井謙一郎・編著『異議あり<奇跡の詩人>』,同時代社, 2002/6)
今回の「病の起源」はあれほどひどくはないが、「人類の進化と病」の関係について、あらかじめセオリーがあり、それに合うような事実だけを取りあげているように感じた。
病理学の一分野に「比較病理学」がある。「人間はもっとも詳しく調べられた動物である」のは事実だが、他の動物にも循環障害、代謝病、先天異常、腫瘍がある。
副腎髄質に「クロム親和細胞」があり、アドレナリン、ノルアドレナリンを分泌している。この細胞が腫瘍化すると高血圧症が起きる。血圧が高くなれば、脳出血が起こり、動物(患者)は死亡する。
この「クロム親和細胞腫(褐色細胞腫)」はまれな腫瘍だが、動物ではイヌ、ウシ、ウマに起こることが知られている。
実験動物としては京大の岡本耕三教授が開発した「先天性高血圧ラット」が知られている。これは遺伝病だ。
内陸の草原に住む動物でウシ、ヤギ、ヒツジなどは反芻性であり、複胃といい胃が4つある。ウマはヒトと同じく単胃である。
複胃の動物では第一胃から第三胃までは、食道と同じ扁平上皮で内面が被われ、噛み砕いた植物のセルロースを発酵により分解する。これらの胃は発酵胃であり、消化胃ではない。第四胃が消化胃になっている。この発酵細菌はポルフィリン核の中心部にコバルトをもつ、シアノコバラミンをも合成する。これはビタミンB12で核酸合成に不可欠なビタミンである。
反芻動物では胃内細菌がビタミンB12の合成をしているため、土壌にコバルトが欠乏した地域ではこれらの動物はビタミンB12の欠乏症を起こし、全身性の消耗疾患にかかり死亡する。
単胃のウマやヒトでは、この疾患は起こらない。
内陸部ではヨウ素が欠乏することがあり、これは甲状腺ホルモン=チロキシンに必要な元素であり、不足するとヒトでも動物でも、甲状腺の肥大(単純性甲状腺腫)が起きる。チロキシン不足だと、妊娠、胎児発育に異常が起こるため、動物が繁殖しなくなる。亜麻科の植物にはリナマリンというヨウ素の利用をブロックする配糖体が含まれており、土中のヨウ素が不足していなくても、家畜がこの植物を食べたために甲状腺腫が集団発生することがある。
病気を横断的にとらえる比較病理学とは別に、生物の進化の時間軸で病気をとらえる「進化医学」という分野がある。
病気を特定の遺伝子の問題として説明しようとする、F.R.レイリー『病気を起こす遺伝子』(東京化学同人, 2007)のような立場と異なり、遺伝子と環境への不適応の問題として、「病気」の出現を説明しようとする。
例えば、壊血病(ビタミンC欠乏症)はヒトを含む霊長類の一部とモルモット、ゾウなどにしか存在しない。熱帯雨林に棲んでいたヒトの祖先は果物を常食としていたので、2500万年前にビタミンC合成遺伝子を失ったにもかかわらず、何ら不都合を生じなかった。9万年前の出アフリカ、さらには16世紀以後の「大航海時代」を迎え、ビタミンC不足による壊血病が大問題になったのである。アイルランドでは冬場は生鮮野菜が欠乏するため壊血病が大問題だった。エスキモーはビタミンCが豊富な動物の副腎を生で食べるので壊血病が起こらない。(井村裕夫『人はなぜ病気になるのか:進化医学の視点』, 岩波書店, 2000)
進化生物学者のR.M.ネシーとJ.C.ウィリアムズは病気の原因に、「至近要因」と「進化的要因」の2種を区別しているが、通常の医学があげる病因は「至近要因」である。例えば壊血病の要因に「ビタミンC不足」をあげるが、進化的要因は「ビタミンC合成遺伝子の欠損」にある。(ネシー&ウィリアムズ『病気はなぜ、あるのか』, 新曜社, 2001)
人が水中で溺れ死ぬ原因は鰓がないからであるが、これは「進化的要因」であって、普通の医者は至近要因としての「空気欠乏」を死因としてあげる。
Nスペ「病の起源」においても、進化的要因と至近要因を区別して取り扱うように望みたい。
病気と言えば、ハリウッドの人気女優が乳がん遺伝子をもち片方に乳がんを発症したため、他方の乳腺を予防切除したことが、日本のメディアにより大々的に報じられた。家族性乳がんの場合、卵巣ガンの発症率も高くなる。
F.R.レイリー『病気を起こす遺伝子』(東京化学同人, 原著2004)によると、このような女性の場合、「もう子供はいらない」と判断するとすでに卵巣の予防切除が行われている。また「両側乳房切除」も予防法として行われている。
つまり米国では乳がんの遺伝的素因のある人が、予防切除を受けることは、すでに10年近く前に一般化していた。
この遺伝的素因は、アシュケナジ系ユダヤ人に多く、一般の白人や黒人、アジア人には少ない。恐らくこの女優も、アシュケナジ系(東欧系)のユダヤ人であろう。学者と同じくアメリカの芸能界にはユダヤ人が多い。
よって、この女優が予防手術を受けることを公表したとき、米メディアはぜんぜん驚かなかったが、無知な日本メディアが驚いて大々的に報道したにすぎない、と私は思う。
担当記者が普段からまじめに関連書をフォローしていれば、こういうことにはなるまいに、と思う。
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