ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【大政奉還】難波先生より

2013-07-30 12:43:58 | 難波紘二先生
【大政奉還】と江戸幕府に統治権を天皇に奉還させ、かくて無血で明治維新をなし遂げようとする坂本龍馬の「維新八策」に由来する政策をいう。
 龍馬には多くの政敵があった。板垣退助正形は当時、土佐藩「軍備総裁」の地位にあり、龍馬の政策を嘲った。
「大政奉還は空論だ。馬上(武力)をもって取った徳川の天下は、再び馬上をもって取るほかはない」


  板垣は、「征韓論」で破れて下野し、1881年自由党を結成し、翌82(明治15)年4月、岐阜で演説後の懇親会にて兇漢に襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」との名言を吐いたので知られる。
 この時、「愛知医学校」校長だった後藤新平は、官権の反対を押し切って岐阜まで人力車を走らせ、板垣の治療にあたった。


 この板垣の大政奉還反対論を、7/29「産経」の関厚夫(文化部)が「次世代への名言」で取りあげている。
 http://sankei.jp.msn.com/life/news/130729/art13072903120000-n1.htm
 なぜこれが名言なのか? 征討軍による軍事討伐は、「北越戰争」とひいては「西南戦争」をもたらし、河井継之介、衛藤新平、西郷隆盛を初めとする北越、佐賀、薩摩の有能な士を死に追いやっただけではないか。しかも北越に100年にわたる怨嗟を生んだ。



 板垣は権力の中枢にある時は、「武力至上主義」論者だった。官軍の東征にさいしては、東征軍参謀及び土佐軍総司令官として、北越同盟軍と戦っている。


 関厚夫が、板垣の言葉を「名言」とする根拠は那辺にあるのか?
 同じ言葉をパラフレーズすれば、
 「戦後民主主義は、実力で勝ち取ったものではない。(占領軍により)与えられたものだ。戰争により再び勝ち取るほかない」
 とでもいいたいのか?
  それに出典も明記していない。
 せっかく社会部記者が、他紙を凌駕する優れた報道を行ったいるのに、残念だというほかない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【金峰事件】難波先生より | トップ | 7月30日(火)のつぶやき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事