ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【修復腎移植ものがたり(13)不思議な寿命】

2014-11-10 18:10:22 | 修復腎移植ものがたり
【修復腎移植ものがたり(13)不思議な寿命】
 83歳で天寿を全うした三宅謙一が75歳の時に身体の外へ「捨てた」腎臓は、44歳のレシピエントに植えられると、99年という臓器寿命を発揮し、ドナー本人より長生きするという不思議な現象が観察された。つまり個体の寿命と臓器の寿命が異なるのだ。これはどういうことだろうか…。この不思議な現象を説明するのに、二つの仮説が可能である。
 一つは、もともとヒトの寿命は120歳程度に遺伝的に設定されていて、臓器は本来その程度の耐用年限をもっている、という考え方である。第二は、移植臓器の細胞がレシピエント由来に変わるというものだ。
 以下、まず「個体の寿命と臓器の寿命」について少し述べたい。

 人体は多くの臓器で構成され、個々の臓器は種類がちがう無数の細胞から成り立っている。生きて行くには呼吸をし、食物を取り入れて消化吸収し、老廃物を排泄し、全身に血液を送り、見たり聞いたりして脳で考え、筋肉を動かして働くことが必要だし、子孫を残す必要もある。
 こういう働き、つまり機能の種類別に、臓器は呼吸器系、消化器系、泌尿器系、循環系など、いくつかのシステムに分かれている。現代医学がはじまった19世紀の半ば以後、人体を精密な部品からなる高等な器械になぞらえる「人間機械論」が普及するようになった。部品の悪いところを切除したり、取り替えるのが外科系医学、臓器系の不具合を薬で直すのが内科系医学である。
 部品の修理や交換に失敗して死ぬのはがん治療でよく見られるし、内科系の肺炎や動脈硬化や糖尿病で死ぬ人も多い。災害や事故や自殺で死ぬ人もいる。個人の早すぎる死は「夭折」とか「早世」、「短命」と呼ばれる。災害や事故にも遭わず、大病もせず充分に長生きした人の死は「天寿」、「長寿」あるいは「長命」と呼ぶ。仏教では大往生とも呼ばれる。

 19世紀半ばにボストン・ハーバード大医学部の内科・解剖学教授で作家としても知られるO.W.ホームズ博士は、「教会執事の傑作」という詩を書いた。それは現代人の死についての、ひとつの寓意となっている。
 教会執事が名工に依頼して「すばらしい一頭立て馬車」を造らせた。
 時は1755年、ポルトガルのリスボンで大地震が起きた年の11月1日に完成した。
 最高の車輪に鉄輪、軸受け、スプリング、ネジにボルト、野牛の革製のソファーに幌、御者覆い、最高級の木材を用いた横板、枠板、折りたたみ式の踏み台、馬に添う長柄。
 軸受けに給油するだけで、この馬車はどこにも故障がなく、代々の牧師に利用され喜ばれた。
 百年後の同日同刻、出かけた牧師の馬車は、小さな揺れに馬が驚いて止まった。
 最初に震動、小さなきしみ、ついで何かがはじけ飛んだ。
 気がつくと馬車は木っ端みじんとなり、牧師は路傍の岩にぼう然とすわっていた。

 この寓意詩は「人間はみな天寿をまっとうすべきだ」いう医学の理想をあらわしている。
 人間に定まった「寿命」があるかどうか、まだ科学的に確定していない。他の霊長類が性成熟年齢の約6倍程度生きるという事実と、過去の長寿者の記録から「ヒト寿命120年説」が優勢である。
 今、日本には100歳以上の「百歳人」が約6万人いて、その約9割が女性である。寿命が遺伝によりかなり決められていることは、常人の4倍の早さで老化が進み、30歳くらいまでにしわくちゃな老人になって死ぬ、早老症というまれな遺伝子病の存在からも肯ける。120年と237日生きた男性としてギネスブックに載っている、泉重千代さん(この年数には疑惑がある)が生きていた80年代には、日本に百歳人は数千人しかいなかった。その後平均寿命も延び、百歳人の数も10倍になり6万人近くに増加したのに、確実に120歳を超えた日本人は出ていない。これは「ヒトの寿命120歳説」を支持する事実である。

 不幸にも事故で短命に終わった人の臓器は、多くの場合健常であり、免疫反応による「移植の壁」を乗り越えることができれば、臓器移植に使え腎不全や先天性胆道閉鎖症や心奇形に悩む患者を救命することができる。世界で最初に成功した腎移植は、遺伝子が同じで血液型とHLAが一致する、一卵性双生児の間で行われたものだった。これを実施したボストンのマレー博士は、骨髄移植の開発者と並んでノーベル医学賞を授与された。
 免疫抑制剤の進歩は移植の壁を乗りこえ、血液型やHLAが異なっていても、多くの場合に他人間の臓器移植を可能にした。脳死体からの臓器移植がそれである。だが和田心臓移植により「脳死移植」への不信感がつよい日本では、圧倒的に臓器が足りない。2012年に日本で行われた1,610件の腎移植のうち、たった12%が死体腎である。残りは生体腎だ。人口が日本の半分程度の韓国では1,783件の腎移植があり、その43%が死体腎だ。日本の倍の人口をもつ米国では16,487件の腎移植のうち、死体腎が66%を占める。

 「個体に由来する病気をもつ臓器は、その病気のない個体に移植された時点でリセットが始まる」。ドナー臓器に生じた遺伝子変化や染色体異常はもとに戻らないから、それらも回復する本来の「初期状態への復帰(リセット)」という意味ではない。移植された臓器はまったく新しい環境で生き始める。臓器を人に例えるなら、新天地で第二の人生が始まる。「移植」は「移民」なのだ。その意味では「リスタート」という用語がより適切であろう。
 世界中がドナー不足に悩み、いかにして「ドナー・プール」を拡大するかに苦慮している中で、「病気の腎臓を移植に使うなどもってのほか」というのが、日本の移植関係学会幹部である。日本の移植用死体腎は年間200個に満たないのに…。

 ドナーとレシピエントの生活習慣(環境因子)が大きく違っていれば、移植された腎臓はまったく新しい環境で生き始める。その過程で、移植された臓器に残された病変部に、自己修復が始まる。
 動脈瘤や動脈硬化症がらみの腎臓では、腎動脈分岐部にあった小さな腎動脈瘤を残したまま移植し、そのまま血管吻合した例があるが、のちの血管造影では動脈瘤が消失していた。これは動脈壁のリモデリングが生じた例で、動脈硬化症は必ずしも非可逆的な病変でないことを意味している。
 糖尿病では、腎臓の糸球体や細動脈に特徴のある病変が起こる。これらの病変は腎臓全体に生じるから部分切除で「修復する」ことはできない。しかし、糖尿病性腎症の腎臓をインスリン分泌が正常な腎不全患者に移植した場合に、血中クレアチニン値とクレアチニン・クリアランスの正常化が起こることを、瀬戸内グループの医師の一人からも、フロリダ大学移植外科の教授からも直接に聴いたことがある。しかし病理学的裏付けがなく半信半疑だった。
 ところが、糖尿病性腎症の患者に膵移植を行い、膵臓移植により血中インスリンを増やし、血糖値を正常範囲にコントロールすると、腎臓の病変が10年以内に正常に復することが、すでに1998年にイタリア・パドア大学から報告されていた。腎病変が消失する過程を腎生検により病理学的に確認している。
 糖尿病のない腎不全の患者に、糖尿病性腎症の腎臓を移植すると、細胞外の異常基質が、徐々に吸収され、やがて正常な基質に置換され、移植腎が正常な構造と機能をもち始めることは、これで説明がつく。糖尿病性腎症すら回復することは病理学的に説明可能だ。
 京都府立医大移植外科は、過去に行った約600例の腎移植のうち24% (144例)に高血圧や糖尿病などの合併症(病気腎)がドナーにあったが、レシピエントの生着率・生存率に健全臓器との差がないことを、08年5月の「日本外科学会」で公表した。これも移植後に臓器の自己修復機構が働くためだと思われる。

 第二の考え方は、移植手術・免疫抑制剤の管理が上手く行って、長期生着に成功している移植臓器は、「ドナー細胞とレシピエント細胞のキメラ」になっているのではないか、というものである。
 「キメラ(chimera)」とはギリシア神話に出てくる、頭がライオン、胴がヤギ、尾が竜の尾からなる空想的怪物のことだ。怪物は天馬ペガサスに跨った、勇者ペレロポンにより退治される。元のギリシア語では「キマイラ(chimaira)」が本当の名前である。
 移植後にキメラ現象が起こることには前例がある。白血病や悪性リンパ腫の治療のために行われる骨髄移植では、レシピエントの造血細胞は完全に消滅するのではなく、骨髄や末梢血に、ドナー由来とレシピエント由来の血液細胞が混在している。ドナーの血液細胞は、表面抗原が異なるレシピエントの悪性細胞と体細胞を攻撃し、レシピエントの正常血液細胞は非自己であるドナーの細胞を攻撃する。成功した骨髄移植では、「軽度の拒絶反応」が起こるのが普通である。
 これは一般に混合キメラ(mixed chimerism)と呼ばれている。

 また、各臓器にも幹細胞が存在する「ニッチ」があることも明らかになって来た。「幹細胞」とはその臓器固有の細胞を補充できる細胞をいう。すべての臓器を形成できるのが「万能幹細胞」である。
 「ニッチ」とは凹みとか隠れ家という意味で、生態学では「他の生物がまだ進出していない生活空間」という意味で使用される。
 腎臓の場合こういう事実がある。死体腎移植の場合、摘出が遅れ阻血時間が長くなると、急性尿細管壊死が生じ、移植後に一滴の尿も出ないことがある。血清カリウム値が高くなり、心停止が起きることもある。
 この場合、患者を人工透析機に1〜4週間ほどつないでおくと、尿細管上皮の再生が起こり、尿が出るようになる。この事実は、酸素要求度の高い、分化した尿細管上皮は壊死に陥るけれども、酸素欠乏に強い幹細胞が生き残っていて、そこから尿細管上皮の再生が起こると考えるのが妥当である。つまり、腎臓にも幹細胞があり、ニッチが存在している。この事実はラットやマウスを用いた動物実験でも確認されている。
 腎臓における幹細胞の正確な存在位置とその形態については、現在さかんに研究が行われている。腎錐体の乳頭部に位置する尿細管上皮細胞の中にあるとする説が有力である。つまり尿細管の出口側から再生が起こるのである。 

 1991年1月の「光畑移植」は、
1 他人間での生体腎移植であること、
2 健康とはいえない腎臓を移植に利用していること、
3 治療目的で取り出した腎臓を移植に使用していること、
であり、後の2006年に「後出しジャンケン」で日本移植学会が非難し始めた「病腎移植」の定義を満足している。では他の移植学会会員は病腎移植と無縁だったのだろうか?
 実際にはドナーが圧倒的に足りない日本では、死体腎、親族腎を問わず、小さな良性病変を切除・修復して移植に利用するケースはままあった。学会の演題や学会誌に報告されたものだけで、2006年までに国内に90例以上がある。腎動脈瘤があるドナー腎臓を移植に用いた例だけでも「四人組移植」とは別に23例もあった。
 うち径2センチ以上の大きな動脈瘤を用いたものは、京都府立医大の「吉村了勇移植」(1989)、広島大第二外科の「沖本連也移植」(1991)、東京都立川総合病院の「河野登起彦移植」(1992)の3例で、日本移植学会の学会誌「移植」などに論文として概要が掲載されている。これらは親から子への血縁者間移植だったが、93年には藤田保健衛生大学で非血縁者間の「星長清隆移植」が行われている。
 ところが「径48ミリ、75歳老人」に生じた、このギネスブック級の腎動脈瘤を修復して非血縁者に移植した「光畑・万波移植」は、44歳の腎不全患者の職場復帰を可能にした美談として読売新聞が報じたのみで、その医学的詳細は学会発表としても医学論文としても報告されなかった。彼らには学者としての功名心がまるでなかった。「患者のため」という彼らの医師としての純粋な思いは、15年後に「秘密主義」として糾弾され、患者に逆の効果をもたらすことになった。(続)
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