【書店にて】
2/10「日経」でNEWSWEEKの広告を見かけ、西条町内の本屋に出かけた。目当ての週刊誌はなく、新書やMOOK、塩野七生「ギリシア人の物語1」など10冊ほど買った。店頭にあった「還暦:別冊週刊新潮:60周年記念創刊号復刻」というのも買った。
帰りに西高屋SCに寄り、ハイオクガソリンを買った。載っている軽乗用車のガソリンタンクは30Lで、予備が10L、メーターは10L消費したところで半分の表示が出る。いつもレギュラーしか使っていないので、ガソリン価格が低下した現在、ハイオクを使用してエンジンのシリンダーに付着した燃えかすを燃焼させてしまおう、というのがねらいだ。
シリンダーの圧縮率が一定でも、たまにはハイオクタンのガソリンを使うと、シリンダー・クリーニングができる、ということは昔、留学中に親しくなった自動車修理工場のオーナー、ワイルドマン氏から教わった。
彼の整備がなかったら、ワシントンDCから、アメリカ大陸東西横断旅行、南北はキーウェストからカナダ・プリンスエドワード島、中部アメリカのケンタッキー州マンモス洞窟までの大旅行は不可能だったろう。何しろエンジンを掛けて車を走らせると、すぐに「シャフトがいかれている」と指摘したメカニックだ。
ハイオク価格は112円/Lまで下がっていた。満タンにして12Lしか入らないから、大した金額ではない。
SCで果実酒用焼酎やおつまみなどを買いこんだ後、隣の書店に寄ってみた。何とこの店は2月からはアルバイトの若い女店員が一人で応対している。雑誌のNEWSWEEKを知らなかった。「昨日の新聞に載っていたが」というと、「一部しか入店していませんので、売り切れたのかも知れません」という。あらかじめ口裏を合わせているように思える。
「小保方さん本はうれているかね」と聞くと何のことか分からず、「キョトン」としている。
取り合わず、新刊書コーナーにゆくと、5冊ずつ平積みした二山のうちの1冊だけが売れている。先週、別の店員は「まだ入荷していません。ぜんぶ予約で売り切れです」と言っていたのに、大違いだ。
この本は先に立ち寄った西条の「森書店」には置いてなかった。この店の店主は「学校への長年の教科書納入」が評価されて昨秋「紺綬褒章」かなんかをもらったばかりだ。品揃えには定評がある。
こうしてみると売り場面積が小さくても品揃えを特化することで生き残る個人商店もあり、その4倍の売り場面積を持ちながら、DVDのレンタル/セル・文房具、本・雑誌と顧客を捉えきれないままに、衰亡して行く大型店もある。金子勝・児玉龍彦「日本病」(岩波新書)によると、日本の全労働人口の約40%が「不正規雇用」、15〜24歳では48%(2014年)に達するそうだ。大型書店の店員の質が下がるのは当たり前だろう。
顧客として「NEWSWEEKは一般週刊誌の隣に置いてほしい」と要望しても、「本店の許可がないとできません」というような、雇われ店長がいるような店はダメだ。完全なフランチャイズ方式にして、店長がリスクをとる方式にしないと…。この書店にはポップアップ広告すらない。
帰りに杵原の坂をトップギアで登ってみたが、心なしかパワーがアップしたように感じた。
自宅に戻って「週刊新潮復刻号」を開いて見た、79頁に谷内六郎による表紙絵があり「創刊号」と印刷されている。創刊後の目次を見ると小説が五本(谷崎淳一路「鴨東奇譚」、五味康祐「柳生武芸帳」、大佛次郎「おかしな奴」、石坂洋次郎「青い芽」、中村武志「目白三平の逃走」)が載っている。目次番号が上に書いてあるのが、創刊号の復刻部分で、それを中にして前後に創刊以後の目玉記事が採録されている、とわかった。創刊号以外の記事は頁番号が下に書いてある。
「週刊新潮」の創刊後2/19/1956号は同年の2月6日に発売されている。出版社系の最初の週刊誌だった。当時田舎の中学3年生だった私はもとより雑誌自体を知らない。1958年、広島市で学んだ高校3年生の時、担任の英語教師が「創刊号から集めている」という話をして、初めてこの雑誌に注目した。
この「復刻号」には、創刊号の表紙が載っている。

1956(昭和31)年には私は本屋もない田舎の村の中学2年生で、この雑誌を手にしたはずはないのだが、どういうわけか、谷内六郎によるこの表紙絵も「上総の町は貨車の列、火の見の高さに海がある」という文句もしっかり憶えており、懐かしい感じがした。
恐らく後に谷内六郎画展か、週刊新潮の表紙特集かで見たのだと思う。ともかく「創刊号の表紙だ」という意識は今度見るまでなかった。
それにしても定価が30円とは…。今はその13倍以上になっている。「年率2%のインフレ」なんて長い眼で見たらちゃんと実現しているではないか。60年で13倍だ。
2/10「日経」でNEWSWEEKの広告を見かけ、西条町内の本屋に出かけた。目当ての週刊誌はなく、新書やMOOK、塩野七生「ギリシア人の物語1」など10冊ほど買った。店頭にあった「還暦:別冊週刊新潮:60周年記念創刊号復刻」というのも買った。
帰りに西高屋SCに寄り、ハイオクガソリンを買った。載っている軽乗用車のガソリンタンクは30Lで、予備が10L、メーターは10L消費したところで半分の表示が出る。いつもレギュラーしか使っていないので、ガソリン価格が低下した現在、ハイオクを使用してエンジンのシリンダーに付着した燃えかすを燃焼させてしまおう、というのがねらいだ。
シリンダーの圧縮率が一定でも、たまにはハイオクタンのガソリンを使うと、シリンダー・クリーニングができる、ということは昔、留学中に親しくなった自動車修理工場のオーナー、ワイルドマン氏から教わった。
彼の整備がなかったら、ワシントンDCから、アメリカ大陸東西横断旅行、南北はキーウェストからカナダ・プリンスエドワード島、中部アメリカのケンタッキー州マンモス洞窟までの大旅行は不可能だったろう。何しろエンジンを掛けて車を走らせると、すぐに「シャフトがいかれている」と指摘したメカニックだ。
ハイオク価格は112円/Lまで下がっていた。満タンにして12Lしか入らないから、大した金額ではない。
SCで果実酒用焼酎やおつまみなどを買いこんだ後、隣の書店に寄ってみた。何とこの店は2月からはアルバイトの若い女店員が一人で応対している。雑誌のNEWSWEEKを知らなかった。「昨日の新聞に載っていたが」というと、「一部しか入店していませんので、売り切れたのかも知れません」という。あらかじめ口裏を合わせているように思える。
「小保方さん本はうれているかね」と聞くと何のことか分からず、「キョトン」としている。
取り合わず、新刊書コーナーにゆくと、5冊ずつ平積みした二山のうちの1冊だけが売れている。先週、別の店員は「まだ入荷していません。ぜんぶ予約で売り切れです」と言っていたのに、大違いだ。
この本は先に立ち寄った西条の「森書店」には置いてなかった。この店の店主は「学校への長年の教科書納入」が評価されて昨秋「紺綬褒章」かなんかをもらったばかりだ。品揃えには定評がある。
こうしてみると売り場面積が小さくても品揃えを特化することで生き残る個人商店もあり、その4倍の売り場面積を持ちながら、DVDのレンタル/セル・文房具、本・雑誌と顧客を捉えきれないままに、衰亡して行く大型店もある。金子勝・児玉龍彦「日本病」(岩波新書)によると、日本の全労働人口の約40%が「不正規雇用」、15〜24歳では48%(2014年)に達するそうだ。大型書店の店員の質が下がるのは当たり前だろう。
顧客として「NEWSWEEKは一般週刊誌の隣に置いてほしい」と要望しても、「本店の許可がないとできません」というような、雇われ店長がいるような店はダメだ。完全なフランチャイズ方式にして、店長がリスクをとる方式にしないと…。この書店にはポップアップ広告すらない。
帰りに杵原の坂をトップギアで登ってみたが、心なしかパワーがアップしたように感じた。
自宅に戻って「週刊新潮復刻号」を開いて見た、79頁に谷内六郎による表紙絵があり「創刊号」と印刷されている。創刊後の目次を見ると小説が五本(谷崎淳一路「鴨東奇譚」、五味康祐「柳生武芸帳」、大佛次郎「おかしな奴」、石坂洋次郎「青い芽」、中村武志「目白三平の逃走」)が載っている。目次番号が上に書いてあるのが、創刊号の復刻部分で、それを中にして前後に創刊以後の目玉記事が採録されている、とわかった。創刊号以外の記事は頁番号が下に書いてある。
「週刊新潮」の創刊後2/19/1956号は同年の2月6日に発売されている。出版社系の最初の週刊誌だった。当時田舎の中学3年生だった私はもとより雑誌自体を知らない。1958年、広島市で学んだ高校3年生の時、担任の英語教師が「創刊号から集めている」という話をして、初めてこの雑誌に注目した。
この「復刻号」には、創刊号の表紙が載っている。

1956(昭和31)年には私は本屋もない田舎の村の中学2年生で、この雑誌を手にしたはずはないのだが、どういうわけか、谷内六郎によるこの表紙絵も「上総の町は貨車の列、火の見の高さに海がある」という文句もしっかり憶えており、懐かしい感じがした。
恐らく後に谷内六郎画展か、週刊新潮の表紙特集かで見たのだと思う。ともかく「創刊号の表紙だ」という意識は今度見るまでなかった。
それにしても定価が30円とは…。今はその13倍以上になっている。「年率2%のインフレ」なんて長い眼で見たらちゃんと実現しているではないか。60年で13倍だ。
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