編者は大宅歩氏の文章を次のようにわけて編集している。序章「詩そして死」
第1章「情熱の放浪」(15歳~19歳)第2章「愛と衒い」(20歳~24歳)第3章「孤独な道化」(25歳~33歳)あとがき。
残念ながら著者は33歳でその若妻と満4年3ヶ月の長女を残してその一生を終えているのである。
序章に著者の「臨終」という文章が載せられている。それは著者が19歳の時に書いたものだという。
それから著者が27歳の時に書いた「断片」という文章がある。
自分が死んだ時には、後をこうしてほしいということが書いてある。
そして31歳のときに書いた、まだ幼い娘にあてた遺書と妻にあてた遺書が載っている。
あとがきには著者の父母の著者を偲ぶ切々たる文章がのっている。
著者、大宅歩氏はそう呼ばれることを好まなかったようであるが、社会評論家大宅壮一氏の長男である。
序章の最初に編者は著者をこう紹介している。
(大宅壮一氏自身が編者なのではあるまいかと私はおもうのだが。)
「昭和41年2月13日午前4時35分、大宅歩は息を引き取った。三十三歳。死因は心臓麻痺と診断された。
中学時代、熱中していたラグビーで頭をケガし、その後遺症で発作を起こすようになってから、ある意味では、いつも死に直面していた。
彼は文章がうまかった。純粋なもの、一生に一度でいいから、残るようなものを書きたいと考えていた。「大宅壮一のせがれ」という枠から必死になって脱出しようとしていた。
この章には、死後天井裏から出て来たつづら一杯の文章の中から、彼の特質をもっともよく示していると思われるものを収めた。
なお2通の遺書は彼が手術のため入院する直前に書かれた。結局、手術はしなかったのであったが。」
(つづく)
画像:筆者撮影
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