この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#788「鎌倉大経行」

2013年03月26日 | 宗教 思想 科学

大きな題のようであるが、中身はどうということはない。自分でもちょっと笑ってしまったのでここに書いて見たくなった。

ご承知の方は多いと思うが「経行」は「きんひん」と読む。禅宗の言葉である。坐禅が長時間に及ぶと直日(じきじつ)(その時の担当の指導者)が「経行(きんひん)」と声を出し、坐禅をしている人々はゆっくりと立ち、両手を前に組んで直日に従って歩き始める。しばらく歩いてからまた元の座席に戻りまた坐禅を始める。坐禅の間の足の痛みやしびれがとれる。時には経行は堂外に出て遠くまで歩くこともある。しかし経行もまた修行の中の一つであり息抜きではない。経行の間も無念無想を心がけなればならない。(私のような者は述べる資格はないのであるが。)

私は学生時代に大学の学内サークルの一つの坐禅の会に入っていた。その時の先輩のIさんからのご指示で私の知っている範囲でその会が鎌倉円覚寺にどのようにお世話になっていたかについて知らせてくれとのお話であった。

Iさんが4年生、私が3年生の時に、私達は鎌倉円覚寺の居士林で接心会(坐禅会)をしている。その時、会のリーダーのAさんは非常に厳しく、私達に激しく警策(修行者を叩く棒)を激しく振るい、警策が折れたのを記憶している。

そして次の年の3月にも私達の会は鎌倉円覚寺の同じ場所の接心に参加していた。Iさん達4年生は、卒業式の直前なのでもう参加していなかった。

その年の夏は私達は、鎌倉円覚寺ではなく富士山のふもとの不二般若道場で接心をしていた。

卒業した後のことはわからないので、私がまだ持っているその会の仲間の雑誌を読み返して見た。

私達が就職して大学を去った後でも、後輩の皆さんが雑誌を継続し私達に送ってくれていたのだ。

私は今から半世紀以上も前の昭和39年(1964年)の発行の号を読んでいる。前年の活動記録も載っている。また、会の日記の抜粋も載っている。

私はそこに「6月2日(日)鎌倉大経行」という文字を見つけた。

そして内容は「N女子大禅仏教研究会の人と。」と書いてありその次には「略」と書いてある。

何だ、女子大の学生と一緒に鎌倉をハイキングしたということではないか。。その後の時代にできた言葉でいう、「合ハイ」(合同ハイキングの略)ではないか、と私は勝手に想像した。鎌倉円覚寺とは関係はないと思った。

しかしそうではなかった。会の日記の別な箇所にこう書いてあった。

「女子大の方達と、6月2日の円覚寺居士林土日禅会とそれに続く鎌倉ハイキングを計画したが、女子大の方が10名も来るというので今から楽しみ。S」と。

私はなるほどと感心した。ちゃんと坐禅を計画しているのだ。それにしてもその後の経行はえらい長いものだ。そして修行ではなく楽しいものであったろうと思った。まさに大経行であったろう。

そういえば、私達の同じ時期の坐禅の会の仲間で、この女子大のこの研究会にいた人と結婚した人が2人いる。なるほどねーという思いである。

今から半世紀も前の話である。最近は昔のことが何でも懐かしい。間もなく私達の孫達がこういう時期を迎えることになるのであろう。  (おわり)

 

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 画像:筆者撮影 鎌倉段葛の桜

 

 


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