この懐かしき本たちよ!

まだ私の手元に残っている懐かしい本とそれにまつわるいろいろな思い出、その他、とりとめのない思いを書き綴りたい。

#286 ベルジャーエフ著「孤独と愛と社会」

2006年04月27日 | 宗教 思想 科学
私は今、NHKのラジオのロシア語講座を聞いています。毎週月曜日から木曜日までは入門編、金曜日と土曜日が応用編です。私は応用編を聞いても何もわからないのですが、一応聞くことにしています。応用編の題材はチェーホフの「サハリン島への旅路」という紀行文です。講師は東京外国語大学教授の渡辺雅司先生によるものです。この講座は、ロシア語という言葉の勉強だけではなくロシア文化、文学、歴史にも触れるレベルの高いお話しを聞く機会もあります。チェーホフの生きていた環境にふれられたときに、思想的な流れとしてベルジャーエフにも触れられました。ベルジャーエフという名前をラジオで聞くのは、私は初めてのような気がします。しかし、文庫本のベルジャーエフの著書は私が大学生の時に買って以来、ずっと私の本棚に並んでいる本の一つです。この哲学書を私はよく読んだわけではなかったのですが、1950年代の後半の世の中の流れの中でそして20歳になったばかりの私にとって、この本は私をひきつけるものがあったのです。

この本には著者略歴として次のように出ております。

ロシアの実存的哲学者
1874年 キエフに生る。
1992年 共産主義の反対者としてロシアから追放され
1948年 パリにて没す
主著  「創造の意味」
    「隷属と自由」
    「神性と人間性の実存的弁証法」

そして、この本の目次は次のとおりです。

1.哲学者の悲劇性と哲学の課題
2.主体と客体化
3.われ、孤独、利益社会
4.時間の病気、変化と永遠
5.人格、利益社会、共同体

この本の最後に訳者の氷上英広氏が「ニコライ・ベルジャーエフについて」という一文を載せておられます。そこに50年前に、私が傍線を引いているところがあります。

引用して見ましょう。

「科学的意識がマルクス主義における革命的でダイナミカルな力の源泉ではなく、メシアニズム的な期待が源泉である。経済的決定論はなんら 革命的な熱狂を呼びおこすことはできない。これをなし得るのはプロレタリアのメシアニズム的イデー、人類解放という理念のみである。神の選民たるべきあらゆる特質がプロレタリアにあたえられている。ここにはほとんど一つの神話がある。」
中略

「究極において、マルクス主義には人格の概念が欠如している。」
  中略
社会的経済的問題の解決につれて人間の悲劇性は一層内面化し深化するであろう。人格は決して到達されたものをもって満足しないから、社会的な画一主義に対して絶えざる戦いが続くであろう。
   中略
人間人格は社会的なものに吸収しつくしされない。」

大学時代もその後も、私はベルジャーエフについて友人と語ったことはありません。NHKラジオロシア語講座でふとその懐かしい名前を聞き、50年ほど前に買った本を今ぱらぱらとめくっています。

画像:ニコライ・ベルジャーエフ著「孤独と愛と社会」氷上英広訳 
   現代教養文庫 社会思想研究会出版部刊 昭和32年初版第4刷 定価100円
    

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