笑顔のMOTO

日々の生活で感じた色んなことを、綴っていきます。

遠い日本の思い出。

2007-06-27 19:14:05 | 色んなひと
今回のミャンマー滞在でお世話になった方々は、
ほんとに日本のことを良くご存知だった。

先日の記事で登場いただいた政府の方と、もう一人の方は、
1970年代に日本との貿易船のキャプテンをやっていて、
日本をしょっちゅう訪れたそう。
横浜、神戸、門司港を訪れ、韓国経由でミャンマーに帰る、
という航路を運行していたのだそうだ。

「横浜から、東京までよく移動したから、東海道線の駅の
名前は、今でも覚えているよ。品川、川崎、、」

ミャンマーで、東京の駅名を聞くとは。びっくり。

「百恵ちゃんが好きだったんだよね~。
あと、ピンクレディ、沢田研二もよく歌ったよ。
日本では、あの頃カラオケが流行りだしたんだよ。
ちゃちゃちゃちゃっちゃっちゃ。ゆっふぉー」
と、UFOの歌を振り付けつきで口ずさんでくれた。

「君は、百恵ちゃんの結婚式を知っているか?
あの時は、夜中の2時まで起きてたんだ」

百恵ちゃんの結婚式は、夜中まで中継されたのでしょうか?

そして、遠い日本の友人についても、語ってくださった。

「たくさんの日本の友達がいたけど、今でも、会いたいと
思う女性がいる。Miyako Aikoさんだ。
東京駅の北口を出て、しばらくいったところで、お父さんの
事務所を手伝っていたんだ。
あの頃30歳ぐらいだったから、今は60歳ぐらいかなあ~
ほんとに素敵な女性だったんだよ。」

こうやって、異国の人に長い間慕われるということ、
とても素晴らしいと思う。
その、Miyakoさんという女性は、どんな方だったのだろう。。
自分も、少しでも人の心に残るような人になりたいな、と思った。

と同時に、30年前には、ミャンマーと日本はそれだけ
交流があったんだ、ということを感じた。

今回、ほとんど無知の状態で訪れたミャンマー。
とても親切な人々と、素敵な文化に、すっかり魅了された。

アメリカの経済制裁の影響で、日本との貿易、日本からの投資、
日本の援助が激減しているが、ミャンマーと日本との交流が
回復することを切に願う。