公演名 ビューティ・クイーン・オブ・リナーン
劇場 シアター・ドラマシティ
観劇日 2008年1月6日(日)
上演時間 13:00開演
座席 8列
騙されたー!!スコーンと。ぞぞぞっとしたー!! ラストシーン。
作家が計画し、演出家が仕掛け、百戦錬磨の俳優たちが実行に移してゆく緻密な
舞台。最後までどこにどう転ぶのか予想がつかなかった。
白石加代子×大竹しのぶによる露骨で容赦のない母娘バトルも凄かったが、それ
を一級のサイコホラー・タッチで鮮やかに見せてくれたマーティン・マクドナー
×長塚圭史の手腕に、今回もホレボレ。
<キャストなど>
モーリーン・フォラン:大竹しのぶ マッグ・フォラン(母親):白石加代子
パートー・ドゥーリー:田中哲司 レイ・ドゥーリー(その弟):長塚圭史
作:マーティン・マクドナー 訳:目黒 条 演出:長塚圭史
<あらすじ>(公式サイトより引用)
北アイルランドの片田舎、リナーンに暮らす病身の母と行き遅れの娘。閉ざされ
た家の中で、母は娘に全ての家事と世話をさせ、一方娘は母の頼みを無視したり
嫌がらせをしたり、と毎日バトルを繰り返している。ある日、娘にパーティの招
待状が届けられる。しかしそれは、衝撃の終幕への序章だった・・・。
<舞台装置など>
幕前に舞台正面に掲げられていた大きな絵に、こんな言葉が書かれていた。
May you be half on hour in Heaven afore the Devil knows you're dead.
(悪魔が死に気づくよりも早く天国の一員となれますように)
劇中、同じ内容の絵が額入りで壁にかかっている。
メインの舞台セットは母と娘が暮らす家の一部屋。ドアを開ければすぐに見渡せ
るキッチン付き居間で、目につくものは暖炉、テーブル、チェア、鍋、手動ガス
コンロ、トラッシュボックスなど。
ロンドンで暮らすパドが手紙を読むシーンだけはこのセットではない。
<閉塞感200%の恐怖>
マーティン・マクドナー×長塚圭史の同シリーズは「ピローマン」と「ウィー・
トーマス」再演版を見ていたので、今回もかなり期待はしていた。
白石さん、大竹さんの共演という豪華キャストが、長塚さんの演出でどんな風に
料理されるのかという楽しみもあった。
白石さんが白目をむきゆがんだ顔でチェアにすわり、大竹さん演じるモーリーン
がO脚猫背で部屋に入ってきた冒頭の場面から、ラストの揺れ続けるロッキング
チェアまで、緊迫感とブラックな笑いで一気に引っ張っていかれた感じ。
「ウィー・トーマス」でも北アイルランド特有の閉塞感が描かれていたが、今回は
もう一つ、家族という要素が加わり、閉塞感200%の恐怖が舞台に満ちていた。
同じ檻(家)の中で顔をつき合わせ、日々繰り返される母娘の衝突は、ガス抜きの
レベルをはるかに超え、お互いを傷つける凶器に近い。
話の流れから私、勝手にストーリー予測をしてしまい、勝手に騙された(笑)。
陰険な母親に自由を奪われた可哀想な娘が、母親に復讐して最後に華々しく檻を出
てゆく脱出劇・・・だと信じかけた自分を笑いたいーっ。
で、どんなふうに騙されたかというと。
●その1
母親の手の火傷はモーリーンが負わせたものか? それとも自分でやったのか?
レイにそのことを指摘されて、二人とも相手がやったという。てっきり私は母親が
自分でやったのだと思ってしまったが、嘘をついていたのはモーリーンだとわかる
シーンがめちゃめちゃ怖い!!
愛するパドからの手紙を母親が読んだ上、自分には渡さなかったと知った時のモー
リーンの尋常ではない怒り。鍋を火にかけ、その中に油をタラタラ流し込んでゆく
モーリーンの目に憤りの涙が光っている。そして沸騰した油を母親の手に・・・。
●その2
パドといっしょに出てゆく。家と母親を捨てる。やっと脱出できる!
そう私も信じた。それなのに・・・。駅でのパドとの約束はモーリーン自身の妄想
だった。それがわかった時、私までショックだった。またもや騙された(勝手に)。
本人はそのつもりはなかったにせよ、狂気のため現実と妄想の境界がなくなってし
まったモーリーンの言葉は現実とは違っていた。
ボールのことで「あんたはきちがいだ」と言われた時は、レイを火かき棒で撲殺し
そうな勢いだった。きっと殺るだろうと思ったのに。レイとの会話で初めて自分の
妄想に気づいてから、モーリーンが急速に壊れていく様子がとても痛々しい。
そのために母親まで手にかけたのに。
自分一人になった部屋の中でロッキングチェアに腰掛け、母親と同じ言葉をレイに
返した時「あんたお母さんにそっくりだ」とレイに言われてしまう。
母親から逃れようと必死でもがき脱出を試みたのに、母親から逃げるどころか母親
そっくりになってしまったという皮肉。
(この場面、年齢を経るごとにますます自分の母親に似てきたと思う私自身の経験
がダブるので、心理的にかなりコワかった。苦笑。)
●その3
最後に、モーリーンの妹たちが、母親の誕生日プレゼントにとリクエストした曲が
ラジオから流れてくるシーンでアレ?と思った。
自分一人が母親の世話をしなければならないのは、薄情な妹たちのせい。妹たちに
は母への愛情なんてない、トカナントカ言ってなかった? もしかして自分の不幸な
境遇を全部誰かのせいにして生きてきたのか、モーリーン!!
優しい曲だった。その曲を好きな母親はすでにこの世にはいないのだ・・・。
ここで、あの英文を思い出す。悪い事をしてもバレなけりゃ天国に行けるってこと?
そんなことはさせないと母親が言っているようなラストシーン。
じっとすわっていたチェアからモーリーンが立ち上がって自分の部屋に消えた後も
ロッキングチェアはいつまでも揺れ続けていた。誰もいないはずなのに、じっと見
つめていると冒頭の母親の姿がそこにダブって見え、背筋がゾゾゾーッとした。
逃がすもんか! 揺れるチェアがそうつぶやいている気がして。怖っっっっ!!
以上、自分自身の区切りのために、ひとまずアップ。
とっても素晴しかったキャストについては後日時間を見つけて追記できればと思う。
ここで一つ思い出したことが。
「ウィー・トーマス」のパンフレットにあったのだが、女にとって男は生まれた村
を出るための手段だということ。今回もそれを強く感じた。必ずしも「愛」だけで
はない。やっと巡ってきたチャンス。モーリーンにとってパドは愛と手段を兼ね備
えた理想の王子だったんだろうな・・・。
※写真はウォーカーのショートブレッド・ビスケット。劇中ではかなり生々しい表
現に使われていたけれど。私はこれをいつも山に持参し、冬は温かいココアといっ
しょにいただくことにしている。
その曲を聞いている時のマグがどんな思いに浸っていたのか。娘が家を出ることに反対したのは、自分がやり遂げられなかったことへの復讐なのか。それとも娘には挫折を味わってほしくなくて、それでパドとの間を邪魔しようとしたのか・・・。
はぁ~。切ないですねえ。
「恋人と家を飛び出す若い娘を歌った歌」なんですか。
マグも若かりし頃、モーリーンと同じ思いをしていたんですね。
益々、切ない気分になりますね・・・。
あぁ~、もう一度舞台を観たくなりました。
> あたかも結婚するかに偽装し,合衆国に高飛びするという,
それ深~い!!(笑)サスペンスドラマの要素も多分にありましたから。ありえますよね。せめてアイルランド版山村紅葉さんがいてくれれば救いだったのに(笑)。
北アイルランド限定じゃなく、日本でも保守的な地域、人、考え方はまだまだあるんじゃないかなと思いました。普遍性のあるいいお芝居ですよね。
さすが多角的にごらんのムンパリ様。
ハイ,あの油を熱する手馴れた手つきと,怯えるばーちゃんには堪えました。
妹さんたちが実は母のことを思っていないわけでないという救いには気付きませんでした。ハンセイ。モーリーン目線の自分が情けない。
また,会えなかったことの報復に殺害し,その後,あたかも結婚するかに偽装し,合衆国に高飛びするという,サスペンスドラマレベルの読みをしてました。
深いですね。
それはすごいヒントですねえ。まだまだヒントが散りばめられていそうで気になります(笑)。けっきょくはモーリーンも母と同じ人生を生きる、受け入れるってことですよね。重苦しい人生だなあ(涙)。
あ、パンフレットにマグの好きな曲として紹介されている Delia Murphyの「The Spinning Wheel」をネットで見つけました。
http://www.amazon.com/The-Spinning-Wheel/dp/B000VXCD1K/ref=dm_ap_trk1/002-5479038-6376027
<Preview all>のボタンをクリックすると一部だけ試聴もできます。哀感こもった切ない曲ですね。
最後にラジオから流れるマグの好きだった曲。
私も気づかなかったのですが、あの曲は、「恋人と家を飛び出す若い娘を歌った歌」なのだそうです。
それでモーリーンは、母も自分と同じ絶望を生き続けたと知り、これから待ち受ける母と変わらぬ人生への諦めと母へのわずかな共感を感じることになる、というような内容が某新聞評に掲載されていました。
どこまでも奥深く細やかな演出ですよね。
観客の心理を逆手にとって、作家も演出家も確信犯的に楽しみながら作っているんだなあ、演劇ってホントに面白いなあと思いましたよ。
自分でも知らないうちに母親そっくりになってしまう、って怖いような、嬉しいような。でも、モーリーンの場合、もうそんな感覚もなくなってしまったのかも。壊れてしまって・・・。
私も(勝手に)騙されましたよぉ。
パドとハッピーエンドになるんじゃないかとか、
レイを殺すんじゃないかとか。
自由を得る為に憎い母親をも殺したのに、
その母親そっくりだと指摘されたモーリーンは、
何を感じてたんでしょうね。。。
あぁ~切ない。