足柄S.Aにて   2007年09月19日20:04

2007-09-19 | 介護日記

駐車場で父Kinと掴み合いの喧嘩をした。
カッとしてステッキ振り上げたから押さえ込んだだけだけど。
最近苛つくと粗暴になって怖いと母が言ってたが、すぐ手をあげるのは昔からだから私にとってはこれくらい何でもない。
数分経って落ち着いたあと今度は反省したらしく落ち込んで、蕎麦屋で号泣されたのにはハゲシク参った。

父が泣くのを初めてみた。
実は昨日から溜っていた思いがあったようなのだ。

父は特攻隊の生き残り。
零戦に乗っていた。
出撃基地だった現在の北朝鮮元山の衛星写真が手に入ったから、と
やはり生き残りの戦友からその写真入りの手紙が届いたのが昨日。
母の話ではそれを見てから精神状態が不安定になっていたらしい。
「私達にはよくわからないけどね」、と母。
「そこから出撃して死んでいった仲間のこと思うと堪らなくなるんでしょ」
そう言えば喧嘩の原因は車をバックさせてる最中大声で喋るから
「うるさい!少し黙ってて!」と言ったのが発端だったのだが、
その時父が喋っていたのが飛行機乗りはこうだった、ああだった、ということだった。
「これは飛行機じゃないから!」という私にそんな甘いもんじゃなかったんだよ、などと言ってたな。

それに午前中病院の待合室で父と仲良く話していた88歳のご婦人の身の上話も全部戦争にまつわるものだった。
夫は早死に、男兄弟3人が戦死…フィリピンからの輸送船で富士山が見えるところまで帰ってきたのに撃沈された。
生き残ったのは将校みたいな偉い人ばっかりだ!きっといい場所にいたんだよ、
あたまに来るから靖国の慰霊祭にも行くの止めたんだ。
この話しを聞いていた父はどんな気持ちだったのだろう。
父もまた若き将校で、数少ない生き残りなのだから。
この1・2年父は特攻隊の頃の話をよくするようになった。
父はモノ書きとしてこの時代のことこそ書くべきだったのだ。
そう言うと寂しそうに辛くて乗り越えられなかったんだよ、と言っていた。
黄色に変色した紙に元の色もわからなくなった押し花が挟まっていたのをみつけた。
これ何?と訊いたら、零戦に乗り込むとき足許に咲いてた花をとっさにポケットにつっこんだんだ、と言っていたっけ。
ホントは臆病で繊細な人だったろうに…。


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