ピンク色の貧乏   2007年09月26日00:52

2007-09-26 | 日記
私がちいさかった頃、
我が家は相当貧しかった、と思う。
母がなけなしの貯金をはたいて買った小さな家には
天井も壁もなく、朝目を覚ますと羽目板の節穴から
まっすぐな細い光の線が何本も私の布団に降り注いだ。
その布団も見事な破れ布団で、母は笑いながら
「うちのはフトンじゃなくて、トンだね。」なんていう始末だった。
そんなバラックみたいな家でミルクティーとベーコンエッグ、
フランスパンの朝食とってた。

テレビやレコードはなかったから、
父が我が家にあった唯一の楽器、マンドリンを抱えて歌を歌う。
イタリア語の歌、英語の歌、
いろいろ教えてくれたが残念な事にあの頃から音楽の趣味は合わなかった。

通信簿を持って帰った日にスケッチブックに私の肖像画を描いてくれたこともあった。
いい成績のご褒美だと言って。
その絵は今も私のもとにある。

夕方、月見草の花が咲くのを見に行こう、と誘われて
川原に出かけたことがあった。
「月見草は開く時ポンと音がするんだよ」なんて言われて
土手に二人で座り込んで花が開くのを見ていた。
勿論音などするはずもなく「嘘つき!」と父を見ると
いつもうるさいぐらい陽気な父が、黙り込んで花を見つめていたっけ。
いつの間にか土手の月見草の花はみんな開いたし、
辺りはもう薄暗く私は退屈で早く帰りたかったのだけれど。

あの頃の父はまだ30代だったのだな。


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