ゆめの、12歳離れた姉弟の観察日記とバスケット(JBL・bj・車椅子バスケ)応援ブログ
銀の夢



さっき、
珍しく興奮したようなメールが友人から届いた。

興奮というか、感動してた。が正しいのかな。


今日の栃木戦のアップ中に
栃木応援団の方が叫んでくれたそうです。

同じプロチームとして、レラを応援しよう!

将来、リンクとレラの決勝戦が見たい!と。

そして、会場中のレラコールが起こったそうです。


いつもは冷静沈着な彼が、心から感謝したと、言ってました。




又、別の友人の言葉も載せます。(一部抜粋)


『本来ならば、紙くずになるチケットを何とかエリア指定で見られるように対応。
払い戻しも使用権利も一切を切り捨てても良いであろうF社が売ったチケットを、何とかできる限りの救済。

F社から、前売りしたシーティングすら貰えず、前売りした代金も貰えず。
なのに。必死に頭を下げ理解を求め。

毎日殆ど寝ずに作業や対応を続けるリーグやJBOの方々に心から敬意を表したい。

「北海道のために」「バスケを応援してくれる人達のために」「選手やスタッフやその家族のために」「熱心なファンのために」

今出来る全てのエネルギーと知恵を、何の打算や私欲もなく。惜しみなく労力を注ぎ込む彼らに心から敬意を表します。



3月の最終ゲーム。
この日程が確保できたのは多くの人達の想いの結晶だ。
ありえない超ウルトラEである。

パナソニックの大きい懐で、札幌市内で開催されることとなった。
関係者や他チームや多くの人達も理解を示してくれた。
本当に感謝である。

26日の試合は、本来ならば自分たちにとっても大切な時間を割いてまで理解・協力をしてくれる団体のおかげで、試合が出来ることとなった。
普通では受け入れてもらえない事を快諾してくれた。


この緊急事態に、皆が協力し理解してくれている。

選手も家族もスタッフもファンもリーグもF社も関係者も、それぞれが皆「痛みや苦しみ」を負っている。

この緊急事態に、「自分だけの主張・権利」「浅はかな特権」を振りかざすことで何に繋がるのか。

今は、皆が痛みや苦しみを少しずつ分け合う時だ。
誰もが悲しみ・苦しみ・嘆いている。

でもこれを分かち合い乗り越えたときに、これからが拓けてくる気がする。』




私は、
一番前で大好きなバスケを見たいから、
毎年アリーナSSのシーズンチケットを購入している。

だから、今回のエリア指定は結構辛いです。(並ばなくちゃ…)


でも、友人が書いたように私も同じ気持ちなの。



新聞の内容から、
負債が4億を超え、選手の報酬を支払えなかった時点で、
会社としては本当に再建は難しかったと判断せざるを得ないと思う。

これまで毎年全く足りてなかったスポンサー収入が
4億の負債を抱える会社に、今後どれだけ増えると想像できるか。

たとえ中国の企業が1億出したって、もう遅すぎでしょう。


ということは、
一刻も早く選手を助けるためには、チームを救うためには

JBLとしては本当に異例の措置をとってくれたのだと思う。


とはいえ、別にJBLだって裕福な企業なわけではないだろうし、
ひとつのチームのためにお金をいくら使ってもいいわけではないでしょう。

となると、今後の選手の報酬等人件費。
もちろん、遠征費と練習経費、そしてホームでの会場運営費。

その他もろもろの多額の費用は、
すでにファンタジアに払われているシーチケや前売り以外の当日券収入だけでは

到底まかなえないよね。



話はもどって、
ファンタジアの4億の負債には
借入金のほかに業者さんへの未払金だって少なくはないはず。

もちろん、
選手やスタッフたちも苦労をしいられ
大きな不安を抱えながらコートに立ってくれていたわけで。




ファンタジアがこういう状況になってしまったことの
責任はどーだとか、だれが悪いだとか、

そんなことは
私が言える立場じゃないし、
そもそもここで言う必要がないから言わないけど、

今回のことでは、関わっていたもうすべての人達がみな
被害者(ちょっと言葉はわるいけど)なんだよね。


ならば、私たちファンも当然に痛みを受ける結果になるんだよ。


チームは残したい。

でも買ってあったチケットは当然に使えるでしょうとは、
普通いかないよね。

私は、チケットを有効にしてくれただけでもありがたいと、思う。


ましてや、
JBOだっていじわるしてエリア指定にしたわけじゃないんだよね。


聞いたところでは、
急転直下で決まったこの事態に、
そもそも稼働できる人工はほとんど居ないそうです。

しかも、ファンタジアやチケット会社からは
どこがすでに売れた席なのかの情報が得られないとのこと。

どうやったって、
私たちの買った席を事前に把握して、
残りの席を直近で販売するなんてことは、無理なわけだったと。


私はね、
本当に、関係者の方々には感謝の言葉しか浮かばないんだよ。




そしてもうひとつ。

3月のラストゲームの開催場所変更の件です。


レラのために、
すでに飛行機等手配していた沢山のファンや

大阪での開催を楽しみにしていた人のことを考えると
たやすく言葉を発っせられないんだけど、

あえて私は自分の気持ちを言います。


チームの経費を賄うには、
ホームでのチケット収入しか方法がない今(臨時スポンサーの可能性はあるけど)

全面的なパナソニックの善意で、北海道開催が実現したわけでしょ。


別にラストゲームだからこっちでやりたい。とか
そんな心理的なことでそうなったわけじゃなく、

とにかく、チームにとって大きな収入になる。


特に、迷惑をかけるファンが大勢いることを承知で、
パナは承諾してくれて、

そして尚且つ
急な北海道での開催のために

一生懸命動いてくれたたくさんの人達の力で
今回の結論となったわけです。


私はやっぱり、
その関係者の方々には、感謝の気持ちしかないのね。



今日、
アウェイの地に飛んだ我がチームは
相手チームから暖かい声援を沢山もらったわけで。


そして、
その愛すべきチームは、大きな勝利を私達にプレゼントしてくれたわけで。




シーチケや前売りを買っているファンの多くは
それはもうレラを心から応援している人達だと思います。

そして当然に、
これまでにはたくさんの形でチームに金銭的な貢献もしているはず。

だからこそ、
「私達は、こんなに一生懸命応援してきたんだから。」
という思いが強いのも、よくわかります。


でも、
でもね、
今は、痛みは痛みとしてちゃんと私達も受け止めて、

ますます我が愛すべきチームを
みんなで応援していってあげたいなと、思います。





追伸 明日も、勝ってきてよ!







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いやー、

彼は持ってるわ!


川村卓也は、まさに何かが君臨してる。って
先シーズンのファイナルで確信したけれど。


良太も、
あんなぽや~んとした顔して、何か持ってるんだよ。


1戦目も2戦目の3ピリまでも、

気負いが空回りなのか
良太の頭と体が空回りなのか

さっぱりちっともいいとこ見れず。

「くぉら、りょーた!なんばしちょっとねんっ!!」
って、口走ってみたくなるよな感じでね。


まぁ、本人が一番こたえてたんだろうけど。



でも、
折茂さんはどんな時でも折茂さんだし、
(さすがのタフショットと、さすがのファウルもらいシュートは
やっぱりさすが。としか言いようがない)

ジャイも随分頑張ってたし、
(あとで聞いたら、折茂さんやらに朝ヤキいれられたらしい(笑))

大治も、先シーズンを彷彿とさせるような闘志がみれたし、
(桑さん相手に、かーなーりー熱くかましてました)

そしてダイスケの、あの3ピリの同点シュート。
今でも映画のようにシーンがスローモーションで思い出せるよ。

大治が東芝パスを指先でカットし、
軌道がズレたボールをすかさず柏倉さんが奪って走り、
左45度にいた折茂さんにパス。
そしてほんのちょっとだけDFの遅れていたゼ零度のダイスケにパス。
(折茂さんだって、打てたと思うんだけどね、そこがまたイイ)

あの、すこし首を傾けた態勢でボールを放った瞬間から、
会場全員がその軌道1点を、全くの無音の中見つめてたあのシーンと

そのボールが、本当に綺麗にネットを揺らした瞬間は
あまりに美しくて、最高で、
鳥肌が立ちました。

その後も、ダイスケは果敢にゴールにアタックしてたなぁ。
4ピリの彼が居なかったら、ダイスケがMVPだったね、間違いなく。

柏倉さんも、じょーじも良かった。


リョータくん以外は、みんな良かったんだよ。
4ピリ残り6分までは。


そうして
ノーマークでのリョータの右ほぼ零度からのスリー。

もう会場中がキタキター!!!ってか、
もう「ギャー!!!」になってた、きっと。

良太がシュートを打ったとき、

それまで、外のシュートもほとんど入ってなかったから
「あぁ、どーなの?それ、どーなの?」って
結構心で思った人も多かったはず。
での、

あの大事な大治な(笑)スリー。

それから、
立て続けにここぞのシュートを決めてきた良太くん。


もしかして、
あれもそれも、穴あきタイツのように、ぜーんぶ計算だったのかい?え?

とつっこみたくなるくらいの、
ラストの大フィーバーだったね。


うーん、たいしたもんだよ全く。


でも、
会場を興奮の坩堝と化させ、
まさに勝利のフラッグを掴みとってくれたのは

あなただよ。





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かなり衝撃だった。


「今日は相当混むだろうな」という予想は見事にはずれた。


JBL協会の方や
折茂さんのあいさつの時に

会場がガラガラだったのが本当に申し訳なく感じた。


「所詮、北海道の人の情や関心なんて、こんなもんなんだな。」
そうも思った。


やりきれない想いで帰ってきた。







今朝の、
JBL吉田専務(JBO社長)の新聞記事を読ん
改めて強く思った。




選手を守るために特別な措置をとってくれた
リーグに感謝。


また、コートの選手たちを見れたことに深く感謝。


そのために
寝る間も惜しんで準備してくれた協会関係者等の方々に感謝。


決して高額とはいえない報酬の選手も多いはずなのに
無報酬のままリスク(怪我等)を顧みず
コートに出続けてくれた選手達に感謝。


他のチームに行かずに
全員ここに残ってくれたことに感謝。


少ない人数でチームを鼓舞するコーチ陣スタッフに感謝。


会場を盛り上げるために
一生懸命奔走してくれた多くの熱いファンの方に感謝。


彼らを支える、たくさんの人に感謝。




でも
まだまだ彼らには助けが足りない。

どうか、もっとたくさんの人の力で
北海道の彼らを守ってあげたいと、強く思います。










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ちょっとばかり

インフルエンザに感染しておりやした。



予防接種していたので、

タミフルを服用して約2日で回復しつつあります。






さて、悲しいかな
たとえば8連敗したあとの感動的な勝利ゲームの翌日よりも

毎日大きく取り上げられる
レラカムイの記事。



あたしの頭の中は

もういろんな思いがぐるぐる渦巻いてる。




涙をのんでチームを離れていかなくちゃならなかった
彼らのこと。

自分のオーナーである企業に対する不信感を抱きながらも
たくさんのファンのためにゲームでたたかってきた
選手たちのこと。

北海道に
バスケットのプロチームを根付かせた人の功績と

それを業として成り立たせられず
立ち直らせられる時を自ら逸してしまったオーナーのこと。


男性社会の中で頑張ってきたであろう彼女に
同じ女性として敬意を表するところはあったのに

あまりに退き際が残念でならない。



これまでに、たとえどんな経緯があったとしても
ことの責任は絶対にオーナーにあるべきだと思う。

というかむしろ、
責任をいつも人のせいにしてきた彼女の言葉には

正直かなりイライラしてきたのも事実。
ましてや、自分の部下のせいにした時点で

彼女は経営者失格だと思った。




幸い
チームを守りたいと思っている人はたくさんいて、

一生懸命走り回っている人達がたくさんいて、

その人達のためにも闘い続けると言う彼らがいて、


このチームは絶対に残さなくちゃいけないと思う。


残してあげたい、
応援したい、という心根のあるスポンサーが

どうかたくさん現れますように。













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まさか
こんなに疲れて帰ってくることになるとは…




相変わらず
札幌も連日の大雪で道路は大渋滞。

裏道は
除雪が間に合わずに道幅が狭く埋まる車もあちこちに。


会社から帰り、保育園近くの駐車場に行き

車のエンジンをかけてバックを車内に入れ
雪下ろしをしようとドアを閉めた。

何度閉めても半ドアみたいになるから
「カギかかちゃったのかな?」と

ロック状態をみても大丈夫。
一応カギをガチャガチャとかけたりしめたりして

ドアを閉めたらしまった。


と思ったら
カギかかっちゃってる~(泣)



家の鍵も
財布も

手には携帯と雪おろしだけ。

雪は相変わらず猛吹雪。

JAFに電話したら、
2時間待ちですと言われ、

鍵やさんも、道路が混んでて何時に行けるかわからないと。

そして何より
携帯の電池がメモリ1個。

監督のお迎えにも行かなくちゃ。



ああいうのを
途方にくれる。っていうのかな。



心配してくれた友人からの助言で
塾に行ってるはずのねえねのところに向かうことに。

運転手さんは、事情を話したら快諾してくれたものの
道はひどい混みよう。

それでもやっとこ塾についてねえねを呼んでもらったら
「お金500円しかない」と(泣)


すると
心配して出てきてくれた塾の先生が
頼んだわけでもないのにお金を貸してくれました。


先生が、お釈迦様のようだった。


ねえねから鍵を借り家によって
JAFからの連絡を待つために電話を充電し
タクシーで現場に戻ると

ちょうどJAFから到着の連絡が。



あちこち
すいてる道をとばしてくれたタクシーの運転手さんに
熱くお礼をのべ

JAFのお兄さんに
今度は願いをたくす。


監督のお迎え時間まであと15分。


これがまた、なかなか鍵が開かないとです…
お兄さんのうしろで、
『お願い』のポーズで待つこと数分

「開きました♪」と
振り向いたお兄さんの笑顔は忘れられません。



何度もお礼を言い
ギリギリ保育園に行くと

事情を話して急きょ延長時間を延ばしたため
本来夕飯の準備ができてなかったはずなのに

先生が気をきかせて
おにぎりやらおかずを用意して食べさせてくれた(泣)


もう
今日は周囲の人たちが
みんな神様に見えました。

本当にありがたかったです。



でも
「おかあさん!寂しかったよう」と
抱きついてきた監督を「ごめんね」と抱っこした時の

監督の笑顔は
天使みたいだった。



あああ、それにしても疲れた。

ということで
夕飯つくる気力はなく、ごはんと「桃屋の辛そうで辛くない少し辛いラー油」が

今夜の私の遅い夕食なのでした。









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私は

空港の手荷物検査場のあの門のところで
ほんとにしょっちゅう「ピー」と鳴られます。


ポケットに小銭を入れていたりしたわけじゃあないから

金属探知機?みたいなもので調べられたり
靴をぬがされたりするけど、

結局問題なく通される。


ただ、以前「金具が大きくて」と言われていたベルトがあり

今回の天皇杯観戦の際は
あらかじめそのベルトをはずしてあの門をくぐったわけです。

そしたら「ピー」と。


私:「え~?なんで?」

検:「靴を脱いでください。」

私:「マジですか…」



いえね、この日は空港から体育館直行の予定で、
靴を脱いだり履いたりしないということで

特長ニーハイブーツを履いてったんです。
しかもジッパーなしだから

それはもう、脱ぐのは至難の技なわけですよ。


椅子を出してもらい、
検査官がじっとみている前で「うんしょ(汗)こらしょ(汗)…」と

やっと、本当にやっとこ脱いで
そして特に何の問題もなく終了。



この事は、
東京滞在中ずっと私の悩みの種となったのです。

『帰りも、あそこでコレを脱がなくちゃならないのか…
 いっそ、別の靴を買って履いていこうか…』


結局、
空港の検査場に行く前に一番近いトイレに寄り

便器に座ってあれやこれや、
何とか脱ぎやすいところまで足をはずして

妙な恰好で足早に検査場まで行きました。


で、
あらかじめまた『ベルト』と
「来る時にブーツでひっかかったので」とことわり
『ブーツ』を脱いで門を通ったわけです。

多分、
『はっは、これでダイジョーブでしょうよ』
みたいな感じで颯爽と通ったら、

「ピー!」


私:「はぁぁぁ?」

検:「コートを脱いで下さい。」

私:「来るときはこのコート着てても大丈夫だったんですけど?」

検:「お願いします。」

私:「…」


結論は問題なくでして。


私:「全国の空港の検査基準って、違うんですか?」

検:「一緒です。」

私:「じゃあ、なんで千歳で大丈夫で、ここじゃダメなんですか?」

検:「感知の加減で…」

私:「で、このコートは何でひっかかったんですか?」

検:「バックルですね」


どう見ても、
普通のたいして大きくもないよくあるバックルなんだけどね。





もしかして

あそこって、見た目とかで「ピー」って鳴らしてるの?

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きっと、
上手に文章にできない
今日のエントリーになると思います。

許してください。




昨日。

楽しみにしていた1試合目(栃木VSパナ)は
栃木の元気のなさがあまりにも目につきました。

卓也も、
無理を押しての出場だったのか。

でも、
栃木の底力はこんなものじゃないでしょうよ、きっと。

ファイナルのあのパワーと勢いと(一緒か?)オーラは
そんなに簡単には崩れないと、

あの試合を目の前で見た人間として、
そう信じてます。


2試合目(トヨタVS三菱)も、
三菱の確立の高いスリー以外は

圧倒的にトヨタのチーム力が優れていて
一方的な感が否めませんでした。


高齢チームになってどうすんだろ。と
勝手に心配してた昨シーズンのトヨタだったのに、

若いいい選手が
ちゃんと育っていたことに、

ただただ脱帽です。



そんな一方的すぎた2試合の後、

「しっかり、しっかり頼むよ。」と
今までにないくらいの思いを込めて、

コート上のレラを見てきました。


スタートからの激しいDFで
しっかりと戦った選手達には

珍しく、たくさん声を出して声援しました。


細かなことは、
覚えてません。


でも、
良太の気迫は十分に伝わってきました。

彼は、
本当に熱い選手になったと思う。


レラを
応援しにきて、

本当に良かった。



そして
本当にごめんなさい、朝山さん。

朝山さんのドライブにも
朝山さんのすりーにも、

全く喜べませんでした。





そして今日。

昨日の罪滅ぼしにと、
かなりの気合を入れてコートの朝山さんを見ましたよ。



またしても、
来て良かった。

心の底から、見れて良かったと思います。



実は、
札幌を出るときにめちゃくちゃ迷ったんです。

カメラを持って行くか否か。


アレ、重たいのよホントニ。
それで、今回はあくまで応援重視ということで、やめたんですね。

でも、
朝山さんを(勝手に)撮り続けてきた私としては
試合開始前まで後悔しつつあったんだけど、

カメラが無かったおかげで
しっかりじっくり、

朝山さんの気迫のプレイを
とことん目に焼き付けてくることができました。



日立のDFは
もう「すごい」のひとことで、

ジョージは、
普段はそんなにゴリゴリいくようなイメージではなかったのに

もうそれはそれは、
意地になってるくらいコースケを背にして
ゴールにアタックしてました。

申し訳ないけど、
気迫はコースケよりもビリビリ伝わってきました。

ジョージだけでなく、
日立はいいチームになってる。

これから絶対に上がってくるだろうね、チーエム。


2ピリ途中くらいから
あきらかにアイシンは苛立ち焦っていたようにも見えました。


でも実は
こういう時こそ、朝山さんがチームを変えているんです。

(昨シーズンの、日立戦でもそうでした)

いつもは冷静沈着なアイシンを、
熱くてがむしゃらなチームに変えているんです。


私の中では、
ファイナルに続くくらいの

アイシンのナイスゲームだったと。

あくまでチームにとっては、ではなく。
ファンとして、ゾクゾクする最高のゲームだったということね。

でも、本来はそうあるべきだと思うんです。


余裕のある朝山さんの姿より、

吼えたり
胸をぶつけあってる朝山さんの方が、

どれだけファンを魅了していることか。

(今日は、めっちゃ吼えてた♪)


そして、
後半にはしびれるスリーが続きました。

待ってるスリーじゃなくて、
DFかわして、いいタイミングでいい空間にもらいに行ってのスリーは

「これなんだよ~。見たかったのは、これなの~。」って
思わず漏らしちゃったもん。
(一人で行ってたから、隣の人はびっくりしたと思うけど)


私はやっぱり
いつまでも、これからも、シューター朝山正悟を見ていたいんです。


まあ、
4ピリ後半からオーバータイムゲームでは
相当ゼーハーしてて、

ゲーム終了後も
日立の表彰式(3位)始まるギリギリまでしゃがんでたのは、

しょうがないとしましょうか。



この苦境で熱く戦うレラを応援できて、


がむしゃらに熱く
そして大活躍だった朝山さんを見れて、


今回の遠征は最高でした。

母が、
これだけ満足して帰れば、
監督もねえねも許してくれるでしょう!





昨日は楽しい夕食のひと時を過ごすことができました。

今日は、たまにしかお会いできない大好きな方達ともお話できました。
寒い北国では感じられない、暖かい風を感じることもできました。

みなさんのおかげで、
ひとりで行く観戦旅行は、いっつも幸せいっぱいな気持ちで帰ることができます。


これだから、遠征大好きなんだよね。


これだから、バスケット大好きなんだよね。









今日。



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マイレージが…

どーしても
近いうちに使わなければならないマイレージが…

あるんです…




年末ギリギリまで、
仕事頑張りました!(当たり前だけど…)

バーゲンで、
一枚も服買いませんでした!(これは、めっちゃ凄いことよ)



レラを、

あんなに大変な思いをして新年を迎えたレラを、

モチベーション下がってて当然のレラを、


応援するために、行ってきます。



対戦するのは「アイシン」だけど、

レラの応援に、行ってきます。




いいですよね?

朝山さん。




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新年です。


体調もイマイチで、

紅白もイマイチで、

実に腹立たしいこともあり、

結構ブルーな気持で迎えたNWEYEARでした。


ところがどっこい、


朝起きて、
素敵なNEWSがふたつも飛び込んできました。






思い起こせば

22年はすべてに中途半端な年だったような気がします。


7月以降
職場環境が大きく変わり、

ほとんど欠かさなかった水曜バスケに行けなくなり、

夜はPCをのぞく元気もほとんどなく即寝し、

週末は家造りに大半の時間を使い、


ことすべてのバスケに関しての情報や接触は
本当に少ない半年でした。


まぁ、それはそれで
それが私の22年だったわけで。


それを踏まえて
また新たな年を迎えようと思います。





ともあれ、

そんな1年の始まりが
素敵な出来事からのスタートで、

ほんとに良かった。





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