ゆめの、12歳離れた姉弟の観察日記とバスケット(JBL・bj・車椅子バスケ)応援ブログ
銀の夢



悔しかったです。


ただただ悔しかった。



私、
自分でも「バカじゃないか?」と思うくらい
ねえねのバスケへの思い入れが強くて

実は
昨日の日を迎えるのがすごく怖かったんです。




ねえねが書いたとおり
彼女がミニバスを始めてからは本当に

私も一緒にバスケ漬けの4年間でした。


ジュニアになって練習を見る機会がグッと減って
少しは離れられるかなと思ったのに、

結局水曜と日曜の夜には一緒に体育館に通ったので
やっぱり彼女の姿を目にし続けることになったわけで。



特に
今の2年生との新チームになってからは、
彼女ながらに随分と上手になったと感じていたからなお、


昨日
それをコートで出し切れずに終わってしまったことが
本当に悔しくて悲しくて申し訳なくて・・・



負けてもいい。

とにかく
とにかく自分の力を出し切ってくれれば・・・


その願いも叶いませんでした。







ねえねが帰ってきて、
実家から応援にきていた私の両親と言葉を交わす彼女に

「ちょっとおいで」と私の部屋に呼んでドアを閉め、
下をうつむく彼女を隣に座らせて「お疲れ様」と声をかけた途端


わあわあと泣き出したねえね。


「なんにも出来なかった。
 なんにもしないまま終わっちゃった。
 自分のせいで負けたちゃった・・・
 悔しい、悔しいよぉ・・・」


ずっと我慢していたねえねが
私の横で声をあげて泣く姿を見て

それまで泣いていた私の方が
「あぁ、一緒に頑張ってきた甲斐があったな」って思えました。




ゲームスタート前に自然と手をつなぎ
「勝つよ!」と声を出した子供達の姿を見て(そんなこと初めてだし)

もうその時点で涙があふれてきて、

最後まで大きな声を出し合っていた姿にも感動し、

チームは本当にひとつになって勝利に向かっていたのは間違いなかったこと


そのことはちゃんと伝えました。


そして
彼女が力を出し切れなかったこともまた事実で

これまでやってきたこと、成長した自分の力に自信をもてたからこそ
こんなにも悔しいんだから、

その努力と成果は間違いないんだよ。
胸を張っていいんだよ。と


良く頑張ってきたもんね、ねえね。





それともうひとつ。

本人達の本当の気持ちは到底私達にはわからないことであり、
所詮偽善者きどりの想いに過ぎないのかもしれないけれど、

これだけは彼女に伝えました。



今回の大会、
初戦が本当に勝負で、

想定どおり最後まで接戦になりました。


多分コーチも、
出したくてもどうしても出せなかった3年生達が5人。


同じように練習に励み、
同じように応援に通った親同士なのに、

結局コートに立てずに終わってしまった子と親の気持ちを考えると
私達の想いなんて自分勝手過ぎるくらいです。


彼女達の痛みをわかってはじめて、
ねえねも人として成長できるのかな。





とエラソーに書いてるその張本人は、

ビデオ撮影も、
始まってすぐに手が震えて撮れなくなりました。

2日前に届いたばかりのNEWユニフォーム姿も
1枚たりとも撮れてません。

最後の最後まで静かに応援できずに騒いだり、
神様にブツブツとお願いしてたりの、愚かな私を

関係者のみなさま、どうか許してください。


両親をはじめ
よっしー、しゅんしゅん、さおちゃん、○久保先生、
たくさんの応援団も駆けつけてくれました。

本当にありがとうございます。



コーチ、
いつも一緒の応援席の父さん母さん達、
3年生のみんな、
新チームのみんな、

ありがとう。






でもって、


これからも、ヨロシクね。

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最近
レラカムイファンの方達も見てくれているこの機会に

せっかくだから
私と『OSGフェニックス東三河』
そして『#2朝山正悟選手』とのつながり(?)を
知って頂けたらと思います。



まずは
(注:寝てしまわないで下さい)

娘と母のバスケット軌跡①
娘と母のバスケット軌跡②
娘と母のバスケット軌跡③
娘と母のバスケット軌跡④
娘と母のバスケット軌跡⑤
娘と母のバスケット軌跡⑥
娘と母のバスケット軌跡⑦
娘と母のバスケット軌跡⑧
娘と母のバスケット軌跡⑨
娘と母のバスケット軌跡⑩
娘と母のバスケット軌跡⑪
娘と母のバスケット軌跡⑪その2
娘と母のバスケット軌跡⑫

娘と母のバスケット軌跡⑬

2007年1月20.21日 対パナソニック戦 in旭川

初めてOSGを観て
初めて朝山選手に会ってから丸1年

やっと旭川に来てくれた!


娘のミニ最後の公式戦が終わり
私が監督を出産してからまだ2ヶ月の慌しさはあったものの

夏のイベントでは朝山さんは来旭できず


心待ちにしていたこの日がやっとやっと・・・・


朝山さんのブログで
何とかハンドルネーム「ゆめ」と出身「旭川」くらいは
覚えてもらったかな?と

試合前のセレモニーで、
選手と手を繋いで入場できる地元ミニの子供に

「どおか、娘が朝山さんと手を繋いでくれますように」

(そしたら、どさくさにまぎれて母がもう片方の手を繋いじゃうもんね)
という思惑が悪かったのか、残念ながらそれは実現せず・・・


とにかく、
お話したかった!
握手したかった!
写真を撮りたかった!

だって、ほんとに待ってたんだもん!


・・・ってなことで
「サイン会でもいいか」と応援に集中。

しかし、
その日はパナソニックに負けてしまい、
「サイン会はないかも」という不確定情報を信じた私は

監督の待つ家に帰った後
サイン会が行われた事実を知り驚愕してしまう・・・



「今日こそはっ!」というもの凄い情熱を背に
2日目の試合会場へ。

その日は車椅子バスケの試合が前座で行われ
途中トイレに行ったロビーにて


いきなり朝山さんに遭遇!


覚悟も何にもないままあたふたとしながら

「あ、あ、あしゃやましゃん!
あ、あの、ブログにおじゃましてる、「ゆめ」です!
しゃ、しゃ、しゃしんとってくだしゃい」

みたいなカンジ・・・


「あ~!、いつもありがとうございます。
すみません。
写真は試合終わってからでいいですか?」

「あ、あ、はい!すみませんでした」


初の会話(?)がコレでした。


落ち込みましたよ。

(・・・あああ、なんて常識無いこと言っちゃったんだろ・・・)



でもでも
その日の試合は勝利!

何とか出待ちをしようと。(めげないっていうか、こりない?)


ロビーでソワソワしてたらば

地元高校生が何やら花道のような感じで並びだした。

どうやら選手をファンから守るための盾になってたらしいが


なんと私は
その盾となった高校生の一番最後にす・す・すぅっと並んじゃったよ。

「私も盾ですよ~」ってなふりしてね♪
(あの時、盾を誘導していた協会のK監督。
 見ないふりしてくれて、ありがとうございました)


目の前を通るみなさんに「おつかれさま」の声を掛け

ついに、朝山さんが・・・


「あ、あ、あくしゅしてください」

「あれ、写真もいいんですよ」


なんて、
なんてあなたはやさしいの、あさやまさん。


ヨダレを垂らしながら、もとい・・・
ナミダを流しながら、撮ってもらいましたよ2ショット!




ちゃあんと、写真のこと覚えててくれて
わざわざ言葉に出してくれた朝山さんなのでした。



そう言えば
隣の高校生が川村くんに、財布にサインのお願いをしたらば

「え、もらっていいの?もらっていいの?」

とやけに絡んでた川村くん、
彼の気さくな一面も垣間見れたステキな花道(?)でした。






さあ、
今週のホームで勝って!

来週の札幌戦は、待ってますよ~!!!

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     【18年11月 最後の公式戦のDVD】


娘の1年下の、
○るかパパが作ってくれた選手権のDVDは

母の宝物。



貧血を乗り越えてからの娘には

『自分との戦い』
『コーチとの戦い』
『母との戦い』が待っていました。

べスメンとして、センターとして
どれだけ成長し、どれだけチームに貢献できるか。

前にも書いたように
娘はシュートをよくはずす。
(・・・ホントはそれで終わってるんだけど
なんせまだ発展途上だから・・・ネ)

チームに預けた以上
指導者にすべてをおまかせし、
見守り、応援し、ねぎらうことにのみ
専念すべきだったのか。


母はそれが出来ず、
いつも口を出していた。(家に帰ってからデスよ)

たとえそれが間違っていたとしても
母と娘のバスケは、そうして築いてきた。

ダメなところをとやかく言うのではなく
まずはその日の良かったところを挙げる。
どんな小さなことでも、
たとえコジツケでも。

で、
「それが出来るんだから、シュートが入れば言うことなし」と。

あとは、
割合安定していたディフェンスについては
褒めながらも、どんどん指摘した。

「こんな風にも、絶対出来る!
 次は、絶対抜かれない!
 ゴール下のディフェンスは鉄壁にしよう!」と。


もひとつ水面下では
1年下のガード(彼女が事実上のCAPだったかも)○りなに

「パスを出してもシュートの入らないセンター、
信用できなくて自分達で攻めていきたいのは良くわかるよ。
でもね、センターとして○○(娘)がスタメンな以上、
彼女を上手く使わなければ、チームじゃないし、勝てっこない。
ガードとして、チームメイトとして、○○にパスを出して。
そして、どんどん練習させて、もっともっとシュートが
入るよう、手助けしてくれるかな」


あの時は、勝手な母親の
でしゃばりな言葉を聞いてくれて

○りな、ありがとう。



さっきDVDを観なおしたら、
相変わらずヘタッピシュートだったけど、
ちゃんと入れていたよ。

何より、
ディフェンスを背中に自信を持って手を挙げてる娘に
どんどんボールが集まっている。

シュートを決める毎に
ダーと涙が出そうになった。


2回戦目で
先述のHコーチ(この大会の優勝チーム)と対戦し

みんな
とても、とてもよく戦っていた。

レベルは全然及ばないんだけれど
本当に、全員よく戦っていたよ。



このDVD、
2試合分の他に「おまけ」があって

森山直太朗の『さくら』をバックに
色んな写真の映像が・・・
そして、
子供達の#ナンバーと名前がテロップで流れてきたらもう

涙がジョバー・・・


そのあともう1曲
ゆずの『栄光の架け橋』が流れて

ケンタッキーコーチがまたまたジョバー・・・だったとか。
http://blog.goo.ne.jp/momom34/e/3cdf95e35efa4fe98dd476f398ff71eb


実は母には
この大会でもうひとつ自慢したい思い出があって

1回戦目の
4Q、残り29秒(33対21でリード)で
公式戦に出場したことのない、6年生の○やなが泣きながらコートへ。

入ってすぐに娘にうまくパスが通りシュート。
相手のスローインから2戦目のロングパスを
娘がカット、キャッチして
そのままランニングシュートで行くと思いきや

右側やや後ろにいた○やなに最後のパスを出した娘よ。


辛かった、
でも楽しかったミニバス生活の

最後の最後、残り5秒で
よくもまあそんな判断ができるものだと、


母は感動しつつ、ビックリしつつ

でもやっぱり、優しい娘が誇らしかったのデシタ。







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昨日に引続き
『バスケットボールフェスティバル』2日目
Å川地区国体選抜対OSGとミニとの交流試合

全くの朝山選手レポですが、内容はコチラ↓
(朝山正悟選手公式blog内 BBSからのコピー)

~めくるめくような、夢の2日間が終わってしまいました。選手の皆さんは、無事に豊川に着いたでしょうか。

さて、みなさんお待ちかねの本日のレポートです。

会場に到着すると、すでに朝山さんはシュート練習をしていました。
まだのんびりしている選手もいるなかで、何度も何度も3Pを打っていました。
試合前のアップでは、普通に全力疾走(心なしか、それすらも楽しそうに走っていると感じたのは、私だけではないはず)している朝山さんを見られて、まずは感動その1です。

旭川の高校男子選抜との交流試合では、朝山さんは出場しませんでしたが、なんと!先日私が書き込みした、工業高校の8番クンが選抜の5番として出ているではありませんか。
もう会うことはないと思っていたので、何だか不思議な縁だなぁと、これまた感動その2でした。

試合中堀田さんが怪我をしてしまったのですが、そんなにひどくないのでは、とのことで一安心でしたが、倒れた際には、ベンチの選手全員が駆け寄るんですよ。鉄夫さんが倒れた時もそう(何ともなかったのですが)。だからOSGって好きなのかも。

続いてミニバスのゲームでは、選手が一人づつチームに入って戦うのですが、子供たちよりも明らかに選手の皆さんの方が楽しそうでした。
朝山さんは、背の低い子に合わせて、しこを踏んでるように低~いディフェンスで、でもちゃあんと進む道はあけてあげながら、オフェンスでは必ず子供にシュートを打たせて、でも外れたら、『アリウープ!』これでもかこれでもかっていうくらい、すぐ目の前で朝山さんのアリウープが見られるなんて、全くの予想外で感動その3。
1点差リードで残りわずかな時に、チームの子がナイスシュートを決めると、朝山さん「イエス!」って叫んだんです(笑)
前にみた夢のとおり、やっぱり朝山さんは英語が堪能なんだと確信しました(またまた自分ネタですみません)

ミニバス終了後には、朝山さんが監督に気付いてくれたではありませんか!
何のためらいもなく、最高の笑顔でパッと監督を抱き上げてくれて、思わず「監督~、お父さんだよ~」と言ってしまいそうになるのをグッと我慢しました。
何故なら、先日用事を済ませに監督を連れて会社に行った時のこと、監督を抱っこした上司が「お父さんだよ~」と言って、すごくいやーな気分になったからです。
とにかく、娘も一緒に居たので、まるでナイスファミリー(?)のようなショットが増えたので感動その4。

交流会終了後、お見送りをと玄関で待っていると、何故かお迎えのバスが来ていないのに気付き、「裏玄関かもね」という不確定情報を信じて行ってみると、ありましたよぉー、バスが。
結局、気付いて裏玄関に来たのは私達とめぐさん親子のみ。恐るべし朝山ファン。

最後にもう一度、シーズンへの強い意気込みと、あったかい握手をして頂いて、泣く泣くお別れしました。
朝山さんは、監督を見て「今回はすごく癒されました」って言ってくれました(感動その5)が、朝山さんのプレーと笑顔に、いつも癒され励まされ、元気をもらっているのは私達なんですよ。
これからも、どおか頑張って下さい。ずっと応援していますから。

最後になりましたが、遠い旭川でのものすごい強行スケジュールの中、終始笑顔だった朝山さん、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。~以上

【監督を、とっても上手に抱っこする朝山さん】




1年半ほど前に
朝山さんのblogにお邪魔するようになって間もなく

同じくblogで朝山さんを応援していた
Å川在住の『めぐさん』とお会いした。


たしか
2006年3月のプレーオフ(?)を北海道から見に行って、
東愛知新聞の号外なのかOSG満載の新聞を
わざわざ私のためにもゲットしてくれたとのことで・・・

とっても、とっても嬉しかったデス。

(その新聞の1面)


ミニバスをする同い年の娘を持ち
その他幾つかの共通点を持つ『めぐさん』とは

何度か娘の試合会場等でお会いしました。


当然この2日間とも『めぐさん』も参加され
朝山さんの入ったミニチームの交流試合は

二人並んで観戦させて頂きました。

二人が居た場所は
朝山さんチームと戦う相手チームの応援席。

何故かって?
朝山さんのシュートゴール側だからですョ。

全く知らん人が
自分のチームの応援席にいて騒いでるって
相手チームは不思議に思っていたことでしょう。
(しかも、敵チームの応援してるって、どんだけ~)


お見送りでは、
A川も田舎だし、試合は年1回。
バス待ちをする熱狂的なファン数も限られてるんデス。

でもって
帰りのバスが裏から出たものだから

ホントにそこに居たのは
私達親子2組のみ。
(地元では考えられないのでは?)

思う存分
みなさんとお別れの挨拶をしました。

心なしか
他に誰も居なかったのでみんなちと寂しかったのかもしれません。

むしろ皆さん
丁寧に挨拶していってくれたような。
(北郷さんは、わざわざ近づいてきてくれました)


『番外編その1』です(BBSからのコピー)
~夜の交流会でのこと、立食だったのですが、隣のテーブルにいた大口さんがあまりにも辛そうに、テーブルに肘をついたりしゃがんでみたりと・・・
思わず近くに立てかけてあった椅子を差し出してしまいました。
でも、「若いからぜんぜん大丈夫!」と最後まで頑張ってました。
そのまま大口さんとお話している時に、向かいにいた選手を指して『あ、あの太田くんですね』と私が言ったのですが、大口さんがあわてて「ちがうちがう。長谷川だよ!」って・・・。すみませんでした。トホホ・・・
その長谷川くんは、娘の通っていたミニのチームに参加してくれたのですが、楽しそうに口元は笑っているのですが、目元は泣きそうに見えるんです。
歌手の槙原さんに似ていませんか?
って、話題がズレちゃった。~

またまた『番外編その2』(BBSからのコピー)
~大口さんとお話しているところへ、何かをモグモグ食べながらの桑原さんが登場。
せっかくなので「KOさんのブログ、見てますよ。いっつも桑原さんネタですよねぇ」と。
桑原さんは「オレしかおもしろいこと、しないんだよね」とおっしゃるので、「桑原さんだって、あんまりおもしろくないですよねぇ。砂浜での水たまりとか・・・」と大口さんとボソっと。
でも、懲りずにまたお願いします。

続いて北郷さんネタ。
夜の交流会終了後、朝山さん待ちにつき(?)出口付近に立ちながら、出てくる選手や関係者の方達に「お疲れ様でした~」と挨拶していたら、北郷さんが何故か横に居て、「お疲れ様でした~」と。
さすがキャプテン(?)
そんな北郷さんも、帰りのバスの前で「赤ちゃん、抱っこさせて下さい」と言いながら、感慨深げに監督を抱っこしてました。
家で待つ、可愛い可愛い MY BABY のことを思い出していたのでしょう。とってもステキな顔をしていました。~ホントに以上です


さて。
『めぐさん』も『snowさん』も
札幌での試合は応援に来るとのこと。

ETSUCOさん、すぅさんもやってきて、

コートサイドで騒いでるのが居たら
それは間違いなく、ワタクシ達で~す。





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たまに
OSGネタを書かないと
自分でも息切れしてしまいそうなので

ほんの2ヶ月ほど前にあった
夢のような2日間の出来事を・・・


そう
A川地区のバスケット連盟(?)が主催する
『バスケットボールフェスティバル』

今年は
我らが朝山正悟選手も来てくれました!


1日目は子供達のクリニックがあり

夜には・・・なんと・・・
・・・懇親会があるんですね~


なんせ
1年に2回しかないチャンス(試合は1回)
しかも
選手達と直接触れ合える
またとない絶好のチャンスなんですよ!


で、
懇親会の模様は コチラ↓

[朝山正悟選手の公式blog内 BBSよりコピー]

~只今帰りました。かなりの幸せキブンです。

選手の皆さんのテーブルになかなか近づけず、行ったり来たりしていた姿が相当挙動不審だったのでしょう。私のすぐ横にいた司会の方が、なんと朝山さんを連れてきてくれました!
脚のこと、娘のことなどを話た後、カメラを頼んだ友人がなかなかうまくシャッターをきれずに、数回ポーズをとらされた時は、「友人よ、いいぞぉ」と思ったのですが、結局撮れていた3枚の写真のうち2枚はブレブレでした・・・

明日の試合は、念のために出場しないそうです。
でも、ミニバスとの交流試合には出られるかも、とのこと。
あくまでシーズンが照準ですから、無理はしないで、明日は子供たちと思いっきり楽しんでいる姿が見られたら、それで十分です。

会が終了後、出口で待っていたおかげで、一緒のエレベーターにも乗っちゃいました(みなさん、ごめんなさい、でも当然二人きりではありません)
ただ、選手の一団に遅れていたようで、誰かに電話をしながら繁華街に向かって小走りに走っていった朝山さんは、無事に合流できたのでしょうか。

今日は、遠山さんにもお会いできました。
さわやかで、腰が低く丁寧で、やっぱり高感度の高いステキな遠山さんでした。が、パーティの中では綺麗な女性人とたくさんお話してました。もしかして、2次会か3次会の約束をしていたのでは?
(今日は川村君もいないし~)

最後に、パーティの抽選会でのこと。
選手に商品が当たった場合は、その選手が引いた番号の人に商品をプレゼントしていたのですが、なんとシューズバックの当たった鹿毛さんの引いた番号が大当たり!
そこまでは良かったのですが、商品を手渡された後に恒例(?)のハグがあるのですぅぅぅ・・・。
『朝山さん、ごめんなさ~い』と心の中で叫んだのは言うまでもありません。
でも、鹿毛さん、ありがとうございました。
ちなみに、朝山さんは当たらなかったので、誰にもハグしてません。
そうそう、鉄夫さんが、当たった女性にハグしようとしたらその女性がクルッと前を向いてしまい、鉄夫さんの腕が‘スカッ、スカッ’ってなって大爆笑でした。

ETSUCOさんのように上手にレポートできずにすみません明日また行ってきま~す。~以上です


実は
ごく最近、縁あって連絡をとることとなった『snowさん』

上記の(私にとって夢のような)エレベーターの中に
偶然居合わせたそうなんです・・・

我がミニチームのケンタッキーコーチが
ほれほれとひやかしながら、

ワイのワイのと騒いでいた私達のアホな様子を
しっかりと見ていた
生き証人だったんです



で、
わたくしの鹿毛さんとのハグ写真がコチラ↓
(こっちはブレてないのに・・・)





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【2006年夏 OSG交流会】

(地元新聞にて掲載された写真を買ったものです)


昨日は
母の話でお茶の間のお茶を濁してしまったので・・・

たまにはOSGネタを。


昨年の夏、

毎年恒例の地元バスケットボールフェスティバルに
OSGフェニックスの選手達が

やってきた!


しかしこの年は
我らが(誰ら?)朝山正悟選手は
日本代表の合宿に参加中であり
残念ながら来られなかったのデス・・・

朝山さんが頑張ってるんだし~
母は大人だから~
全然平気~

ではなかったんですけどね


泣きながら
ミニバスとの交流(各チームに選手が1人入っての)試合会場に到着。

娘のチームには
我らが(だから誰らが?)陳選手がご一緒してくれるとのこと。

イエィ

指導者以外はみな
2階から見学してたのに

『私、カメラマンですから。』てな顔して
あっという間に1階に下りて行き

「陳さん、今日はよろしくお願いします。
写真撮っても良いですか?」と

握手まで求めながらの行動に

2階の母達曰く
「さすがだゎ・・・」



ちなみに
相手チームには
我らが(はいはい)桑原選手が投入。

娘の放つシュートを
ことごとくシュートブロックしていた証拠写真が

↑です。


他の選手達は、
チームの程度や試合の流れに適宜応じて

それなりに子供達に
花をもたせてやってた様なのですが

桑さんは
ハエたたきのごとく
これでもか、これでもかって・・・

母達が
ブーイングすればするほど
むきになってたような気がしてならないのですが。


その後のサイン会で
子供と「ヒドイですっ」って抗議したら

「いやぁ、
こっちのコーチにやってくれって言われてさ」

って・・・

大人気ないのはいったいどっち?

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ミニバスの指導者は数知れど

あんなにも熱い(暑い)指導者はなかなか居ないかもしれない。


我がチームのケンタッキーコーチと
Hコーチとならび地元強豪チーム率いるデーブコーチ。


ケンタッキーコーチは
K監督夫妻から熱望されて我がチームに来てくれた、

優秀なバスケットマンだ。

明るく
お茶目で
何より熱い。

熱くなり過ぎて
試合中、何を叫んでいるかわからなくなるほど熱い。

そして
子供達が大好き。

大好きすぎて
高学年からは若干引かれていたかも・・・

でも、
「大好き」と言われて嫌な子供は居ないハズ。
恥ずかしかっただけだったと思うよ。


多分
寝ても覚めてもミニのことばかり考えていた
超熱血ケンタッキーコーチ。

デーブコーチにならい
「栄光の架け橋」(ゆず)をチームソングにし、

聞いては涙ぐむケンタッキーコーチ。


相変わらず
試合中叫んでいるのでしょうか。

どうせ叫ぶならはっきり言わないと、
子供達に届かないぞ!


初めての練習で、
ケンタッキーコーチがものすごく褒めてくれたこと

娘はとっても嬉しそうに話していました。


そして
そのケンタッキーコーチの熱きお手本デーブコーチ。

何より
まずは子供達の『心』をきちんと導き
そして常に
強いチームを作りあげる、

尊敬すべきデーブコーチ。

ケンタッキーコーチとの繋がりとはいえ
我がチームの子供達のことまで

心から指導し
心から応援してくれたデーブコーチ。

常に周囲への気遣いをし
その凛とした雰囲気のイメージとはうらはらに

ケンタッキーコーチに
「あんな熱い人はいません」と言わしめた
デーブコーチ。

試合中
飛んで跳ねて、また飛んで
「よしっ!」と
子供をしっかりと褒めてあげる

デーブコーチのもとに居る子供達は
幸せです。


娘と一緒に職場で偶然お会いした時
娘の名前を呼んでくれたこと

とっても嬉しかったです。


バスケットをやっている限り
必ずどこかでまたお会いできると

その日を楽しみにしています。

【昨年度 夏季大会 地区優勝後】

(まさに死闘を終えた後の、相手選手との挨拶をするデーブコーチ)




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ドキドキしながら
初めてミニバスの練習を見学した。

子供達を指導していたのは
ボーイッシュな雰囲気のKコーチ。


現在、大学1年と高校1年の二人娘を
立派に(二人とも優秀なバスケ選手)育て、

自らも仕事を持ちながら
現役選手として社会人チームに所属し

そして
我らがミニバスチームを指導してくれるKコーチ。


夫でもあるこわ~いK監督と
時に熱くなりすぎるケンタッキーコーチから
子供達を救うべく(?)
どんな時にもフォローしてくれるKコーチ。


自らは
激しく感情的になることは殆どないが、

娘達の最後の公式戦では、
コートサイドを
行ったり来たり、飛び跳ねて応援してくれたっけ。

みんなからの信頼も厚く、
母も大好きなKコーチ。

あなたの
まちゃまちゃの物真似が
どうしても頭から離れないんですケド。


そして
いっけん怖~いK監督。

子供達にとっては
いっけんじゃなくてホントに怖かったK監督。

でも娘曰く
「いや、でも正しいことを言ってるから
キチンとやれば怖くないよ。」と

・・・そと通りでゴザイマス。


ご自身も少し(?)前までは、
地元内外でも有名な社会人チームの選手として
ゴリばりに活躍されていたとのこと。

娘さんの中学の監督も兼任し
みごとチームを全道1にも導いた名将です。


怖い怖いと書きながら、
母たちからはとっても愛されてました

大きいお腹でチビちゃん達の相手をしていた母を
幾度となく心配し

予定日頃には
「まだかい?」と会うたびに聞いてくれる

目を見たら
すぐに優しい人だと感じれる

ゴリ、いやもとい
クマちゃんみたいなK監督。

あなたが
始めての試合で、娘が飛んだリバウンドを見て
「お~って、鳥肌が立ったよ」と言ってくれた言葉

母はずっと忘れません。


娘が
こんなに元気に、
力いっぱいバスケに打ち込めているのは

お二人のおかげです。

ほんとうに、
ありがとうございました。

【ミニバス最後の公式戦】








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娘の重度の貧血を
気づいてやれなかった自分をひどく責めていた頃

久しぶりに
朝山正悟選手のブログを開き
BBSに書き込んだ。

今でこそ
朝山さんそっちのけで(ゴメンナサイ)
みんなの交流の場となっているBBSだけど

当時は
まだファンが個々に書き込むだけだったハズ。


次にそこを開いた時は本当に驚いたなぁ。

たくさんの人達から
励ましや、娘を心配してくれる応援メッセージが

いっぱい。

その節は
みなさん本当にありがとうございました。



たまに検査をしたり
たまに薬を飲むことはあっても

今では元気に走ってます。

約1か月ほど
走ることすら出来ない辛い時間を我慢して

それから娘は
「バスケが出来る喜び」という
大切な気持ちを手に入れたよう。


朝山選手も
ケガそのものの不安と
バスケが出来ない辛い日々を乗り越えて

そして得たものが

練習試合やOPEN戦を観た人が
「以前より更にパワーアップしたね」
と言わしめさせる

そういう
大きな力なんでしょう。


でも二人とも
本当の戦いは、これから。


まだまだ
母とarc仲間の応援の日々は続きますよぉ!


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選抜選考会で初めてお会いしたHコーチ。

地元でも1・2を争う強豪チームのHコーチ。

二人の子を育て仕事をしながらミニバスを指導するHコーチ。

毎日何度もブログの更新をするHコーチ。

声が大きくて喜怒哀楽がはっきりとしたHコーチ。

子供達への愛情が全身から溢れていたHコーチ。



特に懇意にしていたわけではないけれど、

ごくたまにブログにお邪魔して
大会や練習試合で話す機会も増えた。

私は彼女の人間性がすごく好きだった。

パワー
愛情
ユーモア
厳しさ
礼儀
情熱
潔さ

たくさん持っている人だ。
カッコいい!と憧れる人だ。


ところがある日
彼女のブログに悲しい書き込みがあった。

外部ではない
関係者であろう人物からのその書き込みに

彼女は相当のショックを受けたと思う。

私を含め
たくさんの「大丈夫!」メッセージが届くも

あっという間に
彼女はブログを閉鎖してしまった。


どんなに一生懸命やっても
どんなに子供達を愛しても

すべての子供が試合に出られるわけでもなく
すべての子供に全く平等な指導が出来るわけでもなく


その子供達を大事に思う親からすると、
様々な思いがあるのかもしれない。

でも、その方法は間違いだと思う。


Hコーチはもちろん

そのブログを見ていた子供達にとっても
大きな傷をつくったのでは・・・


世の中のほとんどの指導者達は、
心からバスケと子供達を想ってくれているハズ。

子供のことはもちろん、
指導者をバックアップ出来うる親でありたいと

そう思いながら
明日の練習試合の準備をしようかな。


その後
OSGフェスティバルでお会いしたHコーチは

選手達が到着した途端に
写真を撮ってもらっていたので(ピースしながらね)

『ぜんぜん大丈夫か』と
心配して損したかも









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寒い冬がやっと過ぎてきた頃

練習前のランニングで、
どうした訳か娘のペースが遅くなってきた。

もともと持久力のある子ではなかったが、
それにしても明らかにみんなより遅れている。

そんなことが数回続き、二人で話し合い
足腰強化のために朝ダッシュの練習をし始めた。

それでもやっぱり走れない。

小さな3年生に負け始めた時には
私の激も更に厳しくなる。

当然コーチからも叱られる娘に、
帰りの車で母は再度怒鳴る。
「やる気が無いなら止めてしまいなさい!」

「止めたくないっ」って泣きながら言ってたっけ。


それからしばらくしての練習試合で、
Q1の後半から足がふらついているのを見て

「体力や気力の問題ではないのかも・・・」と
始めて何かの病気を疑いすぐに病院へ。

血液検査の結果は
『貧血』
しかもかなり重症の・・・

先生は「よくバスケットなんて出来たねぇ。
お母さん、今は階段のぼることすら結構辛い状況です。
しばらくは、運動はもちろん走ることも駄目です。」と・・・

病気のショックは勿論、
でもそれ以上に

こんなにも近くにいて、
いつも走っている姿を見ているくせに

娘が怠けるような子じゃないことくらい
一番わかっているはずなのに

なぜ早くに気付いてやれなかったのか。

どうして「もっと走りなさい!」なんて言ったのか。


あまりの自分の不甲斐なさに、
本当にほんとうにホントウニ、自分が情けなかったよ。

でも
一番辛かったのは、

どんなに走ろうとしても走られなくて、
叱られて、
すぐに交代させられて、
悔し涙を流した

娘本人。

ゴメンネ


検査や投薬を続けながら、

1日も練習を休むことなく
まだ夜は寒い体育館に座ってみんなの姿を見ていた娘が

ある日
私にこんな手紙を書いてくれた。







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【娘3歳 ひげおやじのメッサーシュミットと】


娘がバスケを始めてから母の生活が一変した。

週3回の練習見学は当たり前・・・
練習試合も当然のぜん・・・

空いたときは、一般開放体育館へ・・・
試合のビデオを観ながらアーダコーダ・・・


ずっと練習を見学していると、

プレイするのに必死な子供達より
母の方が明らかに良く理解してくる。

だから
開放体育館でもそれなりのことは言えるようになる。

でも
実際に見本を見せようと思ったら、
当然出来ない。

まぁ、ウソは言ってません、てとこかな。


そんなこんなで、
子供はみるみる上手になってくる!

上手のスピードが遅いか速いかはどうでもよく
とにかく上手になってくる!

その姿を
まじかで見て、肌で感じとれるのは

本当に親冥利につきる。

子供を応援する気持ち、
OSGフェニックスを、
朝山正悟選手を応援する気持ち、

それは
「趣味」の枠だけには留まっていないハズ。


さてさて、
2005年クリスマス頃からは
熱血コーチ(通称 ケンタッキーコーチ)が指導者に加わり

私達二人のバスケ生活も
ますますヒートアップしていく予定だったのが

この先、大きな落とし穴があったんです・・・







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選抜選考会から間もなくの2005年11月26,27日。

旭川を準ホーム(?)とする、愛知県豊川市の
OSGフェニック』が、JBLの試合でやって来た。
(当時は旭川在住)

ミニバスの子供たちを引き連れて、
一番前のコートサイドに陣取った我がチーム。

そこで初めて、#2『朝山正悟選手』を知ることとなる母。


「あの選手、笑顔がステキだし、元気いっぱいだし、カッコいいなぁ」


東芝との試合は1勝1敗であったが、
迫力ある試合を目の前で観戦し、
あっという間に、そのおもしろさに引き込まれ

そしてあっという間に、
OSGと朝山正悟選手のファンとなってしまった母。


その後すぐに、OSGと朝山選手のホームページを探し出し、

前回記事の、娘の選抜選考会でのことを
BBSに書き込みしたところ

何と12月6日の朝山選手のブログに、
娘の話に感銘を受け、自分も頑張ろうと感じてくれたと。

http://blog.goo.ne.jp/goodluck_1981/d/20051206


親が子供を応援するのは当然で、
誰かにそれを共鳴して欲しかったわけではなく、

ブログで、真摯にバスケにぶつかっている朝山選手を
もっと応援したい気持ちと、
娘への応援メッセージとがリンクして

ついつい書いてしまったような文章に、

朝山選手は心からこたえてくれたこと。


彼のその人間性に、ますます惚れてしまった母でした。

【1年生大会】
 
(実は、このシュートを外す・・・)                    

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その年の冬、地区選抜選手の選考会があり、
我がチームの5年生は全員参加した。

チーム自体元気がなく、
他チームの後ろにくっついて行くよな感じ
その中でも、ヘナチョコ娘はどうして良いかわからず状態・・・


ドリブルワークやらでも、あっちへゴロゴロ~

見ていた私が
「どうしてもっと早くにやらせてあげなかったんだろう。
ゴメンネ・・・」と悲しくなりました。

それでも帰りの車では、
「たとえ技術がヘタクソでも、やる気と声は1番になれるでしょう!」
と激を飛ばしたものです。

次の日、
体育館に到着しカバンを置いたチームの子供達。

すぐ隣に、前日の指導者の一人であるHコーチが座っていました。

(Hコーチからは、後に私のバスケ生活において
多大なる影響を受けることとなるのですが・・・)

当時はどこのチームの指導者かも知らず、
直接指導してもらっていなかったとは言え、
全員Hコーチの前を素通りしようと・・・

その時点で、入り口から見ていた私たち親は
「おいおい・・挨拶くらいしなさいよぉ」と怒鳴りかけた時


一番最後についてった娘が、
ちょこちょことHコーチの前へ行き、頭を下げました。

たとえ親バカと言われようと、
その姿を見て
「よしっ、母は今日も精一杯あなたを応援するぞ!」と。

その後娘には、
「何故あの時、チームのみんなを呼び止めて一緒に
挨拶しなかったのか」と、ちょっとだけお灸をすえましたが。

その日の練習では、
やっぱりヘナチョコな娘でしたが、

ディフェンスの練習では「ディナイ!ヘルプ!」と、
その日覚えたばかりの言葉を、
本当に大きな声でさけんでます。

それを見ていたHコーチが、
「この5人、いいぞぉ!」と、手をたたいてくれました。

その光景で、またまた涙してしまった母は

ただ単に、歳をとっただけなのかな。



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2005年7月、小5の娘が友達に誘われて隣町のミニバスチームに入った。

背はちょっと高めであるが、運動能力が高めであるとは言えない、
どちらかといえば「おっとり」型の子。

自称運動神経バツグンで、こと運動に関しては『モーレツ口出し魔』の母は、
運動会が近づくと、娘をせっついて徒競走の練習をさせた。
タイムを計りながら「もっと太ももをあーげーてー!」ってね。

でも4年間連続、リレーの補欠で終わってたなぁ・・・


で、やっぱりバスケの練習を見ていたら、ウズウズ・・・

「よし!何年もやっている子に早く追いつこう!」

ってなわけで、
週3回の練習以外の日に、一般開放される市の体育館には、
ヘナチョコ親子が出没し始めた訳です。

友達とよく来ていた大学生くらいのお兄さんが、
見かねて声をかけてくれたのはそれから間もなくのこと。

「手首はこうしてね・・・。ドリブルは・・・。」
娘と一緒に、母も『はいっ』って大きく返事してたっけ。

極秘特殊訓練と並行して、イメージトレーニングの参考書となるべく
かの有名な『スラムダンク』を二人して読破。

私の娘への助言は、
「ドリブルやらシュートは、そうすぐには上手くならないけど、
リバウンドなら、一生懸命手を伸ばして頑張って跳べば出来るかも。
『リバウンドを制するものは、試合を制す!』だよ」

初めての試合にちょこっと出させてもらった時、
パスもらってはトラベリングやら適当シュートのヘナチョコ娘が、
高い高いジャンプで1本だけリバウンドを取った。

カッコ良くて、涙が出た。

「さぁ、また頑張ろう!」ってね。



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