ゆめの、12歳離れた姉弟の観察日記とバスケット(JBL・bj・車椅子バスケ)応援ブログ
銀の夢



今日は、
母としてまことに自分勝手な内容となっております。
(あらかじめ、スミマセン)


ちょうど13年前の平成7年1月17日の早朝
阪神地区を大規模な地震が襲った。

生まれて6日目の娘と、退院する日だった。



それから10年後
小学4年生の娘が書いた読書感想文をここに残します。



「ひみつのふくろ」を読んで

 このお話は、わたしが生まれてたいいんする日におきた、阪神大しん災に
あった女の子のお話です。
 わたしは、平成7年1月11日に生まれました。阪神大しん災はその六日後の
平成7年1月17日におきました。
 その日、病院のベッドでお母さんはこのニュースを見て、たくさんの死んだ
人の中におおぜいの赤ちゃんもいたことを知ったそうです。
お母さんは、となりにいる生まれたばかりのわたしと同じくらいの小さな子が
たくさん死んでしまってとても悲しかったよ、と言っていました。

 お話の主人公のゆみ子ちゃんは、阪神大しん災で親を二人ともなくしてしま
いました。それで、ゆみ子ちゃんは薬をためて自殺しようとしていました。
 そんなゆみ子ちゃんを助けたのはとなりのベッドのおばあさんでした。
 おばあさんは「あたしゃもう死にたいよ」とゆみ子ちゃんに言ったのです。
ゆみ子ちゃんは「死ぬなんて言わないで」と言い、おばあさんを元気づけよう
と世話をするようになりました。

 わたしはここでふしぎに思いました。
それは、ゆみ子ちゃんみたいに死のうとしている人がいたら、死んじゃいけ
ないよ、とまわりの人はすぐに言うと思うのです。
でも、おばあさんは、今言っても聞かないと思い、ゆみ子ちゃん本人に
「死ぬなんて、いけないことだ」と感じさせたかったのでしょう。
 おばあさんは死にたいと言っていたけれど、きっと本心ではなかったのです。
この時おばあさんは、ゆみ子ちゃんが死ぬなんてことを思わないようにする
気持ちでいっぱいだったのだと思います。

 阪神大しん災から今年で十年目です。
わたしは、テレビで地しんにあった人たちのお話を見たり、この本以外にも
阪神大しん災の本を読みました。
みんな、家や家族などをなくしてつらかったのに、いろいろな人が助け合って
生きてきたのがすごいと思います。

 生き残った人達や、ゆみ子ちゃんやおばあさんが、今も元気にくらして
いるといいと思いました。



4年生にしては
漢字が少なかったり、幼稚な言い回しだったりもするけれど、
カッコつけてない、そのまんまの感想を書いたっぽいあたりが
娘らしいのかな、と思っていました。


この感想文は、
○川地区の4年生の部で最優秀特別賞をもらいました。


・・・自慢のように聞こえます?

本当は思いっきり自慢したいのですが
このコンクール、
実は「親子読書感想文」と言い親も書かなくてはならないので、
応募数が非常に少ないんですねぇ。


ちなみにこの年の4年生の応募数は

14通だったとさ!ちゃんちゃん。




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