ももママの心のblog

猫が大好き。有料老人ホームで生活相談員をしています。映画が好きだけど、なかなか見られません。

バックドロップ・クルディスタン

2008-11-23 | 映画 は行
若い映像作家の初々しいドキュメンタリー。馬鹿は国境を越える・・・という触れ込みですが・・・。

2007年 日本 ドキュメンタリー
2008年11月21日 川崎アートセンター・アルテリオ映像館
監督 野本大
出演 野本大
(出演作品などは私が観たものに限る)

ふとしたきっかけでクルド人・カザンキラン一家と知り合った映画専門学校の学生・野本。卒業制作に取り上げようとするが、かなわない。しかし、そうこうするうちにお父さんは裁判で負けて強制送還させられる恐れが出てきた。一家は、渋谷の国連大学の前で難民認定に向けてアピールするために、座り込みをする。野党と弁護士が動いて難民認定を受け、平穏な生活が戻ってきた。しかし、その4ヵ月後、お父さんと長男が強制送還されてしまう。どうしても疑問が晴れない野本は、学校を辞めて彼らの祖国、トルコへ向かうのだった。そして・・・

山形ドキュメンタリー映画際で、市民賞と奨励賞をダブル受賞したという作品です。ナンミンなんて何も知らなかった普通の若者が、人間としてカザンキラン一家に魅力を感じ、交流が生まれていたのです。熱いメッセージを訴えるちょっとお茶目なお父さん、しっかり者でそんなお父さんにほれているお母さん、頭脳明晰な長男、理性的な長女、兄を慕う次男、自分の意思がはっきりしている次女、みんなのアイドルの三女・・・・。そんな温かく居心地の良い一家が、ただ、クルド人でここが日本だということですごい苦労をしなければならなくなっているのです。
国連が難民と認定したのに、どうしてトルコに送り返されたのか?お父さんは実際にひどい暴力や1週間もの刑務所での拘束などという事実がないのに、偽りを言ってまで日本にとどまろうとしたのはなぜか?
難民って、本当に複雑な問題です。日本に暮らしてる日本人にはとても分かりにくいのです。自分たちの民族としてのアイデンティティが損なわれたり、圧制される恐れなど感じたことがないのですから・・・。

オスマントルコが崩壊する第一次世界大戦時、トルコ共和国が成立します。オスマントルコの崩壊でクルド人の住んでいた地域は4つの国に分割され、そのときからクルド人は国家を持たぬ最大の少数民族となるのです。しかし、トルコはクルド人の存在を当初は認めず、言葉や文化を禁止したりします。今はまったく禁止されていませんが、一部のクルド人解放運動をしている人たちを強く迫害したという事実はあるとのこと。お父さんの若い頃、そんなことがあったのでお父さんはトルコという国に反発を感じているようなのです。
野本はトルコに行ってお父さんのお父さんや、お父さんのお兄さん、弟さんと出会って、そんな事情を聞きます。お父さんのお父さんたちは、トルコに順応してトルコ人として生きていて、それで十分満足してるんです。でも、それって・・・どうなの?クルド人としてのアイデンティティを捨てているのに、気がつきもしないって事では?
お父さんは強制送還された後、生まれ故郷では暮らせなくなっていました。

お母さんや他の家族たちは、お父さんたちの強制送還から1年遅れでニュージーランドへ出国します。そして、お父さんたちも合流。やっと一家がそろいました。
ニュージーランドへ来た野本が帰るとき、お父さんは泣きながら言います。「自分たちは悪くない、日本人も悪くない。日本のシステムが悪い、世界のシステムがわるい、それだけだ」って。胸に迫る言葉です。
なぜなら、お父さんたちが強制送還された同じ日、ボスポラス海峡で日本の企業がかかわった大きなトンネル工事が竣工したのです。トルコとの国際関係を大事にしたい日本は、国連が難民に認定したとはいえ、トルコが「難民は存在しない」という立場を崩さないため、お父さんたちを差し出すことで国際関係を良好に保ちたかった・・・としか思えまないのです。お父さんたちは、国際事業の犠牲になったのです。こんなのあり?

野本は、傍観者に徹しながら一家の人間としての姿を映し出しました。社会運動家になりそうになったのではないかと思います。しかし、それじゃ、ドキュメンタリー映画ではなくなります。事実をそのまま映し出すカメラが、生き生きしていました。
ちなみに、バックドロップとはプロレスなどで使われる技ですよね。格闘技に暗い私には、よく分かりませんが、相手に強いダメージを与える技だけれど、下手すると自分自身もダメージを受ける恐れがあるそうです。野本君は、自分がダメージを受けるリスクを犯してまで、ナンミンとは何かと追求したくなったのでしょう。


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