Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

介護をサポートする人達

2012-06-18 22:32:34 | Weblog

 人と言う字は、支え合って生きる形を表した象形文字だと言う。しかし支え合って生きるのは人間ばかりでなく全ての動物に言えるのでないか。それは同種のものを守るという保存の本能から出ていると思うが、人間にはそれと違った支え合う何かがある。その出方は、人が生きた環境によって違ってくるのかと思う。私も老人介護施設等に行って、ボランティアをするようになったのは、そうした環境にあったからと考えている。とは言え、会社組織にいる時はそこまでは考えなかった。退職した時初めて、何か人のために出来ないかと思った。

 そんな気持ちから月に1回か2回老人介護施設等でマジックをしたり歌ったり、話すことをしている。今日が歌のボランティアの日である。この老人介護施設には,私と同様ボランティアで来ている人が多くいる。その月のボランティアの行程表が玄関の前に張り出されている。楽器の演奏とか、フラダンス、マジック、大正琴、おどり等が入っている。それ以外にもボランティアをやる人がいる。施設の一角に喫茶コーナーがあるが、このにも3人か4人の女性がコーヒーのサービス等を行っている。これもボランティアであると聞いた。また中学生も介護ボランティアとして、来ることがある。こうした人達によって支えられていると思う。この様な人の支えによって施設利用者も明るく感ずるし、話しをし、よく笑い歌ってくれる。

 私もこの施設に来るようになってから5年以上になる。以前は毎月準備のため半日以上を費やしていた。それは歌う内容だったり、歌を模造紙に書いたりする時間であった。しかし最近は季節のこととか、歌にまつわること等話題も広くなったと感じている。そしてマンネリ化にないよう、一人ひとりとの会話を大切にして進めるようになった。そうすると聞いている人の心が分るような気がした。先月まで来ていた人がいない時は、どうしたのだろうと心配になる。それだけ、施設利用者との距離が縮まってきていることを感じる。

 終わった後、喫茶コーナーで、介護利用者とコーヒーのサービスをしてくれる女性と話すことにしている。そうしたときは、介護利用者が自分の生い立ちとか過去のことを話してくれる。そのときの利用者の顔は明るく楽しそうに見える。ここには、長期間に入っている人も多い。そのような人は、孤独を感じている人もいると思うが、そうしたことを感じさせないような話を喫茶コーナーの女性はしていた。そこには、介護利用者をいたわる眼差しが自然に出ている。まだその域にない自分を感じた。


会  食

2012-06-17 12:08:42 | Weblog

 現職時代同じ系統にいた、同期や後輩と会食することになった。このことを計画したのは私であり、鉄道OB会を通して協力してくれた同期のMOさんと、今年度から系統別責任者になったMOA君とOO君に感謝と激励を伝えたかったからである。午後6時にホテルアソシア静岡の一階ロビーに集まった。予定した場所はバーコラであったが、土曜日と言うこともあって、満席となっていた。そこでパルシェの6階の寿司屋に行った。ここも外まで行列ができていた。待ち時間を聞くと20分ほどであったが、待つことにした。

 予約しなくても入れると思っていたが、外は今にも雨が降りそうな天気であり、こうした建物の中の店に集まったのかもしれない。しばらくして入ったが、その席は6人がけの席であり、うまい具合に空いた。そこに4人が座り、まずはビールで乾杯をした。私から、MOさんには2年間OB会のことで、協力してくれたことへのお礼と、MOA君とOO君には、新しく系統別責任者になってくれたことへの感謝と心構えを話した。

 あとは雑談となったが、MOA君から、店にNAさんが来ていることを教えてくれた。見るとNAさんが2人の女性と奥の席に見えた。NAさんは私が関連会社にいたとき本社の常務取締役をしていた。その後は名古屋のME建設の役員をしている人であった。静岡に住んでいて、年に1~2度合うことはあったが親しい間柄ではない。しばらくしてから、挨拶に行くことにした。女性は奥さんと娘さんであり「ウイークデーは名古屋に単身で行っているが、昨夜帰ってきた」と言った。今はその会社の監査役をしていて、あまり忙しくなくなったこと。ゴルフは概ね90ぐらいのスコアーをだしていると言った。家族と来ていることから、また会いましょうと言って自分の席に戻った。彼は新幹線の職場で知りあった人で、3人とは面識がなかったが、名前や顔は知っていた。

 NAさん家族は私達より先に帰って行った。私達も2時間ほどいて外に出た。しかしMOさんがもう一軒行こうと言うことになり、2人で居酒屋SUに行った。ここには年1~2回ほどきているが、現職時代はよく通った店である。その店も昔の賑やかさはなく、3人ほどがカウンターで飲んでいた。昔は国鉄職員のたまり場のようなところであったが、今は鉄道関係者が来ないと言った。そこで2人はビールなど飲み、カラオケを歌った。店を出たのは夜の10時を回っていた。タクシーで帰ったが、強い雨は降り続いていた。     6月16日のよるのことを記載する。


春ウコンの花

2012-06-16 22:50:10 | Weblog

 庭にピンク色の春ウコンの花が一輪咲いた。5~6年前に沖縄旅行をしたとき、その球根を買って庭に植えたものである。しかし今まで葉は茂るものの花は咲かなかった。しかしウコンの球根は生育が早く、たくさんの球根を付けた。そして葉が枯れる10月ごろ球根を堀だし、バケツに入れ物置に置いた。それを4月上旬に土に戻し5月下旬には葉が茂るようになった。このようなことを繰り返していたが、一向に花は咲かなかった。2年ほど前からは球根を掘り起こさないでそのままにしておいた。それが今年初めて咲いたのだ。

 ウコンには春ウコンのほかに秋ウコンと紫ウコンがある。春ウコンはピンク色の花をつけ、秋ウコンは白い花をつけることは知っていたが紫ウコンが紫色の花をつけるか知らない。しかし沖縄旅行で紫ウコンの球根の中の色が紫であった。私は秋ウコンの白い花は何度か見ていたし、我家の庭にも咲いたことがあった。春ウコンも、秋ウコンも肝臓にはいいと言われているが、春ウコンの方が数倍良いと言われた。そんなことから春ウコンを求めるようになった。

 私は36歳の時始めて人間ドックを受けた。悪いところはないと思っていたが、肝機能検査でGPT,GOT、γGPTのいずれも正常値より高かった。再検査の結果、アルコールによる脂肪肝と医師から言われて驚いた。その後は酒の量も減らすよう注意していたが、仕事の付き合いなどで、どうしても飲まなければならないことが多くなった。一時はγGTPが300近くなったことがあった。体調が悪くなることはなかったが、鏡を見ると顔色が悪いことを感じた。あるとき漢方医学でウコンが肝臓に良いと言われ、春ウコンを土瓶で煮詰め、それを5年ほど毎日飲んでいた時期があった。その後も極力強い酒は飲まず、アルコール度が低いビールばかりを飲むようになった。そのようにしていたがγGTPは100前後までしか下がらなかった。しかし下がったことを喜んだ。

 その後は乾燥した春ウコンを購入して飲んでいたが、沖縄に行ったとき球根を買った。しかし花は咲かなかったので、これは春ウコンの球根ではないのでないかとの思った。ウコンの葉は春ウコンも秋ウコンも同じで、花が咲いて初めてそのウコンが何なのかわかる。だから咲くまで、まがい物を買ったと思っていた。しかしやっと一輪ではあるが、ピンク色の花が咲いた。見たとき驚きの方が大きかった。これで春ウコンであることが分り、大事に育てようと思う。写真も撮ってブログに掲載しょうと思ったが写真のチップが合わず掲載できない。

 追伸 私は退職してからは、あまり飲むこともなくなり、肝機能は正常に戻っている。しかしウコンは生薬であり、身体には良いので、球根を乾燥させ、今後も飲んでいこうと思う。


カルガモの親子

2012-06-15 18:45:29 | Weblog

 朝方7時前に庭の木の害虫駆除をしようと思っていた。柿の花が咲く前散布したモスビレンで蔕虫がいなくなったのか、柿がたくさん生っているが、最近また実が落ちだした。そこで近所の家で洗濯物を干す前に薬剤を撒こうと決めていた。天気は今日までで、明日から一週間ほど梅雨空が続く予報になっていて、散布は今日しかない。しかし母のことで、今朝急遽母を風呂に入れることになった。その後散布したが9時30分ごろになった。近所ではまだ洗濯物を干した形跡はなかった。1時間ほどかけて散布した。その後隣の敷地まで伸びていた竹も切った。

 犬の散歩に出かけたのは11時過ぎであった。左足の踵が歩くとき痛い、原因は極力毎日1万歩歩くようにしたことから、少しずつ痛くなった。しかし今までは歩いている内に何とか痛みが和らいだ。そんなことから長い距離の大谷川放水路の側道を歩くことにした。痛みもあり、ゆっくりと歩いた。それでも暑さがあって歩くと汗ばんできた。先日歩いたとき、田んぼの側溝の壁に産み付けられていたジャンボ田螺の卵があったが、まだ幾つかあった。そして側溝の水の中には小さな田螺が動いていた。やはり駆除は出来ていなかった。私は幾つかのピンク色の卵を犬用の小さなスコップで剥ぎ取り側溝の水に落とした。卵はかたまりになって浮いていたが、卵は水の中では育たないと言われている。

 しばらく歩くと大谷放水路の葦の茂みに親子のカルガモが何かをついばみながら泳いでいた。小ガモ3匹と親ガモ1匹は茂みを動いていたが、放水路の上から私が見ていることが分ったのか、親が茂みで動かなくなった。それに合わせて小ガモも親から少し離れたところに3匹がかたまり静かにしていた。しばらく見ていたが、危害を加えないことが分ったのか、また泳ぎだした。小ガモは親ガモの1/3ほどの大きさで、生まれてから20日ほど経っている感じであった。それにしても3匹の小ガモは少ないような気がした。この放水路には野鼠もいるし、上には猛禽類もいる。そんなことを思っていた。

 大谷放水路は水かさを増して、深いところでは2m程ありそうである。水面に背びれを出して泳いでいた大きな鯉は水中を気持ちよさそうに泳いでいたし、長さ30cm近い魚が、水底のコンクリートブロックに着いた藻を食べているのか、白い横腹を出して泳いでいた。半月ほど前にいた、番いのオシドリや鴨、シラサギはどこに行ったのか見当たらない。カルガモだけが周りに警戒しながら、葦の間を泳いでいた。できれば海岸まで歩こうと思ったが、踵の痛みがあり、あまり無理はできないと思い、海岸から500m程手前の旧150号線にかかる橋を渡って、東側に出た。そこから家までは2.3kmほどであり、往復4.6kmほど歩いた。痛みは続き、家でびっこをひいて歩くようになった。


歯の治療

2012-06-14 22:00:14 | Weblog

 人間老化が現れるのは歯からであると言われている。今それを実感している。若い時は歯に自信を持っていた。固いものを噛んだり、栓抜き代わりに歯を使ったりしても、歯を傷めることはなかった。そんな私であったが、60代前半になって、歯茎を傷め、2年ぐらいの間で左右奥歯(下)を2本抜いた。しかし食べることや、話すことに不自由しなかったのでそのままにしておいた。

 それから3~4年して、抜いたところの上の歯が伸びてきて、痛みを伴いグラグラするようになった。耐えられない痛みが出て、近くの歯医者に行くと「歯の根元が浮いていて抜かないとだめです」と言われ、2本の歯を抜いた。その時初めて入れ歯を入れた。70歳過ぎて4本の入れ歯となったが、世間一般から見て、それは少ないと言われた。しかし入れ歯は違和感があり外しておくことが多くなった。それは話していると声が漏れる感じがしたり、唾液が出たりするので、人前で話す等必要な時ははめてたが、そうでない時は外している時の方が多かった。

 しかし最近になって、上の前歯の一本がグラグラしてきた。この歯は65歳ごろ甘柿を食べたが、それを前歯で噛んだとき、タネが歯に当り、折れた様な痛みがあった。それから歯が動くようになった。その後食べるときなど多少違和感があったが、あまり気にも留めずに過ごすことができた。しかしその歯だけが少しずつ伸びるようになり、1年ほど前からグラグラする動きが大きくなった。医師からは、「前歯で噛むことはしないようにして、一日3回は歯磨きしなさい」と言われ、それからは実行してきた。

 しかし今日昼食を食べている時、前歯に痛みがはしった。注意していたが、自分では前歯で噛んだつもりはなかったが前歯に物が当たって、激痛が走り、そこからは血が出ていた。今まで前後に動いていた歯は、左右にも動くようになって、今にも取れそうになった。その痛さはその後も続いた。近所の歯医者に電話すると、「午後2時30分からなら診察できます」と言われ歯医者に行った。先生は「今は歯茎が腫れているので、ひいたら抜歯しましょう」と言った。入れ歯にするにしても、ブリッジにしても、2週間ほどは抜けた状態でいなければならない。そこで私の事情を話して6月25日と26日に抜歯することにした。ここで時間を置いたのは、来週は人前で話すことがあり、それが終わってから抜歯することにした。それにしてもここにきて急に歯が悪くなっていることを感じている。


登呂博物館へ行く

2012-06-12 23:40:28 | Weblog

 今日は時々霧雨のような雨が降る天気でこの時期にしては寒い。母をデーサービスに送り出してから、雨間をぬって犬の散歩に出かけた。妻から「病院に行くので11時前には帰ってきてほしい」と言われた。10時を回っていたので、遠出せず登呂遺跡の周りを回ってこようと思った。1周して2周目を歩いていると雨が強く降ってきた。そこで登呂博物館で雨宿りし、小雨になるまで待つことにした。犬を屋根のあるところに繋いで、登呂博物館に入った。丁度「鷹ノ道遺跡」展が開かれていて、小学生の集団や、観光バスで見えた、高齢な方たちが入っていて混雑していた。鷹ノ道遺跡は、登呂遺跡の北側に広がる遺跡で、現在はビルや民家が建っている。

 この博物館に入った目的は、今から2000年ほど前の弥生時代に集落であった登呂遺跡は、現在の地表から1m程下がったところにその遺跡は広がっていた。そこが何らかの原因で土砂が埋まり、遺跡として残った。それは安倍川の氾濫によって埋まったと本で読んだことがあった。その氾濫は降雨によるものか、それとも津波が安倍川を逆流したものか、それとも津波の影響なのか知りたいと思ったからだ。

 昨年3月11日の東日本大震災以降、プレートが沈み込みにより発生する地震が見直され、東海地震、東南海地震、南海地震が連動して起きた場合、駿河湾では20mぐらいの津波が来ると言われている。それは現在の地震学から導き出されたもので、論理的に実証されたものかと思う。しかし、それにより沿岸に近い人達は大きな不安を抱いている。我家も海抜は9m程であり、20mの地震が来たら完全に押し流される。その被害は甚大であり、日本は立ち上がれないほどの大災害となると思う。しかし2000年ほど前に集落があった登呂遺跡は土砂で埋まった。これが津波が原因でなかったら、2000年間大きな津波はなかったことになる。そのことを確認したかった。

 受付で学芸員を紹介された。その学芸員は、登呂遺跡が埋没したのは安倍川の氾濫である。その理由は、埋設土に海水の混入がないことから安倍川の氾濫であると言った。それなら津波が安倍川を逆流して氾濫したとは言い切れないのか聞くと「そのことは私には分らないから、良く知っている静岡大学の〇〇教授に聞いてほしい」と言った。博物館の学芸員ならそのことぐらい説明してほしいと思ったが、私の質問の仕方も悪かったのかも知れない。話しから津波は来なかったとの判断はできなかったが、私は考えた。この2000年の間に川の氾濫はあったが10m以上の津波がきた可能性は薄いのでないか。安心はできないが、最近喧伝されている大津波予想に振り回されていいるが、大地震が来ても、それに対処する心構えだけは持っておこうと思った。外に出ると雨は上がっていた。


地本の総会にて

2012-06-11 22:00:09 | Weblog

 10時30分よりOB会静岡地方本部の平成24年度総会が静岡ホテル・アソシアで行われた。静岡地方本部は旧静岡鉄道管理局管内と新幹線静岡地区管内のOB会員を統括したところである。地本には26の支部があり、現在この地区にはOB会員が3000人ほどいて、各々が親睦と助けあいの活動している。今回集まったのは各支部長と事務局長で52名、地方本部から2名、それに来賓等5名の59名が参加した。来賓はJR静岡支社長やJR貨物静岡支社長、それに関連会社からであった。

 こうしたOB会の総会は概ね執行部が作成した資料を説明し、質問もなく「誰かが異議なし」と言って承認される。いつものパターンである。今回も同様であったが、今回は本部長が変わることになった。今までの本部長は、個性が強く、リーダーシップを持った人で、鉄道と言うと官僚的体質の強い組織の中で、自分の存在感を示し、破格の出世をした。その後OBになっても地方本部の本部長として隠然とした力を持っていた。この本部長は後任に子飼いの〇〇氏を据えることになった。その人事は妥当とも言えるが、私には不安定さも感じた。しかしOB会組織は守っていかなければならないが、波風立たないでほしいとの気持ちになった。

 総会の後宴会に入った。私のテーブルには、来賓として招いたJRの管理部長がいた。そして富士、清水、焼津、島田、飯田、上伊那、静岡の各支部長がテーブルを囲んだ。私の横には上伊那支部長がいたが、静岡に来るのに今朝5時に出て、バス新幹線を乗り継いでやっと間に合ったと聞いた。その他中央新幹線のこと、地震と津波の話、OB会員の減少に対する取組等雑談の中で話し合った。各支部長は年齢的は大体同じぐらいであって、現職時代も会っていた人ばかりであるが、年月が経ち、昔の面影を残す人は少なく、話している内に朧ながら分ってくるような人が多かった。

 この時期JRは定期異動期を迎える。JRの支社長も6月の異動で名古屋に転勤になろと言った。その事前打ち合わせに13時何分かの新幹線で向かうことになっている。その時間に合わせて散会となった。帰り際に、ある支部長から、互いに、あまり頑張らないで行きましょうと声を掛けられた。私は別に頑張っているとの認識はないが、目立つのは止めてほしいと言った気持ちが読みとれた。そのように捉えたのが正しいかわからないが、帰りのバスの中で、その意味を考えたが建設的気持ちにはなれなかった。 


静岡駅まで歩く

2012-06-10 22:49:23 | Weblog

 朝早く起き、昨日駅近くの駐車場に置いた自動車を取に行った。我家から静岡駅まで5kmほどあるが犬の散歩も兼ねて出かけた。最近犬の散歩でも自転車で行くことが多くなり、あまり歩いていない。トレーナーに着替え、登呂遺跡から、アピタの横の遊歩道を北に向かい森下公園に出るコースである。朝の6時過ぎは人通りも少なく、澄んだ空気を吸いながら歩くのは気持ちが良い。

 登呂遺跡を通るとき丁度ラジオ体操の時間で、年配の人達が、広場に集まって体操をしていた。その中に同じ町内の人がいて「貴方も体操していきなさい」と誘われた。「今日は駅まで自動車を取りに行くのでまたこの次お願いします」と言ってその横を通って遊歩道に出た。ここでも知っている人にあった。その人とは以前よく散歩中にあった人で、互いに犬を散歩させていた。この犬と我が家の犬は相性が良く、犬同士は尻尾を振って喜んでいた。この方は80歳ぐらいのご婦人で、自分の健康も兼ね、犬を連れて、静岡駅方面や、浜辺まで行くと言っていた。その方とは4~5年前よく散歩であったが、最近は私自身遅い時間での散歩であるため会うことがなくなっていた。

 この遊歩道の中央には植え込みがある。それを近所の人が育てているようで、今日も2組ほどの人が手入れしていた。それは花の植え替えをしているようであった。整備が行き届いているので、あまり草も生えていないし、皐月やツツジが咲いていた。その植え込みの中に「卯の花」と書いた札があった。私は「卯の花」を見るのが初めてであった。それは盆栽用に刈り取られ、花は着けていなかった。近くで手入れしている人に「これが卯の花ですか」と聞いたが、分らないのか返事がなかった。卯の花と言うと、佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」の歌を思い出す。歌詞は”卯の花の匂う垣根に、ホトトギスはやもきなきて、忍び音もらす夏は来ぬ”である。そして卯の花は香りのよい白い花が咲くと聞いていた。しかしそこにある卯の花は高さ40cmほどで丸く刈り込まれていた。香りもなかったしこれが「卯の花」とは思えなかった。(後で調べ、卯の花であることが分った)

 森下公園では、町内の人か、箒をで履いていた。多分ラジオ体操が終わって、その後の清掃のようであった。そこから静岡駅の方に向かった。駅南の石田街道にはバスが何台か停まっていた。これらは観光バスで、リックサックやボストンバック等を持った人が乗り込んでいた。行く方向も東京や、信州、関西方面とフロントガラスの上部に行く先が書いてあった。きっと毎日こうした光景が見られるのではないかと思った。そこから西へ300m程行ったところに駐車場はある。犬は自動車に乗ることを嫌がったが乗せた。その後は静かにしていた。帰りに菩提寺に寄って、お墓に線香をあげ帰った。


「名曲をうたう」から

2012-06-09 22:32:11 | Weblog

 今朝がた4時30分ごろか、地震で目を覚ました。昨年の大震災後、近い将来起こるであろう大地震や富士山の噴火等自然の脅威が喧伝されていることから不安を感じている時でもあり、この地震には驚いた。それは震度3程度の地震と思われたが、母や妻も起きてきて不安を口にした。外は雨が降っていて静かであったが、何の鳥が大きな声で2~3度鳴いた。それだけでも大地震の前兆現象かと思った。落ち着くのを待ってまた寝たが、なかなか寝付かれなかった。起きたのは8時過ぎであった。

 9時に母をデーサービスに送り出した後、昨日のゴルフコンペの整理をした。大した内容ではないが、時間は思いのほか掛かった。「名曲をうたう」の発表会で歌う曲を覚えるため聞きながら行ったので集中できなかったからだ。今日は午後2時40分からS学苑の「名曲をうたう」があるが、私の個人レッスンはないので休もうかと思った。しかし前回の時、一組のYAさんから借りた楽譜を返さなければならないことがあったので出かけた。開始ギリギリの時間に教室に入った。今日は欠席者が多く10名の参加であった。発声練習の後、数曲を皆で合唱したが、自分ながら声が出ていることを感じた。正確には分らないが、湿気が多い時は高い声が出るようである。その後6人が個人レッスンを受けた。皆さんは発表会に向け努力しているようで、上手く歌っていた。先生の指導も熱を帯びてきた感じであった。

 帰るがけ先生から、トスカのアリア「星は光りぬ」の原語の意味を書いたものを渡してくれた。前回の時、原語で歌ったが、あまりに酷かったので、これで予習するようにとのことであった。先生の熱意に感謝した。次回の個人レッスンの時には、何とか結果を出したいと思う。その後残っていた2人の友人とコミュニケーションをしようと、6階食堂街の店に入った。この2人は今日個人レッスンを受けた。KIさんがイタリアオペラのアリアをSAさんがドイルオペラのアリアを原語で歌った。難しい曲であったが完成度の高い内容に聞こえた。食事をしながら私はワインを3杯飲んだ。気持ちよくなり、くどい音楽談義になった。後で考えると、反省するようなことも話した気がした。そして2人は、私に建設的アドバイスなどしてくれた。

 1時間30分ほどで解散したが、飲んだので自動車を駐車場に置いてバスで帰った。19時ごろであったがバスを降りるころには雨もやんでいた。


梅雨入り前のゴルフ

2012-06-08 22:04:13 | Weblog

 6月8日に鉄道OB会のゴルフコンペ「のぞみ会」を実施した。このコンペに5年近く幹事として携わってきた。このコンペは年6回(概ね隔月)を計画し実施しているが何度か雨で流れたことがあった。この6月の設定も梅雨入り前に行うことを考え上旬のこの日を選んだ。しかし習慣天気予報では雨の降るとも言われていて、ここ数日は、毎日天気予報を気にしていた。この「のぞみ会」に20人ほどのメンバーがいるが、今回は10名の参加で、いつもに比べて少ない。雨のことを思って少ないのか。

 今日は隣保のANNさんの葬式が13時30分からあった。しかしこの予定が入っていたため、昨日の通夜に出席し「明日は用があるので」と勘弁してもらった。今朝は、いつも一緒に自動車で迎えに来てくれるSIさんと、TUさんが7時45分に来てくれた。スタート時間が9時08分であり、いつもより遅い時間であったが、確かめもしないで、その車に同乗した。自動車は東名静岡ICから入って、清水ジャンクションで新東名高速道路に出て新清水ICで降りた。そこから富士見ヶ丘ゴルフ倶楽部は直ぐ近くであった。以前は1時間ほどかかっていたが30分ほどで着いた。迎えに来てくれたのが遅い時間であったことが分った。

 ゴルフ場に着くと、直ぐ10人のメンバーは揃った。金曜日であるが今日は多くの人が来ていた。大きなコンペが別に入っていたが、平日でもこのように混むのは、このゴルフ場の行き届いたサービスがあるからだと思う。今朝の天気予報では「晴れのち雨」となっていた。スタートするときは夏の日差しとなり、雲も少なかった。この状態でプレー中はもってほしいと思いながら、私は2組目でINからスタートした。今回は年齢別に組んだので、近い年齢の人であったが、その中でも私が一番上の年齢であった。最初のショットはまっすぐ飛んでフェアーウエーを捉えた。第2打は少し右に出たが、すり鉢型のフィールドとなっていて、ボールはフェアーウエーか悪くてもラフと思っていたが、ボールが見つからない。探した末ロストボールとしたが、これがその後のプレーに影響したのか、その後も散々の出来でINが終わった。打数は60であった。

 昼食時、前半のことを引きずらないようにと、ワインをグラス2杯飲んでOUTに向かった。それが良かったのか、大きく乱れることもなく47で回った。本来ならこのスコアーでも満足できないが、今日は良しとした。しかし成績はBBであった。ゴルフはメンタルなスポーツで、ちょっとしたことで崩れる。こうしたことは、今まで何度か経験したが同じことの繰り返してきた。自分が成長してないことを思った。帰りの車の中で、雨が降り出してきた。東海地方も梅雨に入ったことを伝えていた。ゴルフは別にして、日の選定は良かった。