Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

新茶を送る

2018-05-14 22:51:24 | Weblog

 新茶のシーズンを迎えると忙しくなる。それは今は他界した父方の叔母さんが、お茶に関連していたところに嫁ぎ、その関係で父は親戚や周りの人に市価より安い新茶を届けるようにしていた。そのことは私の代になっても続いていて新茶の時期になると注文を取り届けるようにしている。これも父から続いた縁だと思っている。しかし、その取扱量は段々少なくなってきているが、それでも50kg程はある。それ故、この時期になると、親戚などから注文を取り、製茶工場に買い付けに行き、それを注文者に届けることにしている。仲買人のようなことをしているが一切のマージンを取ってはいない。

 親戚などから注文を取り、製茶場に買い付け量を電話で話したのは4月中旬であった。そのとき「5月中旬には出荷ができますのでそのときはこちらから電話します」と云われた。いずれも贈答品でないため、標準的新茶と粉茶を注文した。しばらくして製茶場から「新茶と粉茶ができましたので取りに来てください」と電話があったのは5月14日午前中であった。銀行から必要なお金を降し自動車で製茶場に買いに行った。この製茶場は有度山の北側丘陵地から取った茶葉であり、静岡には安倍川上流や藁科川上流など多くの茶葉があるが、私は有度山のお茶が一番好きである。

 製茶場では、地域のご婦人たちが手分けして袋詰めにしていた。私が注文したのは500g/袋入りの新茶と粉茶でありその物が、7本入りのビニール袋に入れられ製茶場に一角にまとまって置いてあった。私が知ったような言い方で「今年のものはどうですか」と云うと「適度の霧とその後晴天が続いたことでまろやかな仕上がりになっていますよ」と明るい声で応えてくれた。私自身お茶の通ではないので専門的知識はないが、新茶を90度ぐらいのお湯を注いで呑むと深みのある新茶の味は格別であると思っている。お金を払って出ようとすると「あなたはKさんとはどのような関係ですか」と聞かれた。Kさんは父方の叔母さんの子供で私と従弟にあたる人である。その方を通して買っていたが、1年ほど前に他界してしまった。それ以降私が直接買いに来ていることを話した。

 Kさんは、私より7歳ほど年下であった。心のやさしい気が利く人であったが、交通事故がもとでその後何年か生きたが他界してしまった。急にその人のことを思い出したが、その感傷にしたってはいられない。すぐ車に積んだ新茶を配らなければならない。先ず静岡に住む親せき数軒に配り、その後新潟県柏崎市などの郵送した。きょ うだい達には6月9日父の23回忌を菩提寺で行うがその時わたすことを伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこのお茶が好きである。