目玉のつぶやき

平成12年、14年、18年生まれの子供たちの育児に関することと目玉マニアの仕事に関するグチなんかを気ままにつづってます。

引越し

2010年08月22日 | ひとりごと
去年今の家に引っ越してきたのに・・・(しかも敷地内で3メートルの移動だった)

また今年も引越し。

毎年毎年真夏に引越し。死んでしまいそうです。来年は引越ししなくて済みますように・・・・

去年引っ越して今の家に住むときにはこれで最後の引越しと思っていたのですが・・・・
思うように土地が売れず。嵩み続ける借金の為、土地を全て売却。
売却したお金で借金を返済し、残ったお金を旦那姑、義理兄のチームとうちのチームで分けてうちは近所に引越し、姑と義理兄は東京都下のすっげー遠くに家を買い(中古です)そっちに移転する事になりました。

2世帯がほぼ同時に引越しする為家の中はめちゃくちゃ。
去年2世帯住宅になるときに姑が私たちの住居部分に大量の荷物を置いていたので(1年間全く触れることの無かった荷物だ)私たちが荷物の整理をしていたら勝手に家に入ってきて自分の持ち物を引っ張り出してさらにめちゃくちゃにしてくれるというおまけつきだ。

私の個人的な荷物は先回の引越しの時に大量に破棄(姑の荷物のせいで私の荷物が入らなかった)したので私の荷物は少しだけ。
子供の物もたかだかしれてる。

ただ・・・・
あの親にしてこの子あり的な旦那の荷物の多さ。
決して物を捨てようとしない。雑誌であっても(それがたとえ20年前のものでも)絶対に捨てない。

バカとしか言いようが無い。

旦那が集めている本だけで段ボールに50箱以上あった。
全部読むわけでもないくせに。絶対に捨てない。前回の引越しの時に散々言って捨てたのは5冊だったしな。

しかも今回今の家よりも数段狭い家に引っ越すのに、母屋においていた決して使うことの無いガラクタも持っていくらしい。はぁ・・・・・


で、ビックリしたのは姑と義理兄チーム。

義理兄は仕事(フリーの編集者)の関係上もの凄い数の蔵書。10万冊は軽くある。
ガレージにも本が積み上げられていてさすがに今回の引越しで全ての本を持っていくことは諦めた模様。しかもガレージに入っていたのは週刊誌やら月刊誌だ。

で、業者が来た時に何の本があるのかと思ったら・・・・

小学一年生


義理兄は現在55歳。

物を置いておくにも程があるやろ!!!!!!!!

そんな本がいっぱいつまっていたせいで我が家の自転車が入らないガレージでした。
ガレージ自体はベンツ2台余裕ではいる大きさなんですけど。


もうあのバカ家族全員早く死んでいただくことを願うのみ。

ただ、姑、義理兄(独身)チームが死んだ時は誰が後片付けをするのか???と考えると私が一番に死ぬ方が楽かも。

色々新居に持ち込もうとする旦那に「今の家より狭いんだから入らないよ。ちょっとは物は捨ててよ」と言ったら睨み付けられるし。
子供の使わないおもちゃを捨てたら「まだ使える!!」とゴミ袋からあさって持って帰ってきやがるし。

ゴミ屋敷のジジイとなんら変わらん。頭おかしいと思うわ。

旦那がゴミをひらって帰ってこないように家から遠く離れた所にゴミを捨てに行ってます。私の私物でも「まだ使える」とか言って持って帰ってきやがったし。

しかも仕事もしてないくせに「ここの部屋を書斎にしよう」って・・・?????

書斎は仕事している人が使うんじゃ!!!


目からビーム出ました。

絶対に書斎に出来ないように荷物をたんまり入れてやる!!

屋上に物置を置くのでそこに住んでくれ!!と真顔で言ったのに取り合わず。
私は本気で言ってるんですけどねぇ。
屋上に水もあるし。トイレだけは貸してやるから。

テントハウスやんって言ったんだけどなぁ(笑)

しばらく段ボールと戦います。

母の受診

2010年08月21日 | ひとりごと
昨年末に大事故を起こし奇跡の復活を遂げた母。
ただ、事故の後遺症でひどい内斜視を発症。
半年ぐらいで自然に治る事もあるので一応様子を見ていたが一向によくならず。

さすがの目玉マニアの私が見ても手術の適応とは思えず。
とはいえ、母からしたら娘が言うよりもきちんとした医者に診てもらって診断して欲しいようで。

で、昔お世話になっていた某大学病院の神経眼科のトップに相談。(しかもその大学の患者カンファレンスの議題に載せてもらった)
一度診察をして見ましょうといってくださり、母を大阪の病院に連れて行った。(いや、私は東京から大学病院に直行、姉が母を連れて来てくれました。)

大学病院の眼科検査スタッフは大先輩なのですがとっても懇意にしていただいていて学会会場であったら欠かさず挨拶、年賀状も欠かさず送っていたのでよく覚えていただいてました。(ありがたい!)そして同期もいるし後輩も。

検査員のほとんどがよく知っている仲なので母も安心して検査を受け、そして診察。

斜視は残念ながら治る見込みは無いようで、片眼だけ手術をして、もう片方は斜視のままでいくことになりました。

もう、眼球が全く動かない状態の為斜視の手術適応ではないのです。

まぁ、死んでてもおかしくなかった瀕死の状態から奇跡的な復活(しかも今では杖が無くても歩けるのだ)。目玉の位置が多少おかしくても仕方あるまい。

実は大学病院の神経眼科の先生は大変な人気で母の受診日も80人予約患者が入ってましたが、検査員の計らいと先生のご好意でかなり早くに診察を終えることが出来ました。

私の予定では午後5時ぐらいに診察が終わるかな?と思っていたのですが11時には終わり、早くに東京に帰る事が出来ました。

次回は9月すぐに手術の申し込みに行きます。
これも電話をしたら後輩が「一番早いところに入れます!!」と予約を入れてくれました。

本当に皆様に感謝感謝です。

母の目が少しでも楽になるように・・・・・最善を尽くしたいと思います。