目玉のつぶやき

平成12年、14年、18年生まれの子供たちの育児に関することと目玉マニアの仕事に関するグチなんかを気ままにつづってます。

母の状態

2010年01月25日 | ひとりごと
2週間ぶりに母の状態を見に行ってきました。
今回はモヒョ3を連れて2人でお見舞い&お泊り。

モヒョ3は鉄男なので新幹線の中でも大人しく車窓から他の電車を見て喜んで過ごせる男。
(モヒョ2は15分で「まだ?まだ着かないの?」が始まり私を怒らせるが)
行き帰りもとってもいい子ちゃんで楽ちんな2人旅でした。

母は回復していましたが、目が見えてると本人は言ってますが、目玉マニアから見ると片目は完全に見えてない状態。たぶん片目しか機能していないだろうな・・・・って感じ。
どちらの目を使っているのかイマイチ不明でしたが。両眼を使ってはいないようでした。

でも、流動食ですが看護師に食べさせてもらってしっかり食べてるし話も出来ました。
ただ、私のことをわかっているのやらどうやら怪しい限りでしたが。
「私のこと誰かわかってる?」と聞いたら「ひどいこと言うなぁ・・・・今の言葉ズキッときましたよ」と言うけれど私の名前は最後まで言わず。誰かわからんけど身内やろ?って感じでした。
モヒョ3のことはモヒョ2と混乱しているのか「この子は鼻が悪くていつも耳鼻科で鼻を吸われているから私の鼻を吸われている音にも驚かないんだ」と言ってみたりしてましたが。
モヒョ3は鼻は大して悪くなく、「モヒョ2じゃなくてモヒョ3を連れてきたんだよ」と言ってもイマイチ反応が怪しかったです。
新しい記憶はあんまりないようで・・・・

9月に一緒に関空に行った事は覚えていなかったようですが新幹線で東京駅より品川からの方がうちの家に行くには早いと言う事は覚えていたり・・・・

記憶はバラバラですけど少しは覚えていてよかったかな~~って感じでした。

ただ、体がしんどくて人の事よりも自分の方が必死なのは仕方ないか。
人間<動物 って感じでまだまだ動物的な感じでした。
姉が毎日見舞いに行ってますが、頭の手術跡のホッチキス(のようなもの)で止めてあるのですがそれを引っ張って取ろうとしたので姉が怒ったらしいが「あの子(姉)がひどい事言うねんで。めっちゃ怒るねん」と自分のしでかした事はすっかり棚の上にあげて文句は言ってました。(笑)

まだまだ回復には時間がかかるし長い道のりになりそうです。
1人暮らしに戻るのはかなり難しいかな・・・・

来月5日間ほどお休みをもらえたのでその時にまた様子を見に行ってきます。

モヒョ3は焦点の合わない目をしたおばあちゃんが怖かったらしく「おばあちゃんの顔を見るのが怖い」と言ってました。
病室にいると嫌がるので(母も相手をすると疲れるのか超不機嫌になりました)晴天の日曜日はすぐ近くにある国宝の(世界遺産か)お城に登りにいきました。
モヒョ3はおりこうさんなので抱っこもせがまずに頑張ってお城の天守閣に登って眺めを満喫。

「たのしかったね~~」とニッコリでした。

帰りの新幹線も指定席を1つ取っていたのですが自由席が二人で座れたので自由席で帰れました。モヒョ3と2人だと楽勝でした。


来月は1人で帰ろうと思ってたのですがモヒョ3が「次も一緒に帰る!!」と言い張ってます。
ゆっくりお見舞いに行きたいんだけど・・・・・複雑ですねぇ。

上の2人は交通費がかかるので却下です。(笑)

久々ゲルマ

2010年01月21日 | ひとりごと
バタバタしててなかなか行けなかったゲルマニウム炭酸温浴。
週に一度の私のお楽しみなのだ。
今日久しぶりにゲルマに行ってきました。

久しぶりなのですっかりスーパーバームを飲むのを忘れていましたが。

いつもはゲルマに行く前にスーパーバームを飲み(職場の冷蔵庫に冷やしております)ゲルマで係りの人が「すごい!!」と言うぐらいの大量発汗なんですが、今日は飲み忘れたので大して発汗せず。(でも、初めてゲルマをした人よりは汗をかいてますけど)

久々にゲルマで汗をかいてスッキリ!
運動せずに大量の発汗っていいわぁ~~(笑)全く痩せませんけど(爆)

特にいい効果があるのかよくわからないまま週に一度ぐらいゲルマニウムに通ってます。
大量発汗で解毒できてるのかな?
何度も言うが全く痩せませんけど~~~!!!!

唯一の私の休暇の木曜日の午後の3時間。そのうちの1時間がゲルマなのでした。
(実際にゲルマをやっているのは20分に過ぎないけど、往復の時間を入れたら1時間です。)


久しぶりのゲルマは疲れて夕食後7時半から9時まで爆睡でした。


来週は忘れずにスーパーバーム飲んでから行かねば。

男の本音??

2010年01月17日 | 育児
モヒョ3が言い切った。

「可愛い女の子を守らないといけないから・・・・」

と言うので聞いてみた。

「ブサイクな女の子はどないするの?」


間髪いれず
「やっつける!」


お前は女の敵だな。(笑)


ちなみにお姉ちゃんは「やっつける」そうだ(爆)
身内から見ても・・・・・な姉なのか。

みんなありがとう!

2010年01月15日 | ひとりごと
ご心配おかけしました。
みんなの優しいコメント心に響きます。

フェニックス母!
なんと人工呼吸器が取れたと思ったらICUを出て脳卒中センターとやらへ病棟を変わったそうです。一般病棟なのかはイマイチよくわかりませんが。

姪っ子がセンター試験目前にもかかわらず面会によく行ってくれていて姪っ子から報告を受けました。
姪曰く

「記憶もバッチリ、目もバッチリ見えてる、そんでもって口もバッチリや!」

だそうです。

姪が面会に行った時はハッキリしているそうです。
24時間見てるわけじゃないからわからんけどな~~~とは言ってますが。


私の母はやっぱりフェニックスのようです。

手足のリハビリが強烈に大変だと私は危惧しております。
たぶんこの調子だと国立病院を退院させられる日も近いようです。
独居の母なので転院先の病院が早く見つかるように(すでに手配ずみですけど)祈るばかり。


最近は入院期間が長くても2ヶ月迄なので次々と転院先を確保していかないと大変なことになるのだ。そこの所は医療関係者なので承知してましたから早々と手を打っております。
姉は呑気に「リハビリが終わるまで入院できるんじゃない?え??無理??なんで??」
となってましたが。

母の弟の嫁(私のおばですな)が医療関係者、その娘2人も医療関係者で現状の医療システムをみんなで姉に説明。
姉の世間知らずが顕著となり姉は真っ青でした。


20年近く前から入院期間は3ヶ月だったんですけど~~~ここ最近は2ヶ月とかやん!!!と私が言っても「わけわからん」の一点張り。
私1人の説明だと全く信用せず、親族の医療関係者全員から「これが医療界の常識」と言われてやっと納得でした。


皆様も頭の片隅に入れて置いてください。
どんなに重症でも2ヶ月で病院は転院を余儀なくされますよ。
結構シビアです。転院できない場合は自宅に帰らされます。受け入れ態勢があるなしに関わらずです。

母の弟は一昨年癌で他界しました。
非常に長い闘病生活で(癌告知されて余命1年と言われてから8年間闘病しました)何回も放射線治療や化学療法(点滴による抗がん剤投与)を受けましたがいつでも2週間の入院でボロボロの体調でも帰宅させられてました。
「とりあえず一回退院してくれ」と言われるんです。
母の弟も私の実家に程近い辺りに住んでいたので現在母の入院している国立病院で闘病生活を送ってました。
姉は何回も叔父が体調悪くても退院させられているところを見ていると思ってましたが全く関心がなかったのか(そんな姉なんで)入院のシステムを全く理解してませんでした。

「身近に入院してる人居なかったし~~」って・・・・・・・あんた叔父は身近な人ちゃうんかい!!!と心の中で突っ込んでましたけど(笑)


そんな姉が母の「キーパーソン」として病院から説明を受けたりする役目。
大丈夫なんかい!!!!と思いつつ。
母の病状も全く私に報告もないし。(姪に任せてると見た)


母がゆっくりでもいいので機能回復する事を祈りつつ・・・・・

次回は来週ぐらいでないと帰れないので(さすがに子供に負担をかけすぎてます)少しでも元気になった母に会えるのを楽しみにしてます。


幸せの後に・・・・

2010年01月12日 | ひとりごと
新年明けましておめでとうございます。
全く更新してなかったブログを見てくださってありがとうございます。

幸せの後には不幸が起こるのか?

クリスマスイブに子供からプレゼントを戴きもの凄く幸せでブログにも書きましたし保育園と学童の連絡帳にも書き、職場の人にも大自慢。
もちろん実母にも電話でクリスマスプレゼントのお礼がてら自慢。

その翌日。
夕方保育園のお迎えの時に(まさに引き取ろうとしていた時)携帯が鳴った。
見たら姉から。

2人姉妹で姉は実家のすぐ裏に家を建て住んでいる。
実はあんまり姉妹仲は良くなくドライな関係。(これは昔から)
姉が私に電話をかけてくるなんてことは滅多な事ではない。メールすらしないのだ。

そんな姉から微妙な時間に電話。
なんだ???

電話に出たら明らかにテンパっている姉。
「落ち着いて聞いてよ~~落ち着いて聞いて~~」と繰り返し何だか様子が変。

「何?どないした?」と言っても「今は携帯で話していい状況なの?車の運転中とかじゃない?」とわけのわからないことを・・・・車乗りませんから!

「だから何??」と言ったら



「お母さんが・・・・お母さんが・・・・車で事故をして病院に運ばれた。凄い事故だったみたいですぐに帰ってきて欲しい・・・今検査してるけど頭を打ってるかなんかで危ないねん」



青天の霹靂



幸せの後には必ず不幸がやってくる(私の持論)

なんでぇ~~~~~~~~~~~!!!!!!!


発狂したいのをこらえてモヒョ3を引き取り家につれて帰り旦那に事情を説明し10分後には家を出発して実家に向かう。

実家までは電車と新幹線を乗り継いで4時間。

母は実家の近くの国立医療センターに収容されたそうだ。


あせる気持ちを抑えつつ新幹線で実家のあるH市へ。

交通事故???もしかして相手が死亡したり子供を跳ねていたりしたらどうしよう・・・・・・

母はどの程度の重症度なんだろう??


モヤモヤしながらの4時間。
駅前からタクシーで病院までぶっ飛び。


駆けつけたのは夜10時半頃。

泣き崩れる姉。
なんでも車を運転中にくも膜下出血を起こし意識不明で14tトラックに突っ込んでいったらしい。
しかも事故を起こした場所は私の父の墓の前の道路。

淋しくなって父が呼んだんだろうか?

くも膜下出血で亡くなった父。
全く同じ病気で母までも居なくなってしまうのか・・・・・・

しかも出血部位まで酷似。
父は脳幹部だったので手術不可能でそのまま他界したが母は脳幹部のすぐ脇。

しかもトラックに突っ込んだのでレスキュー出動で引っ張り出し、しかもドクターカー出動でレスキューされながら点滴やら救命措置を受けながらの救出劇だったらしい。

幸いにも相手が大きな(巨大な)トラックで相手様は怪我も無く元気だとのこと。
ただしトラックは車軸が破壊され廃車。
他に人を巻き込んだりも無かったのが不幸中の幸い。


事故を起こした国道は3時間閉鎖され大渋滞だったとのこと。(地元紙K新聞の地方版に事故が写真入で載りました)


母の病室には入れるとのことで面会に。
ICUで点滴と輸血、そして人工呼吸器につながれた母。
意識は混濁。興奮状態で私を見つけると目を見開き「何でここにあなたが・・・・」と声にならない声で私を見て暴れだした。

血圧が上がると再出血して今度こそ絶命すると言われ鎮静剤で何とか落ち着かせた。

手足は開放骨折(骨が皮膚を突き破って出ている状態)、脳幹部に非常に近いところの出血の為緊急で手術も難しいとのことでこのまま絶命する事もあると言われとりあえず病院に居て欲しいと言われそのまま病院にお泊り。

翌日も状況は変わらず。
主治医から詳しい説明がありくも膜下出血が非常に手術しにくい場所にあること、また、血管のこぶの形が非常に厄介な形でカテーテル(血管から管を入れる)で処置する事が出来ないので開頭術で無いと無理な事、手術したいが今非常に危険な常態で手術に踏み切れない事等々の説明と骨折が全身にあるため骨折の手術も必要であるが頭の手術をしないと骨折の手術はできないと言われた。

とりあえず救命措置のできる限りのことは行ったので再出血(くも膜下出血)しないように祈るだけですと。少し落ち着いたら手術を考えますが手術時間が24時間ぐらいかかるかもと言われた。

48時間再出血も無く容態も安定(低空飛行状態)。
29日にやっと実家へ私は戻りました。
実家では猫が1匹置いてきぼりにされて怒り狂ってました。
(姪が毎日えさやりとトイレ掃除に行ってくれてました)

猫に事情を説明したけどプンプンに怒ってました。


低空飛行のまま新年を向かえ1月1日に脳外科医と整形外科医から手術について説明。
脳外科医は手術時間は早くても15時間かな?とのこと。術中に再出血等があった場合は覚悟をしてくださいと言われた。
整形外科医からも「全身状態が悪いので」と言われ「本来なら受傷6時間以内が原則の状態なんです」とまで言われ術後の感染症が起こった場合は非常に厳しいと言われた。
しかも右手首の骨が粉々に砕けていて「ボルトで止まるかどうかやってみたいとわからない」右足の太ももの骨は真ん中が4分割状態しかも付け根の骨もポッキリ折れている。術式を再度検討すると言い残される難しい手術のようでした。
左手、両足首も折れてるんじゃないの?と聞いたら「え???そうなんですか?僕は聞いてないです。え??レントゲン撮ってない?」等々ちょっとしたトラブルがあり手術前にもう一度説明しますとのこと。

結局は右手首と右足の手術で済んだんですが。
両足首は何とか骨折は免れたが足の甲の骨は折れているとのこと。(その他に胸骨骨折、右鎖骨骨折もありますがこの二つの骨折は放置することになりました)
両足首はギプス固定となりました。

左手ももの凄い腫れ方だったんですがここは骨折無く無事とのことでほっと一息。

結局低空飛行を保ち1月5日に15時間ちょっとかけてくも膜下出血の手術と右手足の骨折の手術を同時に行いました。

祈るような気持ちで過ごした15時間。
無事に手術を終えることが出来感謝感謝です。

術後も状態が不安定だったけど3~4日で徐々に快方に向かっていたんですが・・・・
なんとノロウイルスに感染し大下痢したらしく緊急でICUの中の隔離室に収容されてました。

私は今日帰宅してきたのですが何とか一命をとりとめ、少しだけ意識も戻ってきたようなかんじです。まだまだ人工呼吸器もついていますが、人工呼吸器ももう少しで外せそうです。意識がもうちょっと戻ってきたらいいのですが。


人生山あり谷あり。
巨大な幸せはいらないから巨大な不幸も来ないでくれ~~~~!!!と思うのでした。


父の名誉のために一言。

母が事故を起こした日、姉夫婦は夜は各々忘年会で帰宅が遅くなる予定で、姪は塾があったので(高校3年受験生なのだ)早くても夕方6時ごろに帰宅予定。(姪はほぼ毎日自宅ではなくおばあちゃんち=私の実家に帰ってきていた)
もし母が車に乗っていなくて自宅にいたならば同時刻に出血してたら誰もいない自宅で1人息を引き取っていたことになるのだ。
事故を起こした場所もちょうど父の墓の前の道。そこはH市だったのですぐに大きな病院に搬送されたが、もう少し早くに出血していたら田舎の町で大きな病院が無くそのまま死亡していた可能性も高かった。また、車が人目につきにくい場所に転落してたら(田舎道を走行中の事故でした)発見が遅れたかもしれない。

色々なことを考えると(幸いにも相手は無傷で翌日から元気にお仕事をされたそうだ)父が引っ張ったのではなく父が守ってくれたんだと思います。
父に感謝!

長々ブログにお付き合い戴きありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

年賀状を頂いた方々すいません。こんな事情で年賀状どころではなかったんで。
早く書いとけばよかっただけなんですけどね(笑)


母の状態が落ち着いてから実家で1人と猫1匹暮らしを暫くしてました。
静かやわ、関西のTV見放題やわで幸せでした。
でも、オールザッツは睡魔に負けて見れず(号泣)
ジャイケルとビーバップが見れたからそれでヨシとしてます。(笑)

不幸の後に小さな幸せ。(笑)