吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

偉人評伝(05)『空海(くうかい)』または『弘法大師(こうぼうだいし)』

2018-08-28 06:19:42 | 偉人の足跡に学んでみようか

 偉大な人物の行跡を紹介するこのコーナー、第5回は空海をとりあげます。


※三鈷杵(さんこしょ)を持つ空海・・・三鈷杵は密教の法具

 空海は香川県に生まれた。幼名を真魚(まお)という。小さい頃から才気煥発、まさに神童の名にふさわしい子供だったという。
 平城京で学問を学ぶが、官吏を目指す勉強に飽き足らず、19歳頃から山林で修行するようになった。
 この修行には同門の修行僧が付きしたがっており、この僧との間に腐女子大好きBL関係がウワサされているが真偽はさだかではない。

 この修行中は結構ボロボロの乞食坊主スタイルだったらしい。
 今でも四国巡礼の旅をする際には『橋の上では杖をつかない』というルールがある。弘法大師が橋の下で寝ているのを邪魔しないためだそうだ。高知県の室戸岬には空海が修行した御厨人窟(みくろど)という洞窟があって。この洞窟から見えるものといえば空と海ばかり、これが名前のもとになったというのだが、漢文の素養のあった空海が『』という文字を『そら』の意味で使うとは思えない(脚註参照)。やはり名前の意味は『空(くう)なる海』なのだと思われる。


※室戸岬の御厨人窟(みくろど)から海を望む

 その後、空海は遣唐使として唐に渡る。ウイキには『803年(延暦22年)、医薬の知識を生かして推薦され、直前に得度した。遣唐使の医薬を学ぶ薬生として出発するが悪天候で断念し、翌年に、長期留学僧の学問僧として唐に渡る』とある。何と当初は医学生として渡る予定だったというのだ。空海が医学や化学の知識に長けていたことの証であろう。


※嵐に翻弄される遣唐使船・・・無事に着く船の方が少なかった

 805年2月から、長安は醴泉寺で学ぶと3ヶ月で梵語を極め、5月には青龍寺の恵果和尚について学ぶようになる。恵果和尚は空海の才能を認め即座に密教の奥義伝授を開始し、空海は6月13日に大悲胎蔵の学法灌頂、7月に金剛界の灌頂を受ける。

 この異例のスピードは凄い!カンバーバッチ版シャーロック・ホームズの兄マイクロフトは少し聞いただけで新しい言語を理解し喋れるようになるという設定だったが、空海はそのレベルの天才だったのだろう。
 恵果和尚が自分の弟子を差し置いて空海を後継者に指名するのは長い間合点がいかなかったが、最近『空海は事前に日本から恵果和尚に論文を送っていた』という説を聞いて、これならと納得した。


※弘法大師空海が24歳のときの著作「聾瞽指帰(ろうこしいき)」・・・何という達筆!

 この論文は残っていないが、当然論旨明快なうえにアノ達筆ですよ!一目見ただけでホレ込むのが分かります!
 おそらく恵果和尚は空海が来るのを今か今かと待っていたに違いありません。たった2か月で真言密教の奥義を全て授けてしまうのです。空海に奥義を授けた恵果和尚は安心したのか年末に亡くなってしまいます。

 この後本草学や土木工学を学び(たちまちのうちに修了)、20年の留学予定を2年に短縮して日本に帰るのです。このとき帰ったのはまさにグッド・タイミングだった。実はこれ以降遣唐使の渡航は結構失敗していて、これを逃せばヘタしたら帰れないところだった。


※空海、三鈷杵を投げる(あくまでイメージです)

 この帰途『密教を広めるための土地はどこか』と念じて船上から三鈷杵を投げると、これが和歌山県は高野山の松の木の枝に引っ掛かっていたという伝説がある。投擲距離から判断して秒速11.2km以上の初速が与えられたため、三鈷杵はいったん大気圏を離脱して再突入したものと思われる。燃え尽きなかったのは三鈷杵の独特な形状がリフティングボディとして機能したのではないか(信じちゃダメですよ)。


※リフティングボディの例・・・をいをい(゚-゚;)ヾ(-_-;)

 さて空海は嵯峨天皇のもとで様々な祈祷を行ったり、助言をするブレーンとして重用される。
 祈祷といっても当時最新の科学にもとづいて行うのだから効果は絶大である。特に雨乞いの祈祷では、競って全戦全勝負け知らず、クイズ東大王のごとき勝率を誇った。

 この空海の最新知識を手にしたいと思ったのが最澄である。『理趣釈経』の借覧を申し入れたが、空海はにべもなく断る。密教の真髄は口伝による実践修行にあり、文章修行ではないというのだ。
 考えてみれば今でも千日回峰行を行う天台宗の開祖である最澄がこれに思い至らなかったという方が不思議である。


※千日回峰行を行う叡山阿闍梨

 空海は『弟子になるなら教えんでもない』とうそぶくので、(自分が弟子になるワケにもいかず)仕方なく自分の弟子を空海のもとに遣わすが、今度は弟子を返さない。『あんなマジメ一徹の最澄よりワシの方がええやろ』と手元に留めてしまうのである。

 空海というヒト、悟りを開いた僧とは思えず、極めて人間的なのである。

 高野山建設に奔走した甥の達泉が病に倒れて死ぬと、悲痛な歌を作って悲しんでいる。

 哀しい哉 哀しい哉 哀れが中の哀れなり
 悲しい哉 悲しい哉 悲しみが中の悲しみなり
 哀しい哉 哀しい哉 また哀しい哉
 悲しい哉 悲しい哉 重ねて悲しい哉

 しかしこの歌、いいリズムです。繰り返しているとじんわりと心に沁みてきます。
 この繰り返しのリズムが実にイイのです。

 秘蔵宝鑰の一節にも心に残る響きがあります。

 生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
 死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し

 実にいい響きです。縦ノリの曲を付けても合いそうです。

 空海には様々な業績があります(大学を造り、土木工事を行い、人々の病気を治した、等)が、それは他の資料に当たって戴くとして、ここでは真言密教についてその一端を述べるにとどめます。
 真言宗の目標は即身成仏と鎮護国家です。


※真如海上人の木乃伊(ミイラ)・・・即身成仏で皆が抱くイメージはコレですが・・・

 即身成仏というと『木乃伊(ミイラ)か?』と思うでしょうが、本来は生きた生身のまま仏になることを意味します。
 釈迦が説いた『いかにして苦しみを除くのか』という教えはここにきて現世肯定の教えに変貌するのです。

 理趣経『百字の偈』を読むとよく分かります。

 菩薩勝慧者 乃至盡生死 恒作衆生利 而不趣涅槃
 般若及方便 智度悉加持 諸法及諸有 一切皆清浄
 欲等調世間 令得浄除故 有頂及悪趣 調伏盡諸有
 如蓮體本染 不為垢所染 諸欲性亦然 不染利群生
 大欲得清浄 大安楽富饒 三界得自在 能作堅固利

 菩薩は勝(すぐ)れし知慧を持ち、なべて生死の尽きるまで
 恒(つね)に衆生の利をはかり、たえてねはんに趣かず。
 世にあるものも、その性(さが)も、智慧の及ばぬものはなし。      
 もののすがたも、そのものも、一切(すべて)のものは皆清浄(みなきよ)し。
 欲が世間をととのえて、よく浄(きよ)らかになすゆえに、
 有頂天(すぐれしもの)もまた悪も、みなことごとくうちなびく。
 蓮(はちす)は 泥に咲きいでて、花は垢(よごれ)に染(けが)されず。
 すべての欲もまたおなじ。そのままにして人を利す。
 大なる欲は清浄(きよき)なり、大なる楽に富み饒(さか)う。
 三界(このよ)の自由身につきて、固くゆるがぬ利を得たり



※泥から咲き出でてなお浄(きよ)らかな蓮の花のイメージ

 もはや欲も煩悩も全て肯定です。これを読むと何かおおらかに世間を生きれる気がします。

 真言密教もう一つの柱である鎮護国家は裏を返せば呪詛調伏に通じます。


※秋篠寺の大元帥明王立像

 京都芸大の学長を務められた梅原猛氏はある僧侶から真顔でこのように打ち明けられたことがあるそうです。
 『ルーズベルトは大元帥明王法により、私が呪い殺したのです
 げに恐ろしきは人の念ではあります。

 空海は入定した後も生きていると信じられていて、高野山では奥の院に居る空海のために今でも食事が届けられています。56億7千万年の後、弥勒菩薩がこの世を救いに顕現する、その日を空海は待っているのです。

Judas Priest - Dreamer Deceiver / Deceiver (BBC Performance)

※ "♪ We shall stay forever~." 56億7千万年待つってこんな感じ!?




脚註) 漢文では『空』は『むなしい』の意味となる、『そら』を意味する文字は『天』です。
 日中国交正常化のとき田中角栄は大胆にも漢詩を作って披露したが、何と出だしを『北京の空(そら)晴れて』とやってしまった。中国の首脳たちは『北京空(むな)しく晴れて』という出だしにドキッ!としたという。