
秋山右楽・左楽は、戦前~戦後にかけて活躍した漫才師。
ボケ役の右楽の息子が、現在の吉本新喜劇の秋山たか志に当たる。
さて、日中戦争が拡大していく中、昭和13年(1938)
朝日新聞社と吉本興業は、空の英雄「荒鷲隊」にあやかって
「わらわし隊」という名の派遣演芸慰問隊を結成し、中国各地に送り出した。
右楽・左楽もわらわし隊に組み込まれているが、
当時の漫才台本が現在も残されている。作家は秋田實。
大豆(まめ)を使ったくすぐりの例を、活字になった
『熱血漫才 ラッキー・セブン』(輝文館大阪パック社)から拾う。
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(郊外に宿替えした右楽。野菜などを作って、健康に暮らしているというが……)
右楽 「野菜だけぢやありませんよ。行く行くはね、わが家の畑を拡張してね」
左楽 「ほう」
右楽 「豆なども作るつもりです」
左楽 「豆も作りますか」
右楽 「はァ、豆をつくると言ふことはね、一家の健康に、最もよいのですよ」
左楽 「ふーん、豆を作ると、一家の健康によろしいか?」
右楽 「いいね、健康たけやない、怠け者が一人もなくなる、みな、よく働くやうになります」
左楽 「さうか」
右楽 「家内一同マメで暮らす と言つてね」
左楽 「洒落かいな」