28日の「センバツ」(第83回選抜高校野球大会)の試合は複雑でした。
このたびの東日本大震災の被災地から出場してきた
東北(宮城)と大垣日大(岐阜)との1回戦です。
結果だけ見れば、初球先頭打者ホームラン、7対0と大垣日大の快勝ですが。
日本全体を押し包む自粛ムード(プロ野球などに顕著ですが……)の中、
「センバツ」も、なぜ開催する必要があるのか?と問いかけられていた訳です。
(――話を普遍化すると、不幸な人がいる世界の中で、
無邪気に幸福を喜ぶことはいけないことなのか? と書き換えることも可能)
そんなもやもやした状況下だからこそ、23日、創志学園(岡山)の
野山慎介キャプテンが行った選手宣誓は、受けに受けました。
被災地の深刻な状況とは無縁なため、何かしら
疚しい気分のあった人たちには“免罪符”が与えられたようなものですし、
滅入るしかない苦境に放り出されていた人たちにも
胸を張って届けられる、嘘の無い言葉だったからでしょう。
「生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います」
綺麗事に聞こえたとしても、行動で明かせばよいだけだと思います。
生かされている生命を消尽せよ! ぼくはそう読みました。
……そこまでは良かったのです。が、東北 VS 大垣日大の試合後の
関係者の談話で、東北との対戦が決まってから、
大垣日大に「東北に勝たせてあげてほしい」との電話が入ってきた
みたいな記事をスポーツ新聞などで読むと、うらさみしい気持ちに。
つい最近まで、大相撲の八百長問題やらで騒いでいた連中は、
こういう“申し入れ”をどう思うのだろうなあ。
あるいは、似たような心性の人が同情、共感、憐憫の諸々にまみれて
勝敗の結果を左右したいと願うのかも……と、いろいろ感じさせられました。
大垣日大の阪口慶三・監督のコメント(28日)、
「全力でプレーすることが礼儀」が全てだと思います。
今日(31日)の2回戦で、大垣日大は東海大相模(神奈川)に大敗しました。
坂口監督は「(東北の)さわやかさ、気迫を受け継いで
東海大相模戦に当たりたい」と試合前に語っていましたが、
それも結果としては唯の言葉だし、本当に全力で闘ったのならば
第三者がとやかく言うことではないよなあ、なんて思っているのです。