村上春樹の『
1Q84』を読んでいると、
天吾がふかえりに
チェーホフ『
サハリン島』を朗読してあげ、
「
気の毒なギリヤーク人」について、ひとしきり話し合う
シーンがありました。唐突であると言えば唐突で、
意味ありげと言えば意味ありげですが、そういう思わせぶりは
村上春樹の小説のデフォルトなので、迂回や脱線を楽しめば良し。
☆
しかし、読んでいる最中は小説家としてのチェーホフに
目を奪われていたのですが(
作家・村上春樹のチェーホフ評みたいな)、
実はこれ、ギリヤーク人そのものに力点が置かれていたのでは?と。
というのも、
フロイトの『
トーテムとタブー』にも
やはり、ギリヤーク人が登場しているから。
春樹の諸作品における夢の重要な位置付け、
あるいはユング心理学者の故・
河合隼雄との対談などから、
フロイトも読みかじっているのだろうな との推測も無理ではないし。
☆
『トーテムとタブー』で触れられる
ギリヤーク人のタブー
――
ギリヤークの狩人が狩猟に出掛けている間は
「
家にいる子供たちは木や砂の上に絵をかくことを禁じられる」。
何故ならば、
子供たちの絵に描いた線で、リアルな森林の道が
「
こんがらかって、狩人が家路を見失ってしまう」から。
子供の描く絵と 現実の森林のパラレルなシンクロニシティ。
ああ、あまりに春樹的な! と感嘆する時点で、術中に嵌まっているのかも。