彼がそのとき青豆のことを思い出したのは、
スーパーマーケットで枝豆を買ったせいだった。
彼は枝豆を選びながら、ごく自然に青豆のことを考えた。
そしてその一房の枝豆を手にしながら、自分でも気がつかないうちに、
白昼夢に耽るようにそこにぼんやりと立ちすくんでいた。
どれくらい長くそうしていたのか、天吾にはわからない。
「すみません」という女の声で彼は我に返った。
彼は大きな身体で、枝豆売り場の前に立ちはだかっていたのだ。
天吾は考えるのをやめ、相手に詫び、手に持っていた枝豆をバスケットに入れ、
ほかの品物と一緒にレジに持っていった。
海老や牛乳や豆腐やレタスやクラッカーと一緒に。
☆
――村上春樹『1Q84 BOOK 2』(新潮社)から引用。
この作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』同様に、
2つの世界が交互に描かれる構成で、青豆と天吾、
2人の主要キャラクターの視点から描かれる。
青豆と天吾は、幼い頃に出会っているのだが、物語の現在では
距離を隔てられている形(ひょっとしたら別次元?)だ。
☆
紙袋を抱えてアパートの部屋に帰った。
そしてショートパンツに着替え、缶ビールを冷蔵庫から出し、
それを立ち飲みしながら大きな鍋に湯を沸かした。
湯が沸くまでに枝豆を枝からむしってとり、
まな板の上でまんべんなく塩もみした。
そして沸騰した湯に枝豆を放り込んだ。
どうしてあの十歳のやせっぽちの少女が、いつまでたっても
心から去らないのだろう、と天吾は考えた。
彼女は放課後にやってきて、おれの手を握った。
そのあいだ一言も口をきかなかった。それだけのことだ。
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大豆の未成熟な種子が枝豆であり、黒大豆、黄大豆のように
青大豆も決して珍しくはないので、
「
青豆」という奇妙な名前の女の子のことを思い浮かべるシーンから、
枝豆を茹でるのは、あまりに直截的に過ぎ、捻りが無さ過ぎるのでは?
スーパーフラット?……と悩まされるのも愚問の極みか、文学的に。
(「ごく自然に」とは、断ってあるんだけどさ)
「青豆」という名前はレアにせよ、枝豆は日常、目に触れ過ぎると思う。