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MiddleDayTripperの徒然記

気ままな中年オヤジの独り言

Who is a real victim?

2013-01-24 08:16:25 | Weblog

桜宮高の体育系2科、募集中止 体罰問題受け大阪市教委(朝日新聞) - goo ニュース

大阪市立桜宮高校でバスケットボール部主将だった2年の男子生徒が顧問教諭の体罰を受け、自殺した問題で、市教委は21日、臨時の教育委員会議を開いた。今春の体育系2科(定員計120人)の募集を中止し、同じ定員を普通科に振り替えて募集することを決めた。ただ、選抜時期や入試科目は従来の体育系2科と同じ内容とし、受験生に配慮する。
同校の入試は前期選抜の体育科(80人)、スポーツ健康科学科(40人)と、後期選抜の普通科(160人)を予定していた。このうち前期選抜の体育系2科を普通科とする。ただし、新たに普通科とした前期選抜分については、入試科目を体育系2科と同じ国語、数学、英語、運動能力、運動技能の五つとし、入学後のカリキュラムについても、スポーツに特色のある内容とする。通学区域も体育系2科と同じ大阪府内全域とする。
21日午後の教育委員会議では、体育系2科の募集を普通科へ振り替える案と、従来通りに体育系2科の入試を実施する案の二つが議論された。委員5人のうち4人が普通科への振り替え案に賛同し、この方針で入試を実施する。

大阪市教委は橋下市長のブラフに墜ちた。ただ入学科目を普通科にしただけで実質は従来通りの体育系の学科になるようだ。

生徒が自殺に至った理由をマスコミは「学校&教委=悪の権化vs自殺した学生=悲劇のヒーロー」の画ヅラで扱ってきた。その中で教師が学校に無断でアパートを借り上げて「学生寮」として使用していたと言うのがあったが、その費用は誰が負担していたのだろうか?部活生の親が負担していたのではないだろうか。顧問教師の暴走を黙認し加担していたのは学校だけではなく、自殺した生徒の親も含めて歴代の部活生とその親も同じだと思う。

ヒドイ言い方になるが、自殺した生徒には一連の学校の言い訳や橋下市長の処置は何の影響も無い。一番影響を受けているのは同じ部活仲間や在校生であり、この学科をユメ見て目指してきた受験生だ。

これで何が解決したんだろうか?

橋下市長はユメを絶たれた受験生に「こういう事もある止むを得ない」と言っているが、同じ事は自殺した生徒と暴走した教師には当てはまらないのだろうか?

一部の机上の論理しか振りかざせないオネエ系教育評論家は市長に対して異議を唱える学生らを「一部の意見だ」と切り捨てているが、この自称:教育評論家は一連の子供の自殺問題では「埋もれている子供の叫びに耳を傾けろ」と言っており、自己矛盾に陥っている。

この問題に関しての橋下市長の行動は夏に向けてのパフォーマンスとアリバイ作りにしか見えない。

もしも再びこの学校生徒に最悪の事態が起こったら、橋下は市長辞任だけでなく政治活動や芸能活動も全て辞めてオトシマエを付けるべきだ。またマスコミは市長の措置に賛同した自称:教育評論家を二度とこの肩書きを使わせるべきでない。 


ZA002の怨念?

2013-01-18 23:21:48 | Weblog

787、電池8本も炭化…過充電防止の不具合か(読売新聞) - goo ニュース

全日空が運航する最新鋭機「ボーイング787型機」が高松空港に緊急着陸したトラブルで、異常が発生したメーンバッテリーへの過充電などを防ぐ保護システムに不具合があった可能性のあることが運輸安全委員会などへの取材でわかった。
同委は18日、来日した米国家運輸安全委員会(NTSB)の調査団と連携して機体の調査を進めている。
運輸安全委や全日空などによると、バッテリーに使われていたリチウムイオン電池は、異常時に発熱や発火の恐れがあるため、過充電や過放電などによる過熱を防ぐ機能を持つ「管理装置」とともに金属製容器に収納されていた。また、機体側にも過充電などを防ぐ制御装置もあった。
しかし、同委がバッテリーの容器内を調べたところ、収納されている8本の電池と管理装置はいずれも炭化しており、保護システムが十分に機能していなかった可能性が出てきた。

ANAの787が高松にエマ・ランしたトラブルの原因はどうやらバッテリーそのものではなく、過熱防止装置の不具合だったようで、この装置の欠陥や取り付けの不具合などの可能性が出てきた。

似たようなトラブルは試験段階で発生していた。10年11月にテスト飛行中だったZA002(試作2号機:N787EX・c/n40691、In2)の電気室で火災が発生し、機内に煙が充満して電源がダウンし計器の一部とオートスロットルが作動不能となった。パイロットはRATを使用して電源を確保してラレド空港にエマ・ラン。乗組員の1名が緊急脱出の際に軽傷を負った。この事故対策が万全だったのかの検証も必要だろう。

このZA002は事故復旧工事をし、11年7月に日本へ飛来し各地の空港で適合性試験を行なった。その後一連の開発テスト終了後には量産改造されてキックオフカストマーである全日空に引き渡される予定だったが、この事故を受けて全日空が受領を拒否。12年7月にカストマーコードを81(全日空用)ではなく3Q(BBJ:ビジネスジェット用)に変更してパームデイル空軍基地にフェリーされストアされた。ZA002の代わりに新造されANAに引き渡されたのはc/n40749(In59)の機体JA817Aと思われる。

ところでボーイングにはc/n、Inのナンバーがある。前者は受注番号で後者は機種ごとの製造番号。787のc/nは全日空が最初の顧客なので一番若い番号が振られる。34485~34521だ。I/nは製造工程管理や発注元の都合でc/nとは前後する場合もある。(発注後にキャンセルされた場合、c/nは死に番となる)事故を起こしたJA804Aのc/nは34846で発注2番目となる。

旅客機として飛べなくなったZA002の怨念がANA発注2番目のJA804Aに?!・・・まさか

なお全日空は787初号機(ZA001、N787BA、c/n40690)の受領も拒否して、11年12月にZA002同様にパームデイルでストアされている。


Delate Linerは第2のコメット?DC-10??

2013-01-17 23:00:43 | Weblog

バッテリー「黒い液漏れ」=運輸安全委が調査開始―787緊急着陸(時事通信) - goo ニュース

全日空ボーイング787型機が高松空港に緊急着陸した問題で、運輸安全委員会の航空事故調査官らは16日夜、同空港で機体の調査などを始めた。調査チームの主管を務める小杉英世次席調査官は17日未明、記者団に対し、異常があったとされる前方電気室のバッテリーについて「金属の容器から黒い液体が漏れ、筋状に固着していた」と述べた。
小杉次席調査官は「前方電気室ではけっこうきつい、焼け焦げたような臭いがした」と説明。「バッテリー以外は特に気を引くものはなかった。火災(の痕跡)も確認されていない」と話した。乗員8人の聞き取りも行ったという。

ボーイング787DreamLinerは世界最新鋭の旅客機。ボーイングは次世代の旅客機として250人乗りで亜音速飛行が可能なソニッククルーザー計画を提案したが、燃料費高騰と航空需要の激減に苦しむ航空会社の興味を引く事は出来なかった。そこで新たに提案したのが、従来型ではあるが燃費の良い7E7計画に切り替えた。(EはEfficiency=効率性)名称を公募しDreamLinerとなり、04年4月に全日空が運用中の767の後継機として発注を行なった事で開発がスタートした。05年には中国の強い要望で型式名称が7E7から787にされた。(中国で八は縁起が良い)経済性を高めるため、燃費の良い最新のターボファンエンジン(GEとRR社の2種選択制)の採用、高揚力の主翼形状、複合材を多用した機体などを採用した。中でも翼のコントロールは完全デジタル式のFBWとしてアクチュエーターを電動と油圧だけにして、従来の圧縮空気によるニューマティックを廃止した。ニューマティックはエンジンから利用しているが、それによる推力ロスが経済性のネックになっていたためだった。

しかし開発は計画通りに進まず、07年7月8日に初号機完成(ロールアウト)式典を予定通りに行なったものの、機体は部品不足のハリボテ状態で式典終了後に分解された。設計ミスによる複合材の強度不足や従業員のストライキなどで開発が遅れ、本来初飛行する予定だった完成式典から約2年半後の09年12月に初飛行した。ところがその後もトラブルが続き、10年8月に地上テスト中のRRエンジンが爆発。11月には飛行テスト中だった試作2号機の配電盤から出火して機内に煙が充満し、エンジン・オートスロットルが制御不能となり、計器の一部がダウンした。パイロットはRAT(ラム・エアタービン:小型の風力発電機で787以外の航空機はこれで最低限の圧縮空気を作り出しアクチュエーターもコントロール出来る)を作動させて緊急着陸した。これらの事故の原因分析のために開発はさらに遅れ、この頃から「Delate Liner」(遅刻する直行便)のあだ名が付き始めた。一方で北京五輪前に就航させるとしていたANAはボーイングに対して賠償請求を行なった。またボーイング社は派生型の開発順序を基本型の-8の航続距離を短縮した日本向けの-3を、胴体延長型の-9の後に入れ替えると発表しANAとJALは-3の発注を断念している。そしてロールアウトから4年2ヶ月経った11年9月にANAで運用が開始された。

今年の入り、燃料やオイル漏れのバッテリーからの出火など事故が相次ぎ、今回の事故を受けて国交省は787の耐空証明を一時取り消した。日本の航空会社の旅客機で耐空証明一時取り消しとなったのは79年に墜落事故を受けたアメリカFAA(連邦航空局)がDC-10の耐空証明取り消しを受けて以来の事だ。(しかしこの事故は後の調査で機体欠陥ではなく整備不良が原因だった事が判明して解除となった)世界で見れば、史上初のジェット旅客機となったコメットが53~54年に3件の空中分解による墜落事故を起こして取り消され、4年後に再開されたケースもある。

今回の取り消し期間はどれ位だろうか?

09年11月のテストフライト事故に似ており、バッテリーなどの電気系統に原因があるようなので、それほど長期にはならないと考えるが、従来どおりの運航に戻るにはかなり時間がかかると想像する。緊急着陸した787はJA404A。ボーイングの製造番号は34486/9なので通算9号機で12年1月に登録されているから1年経過した機体だ。787はニューマティックを使わないのでバッテリーの交換がどれ位で行なわれるのか?わからないが、運航会社による交換時の設置ミスの可能性もある。

 原因はメディアのお祭り報道だ。最近では07年に事故が相次いだボンバルディアDHC-8を巡り、報道が過熱し「欠陥機」騒ぎとなった。

今回の連続事故もガラスにヒビが入った事故も一緒に伝えているワイドショーやニュースショーも多い。ガラスにヒビが入る事故は過去に強い衝撃を受けたガラスが気圧や温度が急激に変化した際にヒビが入るもので年に数回は起きている。それも一緒に「欠陥機」と言うのは気の毒な気もする。また脱出後に裸足だった乗客や乗員が映っていたが、それを「クツを履く時間も無い程緊迫していた」と紹介するワイドショーがあったが、航空機の脱出シューターは空気で膨らんでおりヒール靴は破裂する危険が高いので、脱ぐ事を義務付けられている。裸足の乗客用にサンダルやスリッパを用意するのは今後の課題かも知れない。

いずれにせよマスコミの過熱報道だけは避けてもらいたいものだ。(言葉は悪いが)タイミングよくアルジェリアで邦人の人質事件が発生したため、メディアはそっちに殺到している。

 


テレ東の『したたかさ』

2013-01-06 08:25:28 | Weblog

紅白視聴率、5年連続40%超(産経新聞) - goo ニュース

昨年大みそかに放送された第63回NHK紅白歌合戦の平均世帯視聴率(総合テレビ)は、関東地区で後半(午後9時~11時45分)に42.5%(前年比0.9ポイント増)を記録し5年連続で40%を超えたことが2日、ビデオリサーチの調査で分かった。前半(午後7時15分~8時55分)は33.2%(同2.0ポイント減)。

毎年大晦日は「紅白」以外のテレビを見る。今年は日テレ=お笑いバラエティ「ガキのつかいSP」、TBS=スポーツバラエティ、テレ朝=アニメ「どらえもん」&視聴率特番、フジ=グルメバラエティ「アイアンシェフSP」、テレ東=スポーツ特番「ボクシング3大タイトルマッチ」だった。

日テレのお笑いバラエティはもう定番。安心して見られたが、インパクトに欠けた。初期の頃は面白かったのだが、最近は展開が見えてしまう。仕掛けにカネがかかり過ぎているのではないだろうか?今までもダウンタウンの番組はカネがかかると面白く無くなっていくパターンがあったが、この番組もそれに嵌った気がする。

TBSはボクシングだけでなくスポーツ選手を並べたゲーム対決だったが、今さら「KK対決」と言われてもピンと来ないしサッカーや野球選手のゲーム的な挑戦も新鮮味が無かった。肝心のボクシングだが、TBSには亀田兄弟のイメージが強すぎて、「またアレを見せられるのか?」と思うとゲンナリして見る気がしなかった。

テレ朝は子供向けの映画「どらえもん」と視聴率シーンのバラエティ。ドラえもんはパスして視聴率バラエティは何だろう?と思って観てみたが、自局番組のシーンだった。日付別の報ステで「あぁ、あんな事もあったなぁ」と思うものの、フルタチのあのシタリ顔を見るとゲンナリしたし、「ビッグダディ」は「めちゃいけ」で岡村のパロディーが「ああ!このシーンだったのか」と納得できる程度。好調なバラエティのシーンはどれがどの番組なのか?理解できなかった。

フジのアイアンシェフSPは意味不明だった。どうやら金曜8時に放送中の「アイアンシェフ」というレギュラー番組のSP版。バブル末期に登場して人気になった「料理の鉄人」の復刻番組で秋の改編の目玉番組だが視聴率がジリ貧。時代のトレンドがB級グルメに代表されるように安い食材、地域の食べ物がメインなのに、豪華な高級食材がズラーっと並んでいる面ヅラは失笑した。

テレ東は歌番組とボクシング中継の2本立て。「視聴率レースには参加しません」と言いつつ、プロレス「ハッスル」中継や「モヤさま2SP」などを放送してそれなりの数字を持って行った。前半の歌番組は演歌系の元紅白歌手を揃え、紅白のチャラチャラアイドルが見たくない人向けで後半のボクシングはTBSでストレスを溜めたアンチ紅白視聴者をターゲットにしていた。

年末のテレ東のチャッカリ商法は上手かった。衆院選の選挙特番では他局がニュースショーのキャスターを勢揃いさせていたのに対して、時事ネタ特番コンビの大江アナと池上氏を起用した。池上氏はNHK時代に大きな事件を扱ってきた記者でもあり、地方局ではキャスター経験もある。10年参院選の特番も出演していたがキャスターだった。今回はキャスターを大江アナに任せ、各党政治家へのインタビューをやっていた。 民放他局のメインキャスターは中継が入らない時こそ、それなりに突っ込んだ意見をのたまっていたが中継が始まると、ウナヅキマシーンや太鼓持ちと化したのだが、池上さんは違った。子供ニュースや民放の時事ネタ番組で柔らかいイメージがあるが、この特番では修羅場を潜った記者ならではのラフファイトを繰り出していた。特に維新・石原氏とのやり取りは中継じゃなかったら、そのまま乱闘になっていただろう。もし政治家からクレームが入ったとしても「スミマセン…ウチはテレ東なもんで…」と逃げれば良い。そんな「したたかさ」があった。またNHKの朝の情報番組「あさイチ」にさまーずが出演した際には大江アナがインタビュー出演し、同番組の有働キャスターの脇汗事件に賛同してチャッカリPRしていた。

大晦日の結果は日テレ、TBS、テレ東、フジ、テレ朝。事実上無条件降伏だったテレ朝を除外すると、フジはチャッカリ・テレ東に負けたことになる。

フジの凋落ぶりは年間数字にも表れた

テレ朝54年目で初!年間プライム1位快挙

テレビ朝日が快挙を達成した。2012年の年間視聴率(1月2日~12月30日、ビデオリサーチ調べ)が2日、明らかになり、同局が、1959年(昭34)の開局以来初のプライムタイム(午後7~11時)トップの座を獲得した。全日(午前6時~深夜0時)ゴールデン(午後7~10時)では日本テレビが昨年に続いてトップを死守した。10年まで7年連続3冠だったフジテレビは、全時間帯で3位と苦しい結果となった。
テレビ朝日が、開局以来の悲願を達成した。昨年まですべてのカテゴリーで3位だったが、プライムタイムでトップ。12・5%で王者、日テレの12・2%に0・3ポイント差をつけた。ゴールデンでも日テレに0・1ポイントの僅差で開局以来初の2位。全日も41年ぶり4回目の2位を獲得した。
同局は昨年、地上波独占放送権を持つサッカーW杯ブラジル大会アジア最終予選が30%台を連発したほか、フィギュアスケート、プロ野球日本シリーズなど大型スポーツ番組が、軒並み好数字を記録。ドラマでも10月期の「ドクターX 外科医・大門未知子」が民放ドラマ年間1位となる平均19・1%をマークするなど「相棒」に続くヒット作が誕生した。レギュラー番組でも「お試しかっ!」をはじめとするバラエティー「報道ステーション」「スーパーJチャンネル」などの報道番組が好調を維持し快挙を引き寄せた。
同局は73年から03年まで視聴率4位が指定席で“万年4位”とやゆされたこともあったが、01年にアジアサッカー連盟主催試合の独占放送権を獲得したころから風向きが変わってきた。「サッカー代表戦はテレ朝」の意識が定着。強力コンテンツに引っ張られ全体的な底上げに成功したほか、11年7月の完全地デジ化でチャンネルが10から5に変わり、番組表が中央付近に移動したことも追い風という見方もある。同局は「多くの視聴者の皆さまにご支持いただいたおかげと、心より御礼申し上げます。昨年1年間チャレンジャーとして貫いた姿勢を崩すことなく、今後も真面目に、思い切って取り組んでまいります」とコメントを発表した。
一方、日テレは昨年8年ぶりに年間視聴率3冠を奪取したが、テレ朝躍進の影響を受け、全日、ゴールデンの2冠にとどまった。10年まで7年連続で3冠を維持したフジはドラマは好調だったが、ゴールデンタイムのバラエティーで苦戦が続き、いずれの時間帯も日テレ、テレ朝ともに水をあけられた3位に甘んじた。日テレ、フジの2強時代は終わり、テレ朝も3冠を狙える状況になっている。

ただこれは、テレ朝の番組が面白かったのではなく衆院選と同じでフジが勝手に自爆した結果だと思う。

1/3にNHKで「新春TV放談2013」をやっていた。「ケータイ大喜利」スタッフが手がけるトーク番組で放送作家らが出演しTBSで「ザ・ベストテン」を手がけた秋元康氏が演出でモメた事、テリー伊藤氏は「たけしの元気が出るテレビの早朝バズーカは電車で居合わせた会社員が読んでいたスポーツ新聞の風俗コーナーからヒントを得た」 など裏話を語っていた。またこれからのテレビについては「視聴率が伸びないんだから、思い切った制作を」としていた。

ところが実際の大手民放はどうだろう?そこそこ話題になったドラマを映画化して興行収入をアテこんだり、休みを利用したショップで小遣い稼ぎを繰り返している。ドラマのネタは漫画や小説に依存して、バラエティーはカネのかかるコントを減らしてトークやネット動画紹介、芸人に危険な事や真剣な姿にさせる体力系の番組に切り替えている。

NHKの番組で番組の人気投票があったが、北海道のローカル番組「水曜どうでしょう」がランクインしていた。いかにもカネのかかっていない番組だが、その分を企画と構成で補っている。同じ様な番組は沢山あるハズだが、キー局との関係でプライムで放送できないモノが多いと思う。ローカル局が反乱を起こすと面白いかもしれない。

 


三河のペネロープ号?!

2012-12-26 23:35:45 | Weblog

ピンクが似合う新型クラウン…購入層若返り狙う(読売新聞) - goo ニュース

You called, my lady?(お呼びですか?お嬢様)

(Yes,Parker, Get the Rolls Royce. We're going for a little drive.(ええ、パーカー。クルマを回して頂戴。ちょっとお出かけしましょう。)

場面が変わり、バブルキャノピーの6輪のロールスロイスが登場。するとフライングレディーのフロントグリルから機関砲がせり出して、前方を走るパトカー(悪人フッドが逃走中)を破壊する。

60年代に放送された人形劇「サンダーバード」第1話のクライマックスシーンだ。

サンダーバードを制作したジェリー・アンダーソンがロールスロイスを劇中に登場させたいと同社に要請した際に出された条件は「呼称は『クルマ』ではなく、ロールスロイスとする事」だった。しかし日本では最初に放映したのがNHKだったので「クルマ」となった経緯がある。なお日本語版でペネロープの声を担当したのは黒柳徹子だ。サンダーバードは日本でも人気となり、登場するメカのプラモデルが発売されたが、ペネロープ号も人気モデルだった。サンダーバードは世界でヒットしてロールスロイスの認知度も広まった。ロールスロイスはジェリー・アンダーソンの新しい作品「U.F.O」(邦題:謎の円盤UFO)の第1話で最新型のリムジン「ファンタム」の使用を許可した。

ニュース番組でピンクの新型クラウンをテレビで見た時にまずこのペネロープ号を思い出した。カッコが良いか悪いか?は別にしてインパクトはある。

ピンクの高級乗用車と言えばもう1つキャデラックを思い出す。ピンク・キャデラックはエルビス・プレスリーの愛車でスターとなって初めて購入した55年型が最も有名で現在もプレスリー記念館であるグレイスランドに展示されている。ピンク・キャデラックはアメリカンドリームの象徴であり映画や音楽にも沢山登場する。

ピンクは別にして『14代目クラウン』のフロントスタイルに新鮮味は無い。フロントグリルがバンパー下まで一体で伸びる面はアウディがやっている。89年の初代セルシオが「三河産シュツットガルド製品」だったが、このクラウンは「三河産インゴルシュタット製品のFR版」に見える。シャシーは先代から受け継ぎ、ボディデザインとエンジンを全面刷新したモデルで、PCのOSで言えばWin7みたいなモデルだ。

大きく変わったのがエンジンで67年まで生産されたS4系以来45年振りとなる4気筒エンジンがハイブリッド用に登場した。ハイブリッドの形式はスプリットと変わっていない。現行モデルのハイブリッドを運転した事があるが、やはり重たいのだろうか?プリウスと違いアクセルを踏むとエンジンが直ぐにかかった。この方式ではバッテリーやモーターのスペースが必要なので、V6エンジンを直4に小型・軽量化するしか手が無かったと言う事だろうか?

クラウンは国際化とともに発展していったクルマの中で日本市場だけで独自進化をしてきた「ガラパゴス製品」でもある。初代RSと2代目S4の一部が輸出・ノックダウン生産された以外、11代目の17系まで国内専売だった。メッキパーツで飾られたボディーはキャディーやリンカーンとも違う雰囲気で「走る北島サブちゃん」。これはライバルのセド/グロも同じだったが87年に登場した7代目Y31でスポーティモデル「グランツーリスモ」が登場してポップスやジャズ、ロックも歌った。これに対抗してクラウンも89年に13系で「アスリート」を特別仕様として販売したが、サビの部分でコブシを回してしまったのか?人気とはならなかった。

もうひとつのクラウンの特徴が保守的な作りだ。国産車の多くが生産性向上と軽量化のためにフルモノコックになって行く中でクラウンは13系までフレームボディだった。91年発表の14系で新設された最上級の「マジェスタ」がフルモノコックとなり、95年発表の15系で全車フルモノコックとなった。これによって車重が100キロ以上軽くなり「頑丈だが重いクラウン」のイメージが無くなった。エンジンに関しては71年のS6系から直列6気筒を続けてきた。セド/グロが83年にY31系でV6に切り替わったのに対して、クラウンは03年の18系でV6に切り替わった。

クラウンやセド/グロは元々、社用車や公用車と言った「ショーファー・ドリブン」だった。モータリゼーションが発達して輸入車にほぼ独占されていた高級車市場に切り込むため、3代目のS5系で2ドアHTを追加している。(この型までは他にもワゴンやバン、ピックアップトラックもあった)セド/グロも追随し71年発売の230系で2ドアHT、さらに72年には4ドアHTを追加して人気を得た。クラウンも74年のS8系で4ドアHTを追加したが、セド/グロのサッシュ&ピラーレスに対してサッシュレスのみだった。83年のS12系で2ドアHTが廃止された後もサッシュレスの4ドアHTはセダンが分離された95年のS15系まで続き、17系でセダンとなった。なお分離されたセダンモデルは95年にX80系マークⅡを流用し5ナンバー枠に収まるタクシー・公用車専用モデルS10系クラウン・コンフォートが発売された。01年にS15系セダンが生産中止となり、コンフォートと共通となった。

クラウンに対するトヨタの保守的な姿勢は「クジラの悲劇」の影響が大きい。71年に発売されたS6系クラウンがパーソナルカーのイメージを意識して世界的に流行していた紡錘型デザインを採用した。ところがその重厚感の少ないスタイルと見切りの悪さから販売不振となり、73年にメッキパーツを多用した大掛かりなマイチェンを行なったが効果は薄く、ライバルの230系セド/グロに販売台数で負けた。V6エンジンを搭載し、主力車種をロイヤルからアスリートに変更した18系発表の際はライバルのセド/グロが「フーガ」に代わり、Eセグメントの世界戦力車になる事が決定し、直接のライバルでは無くなっていた背景がある。

トヨタの目論見では購買層の若年齢化を図るらしいが、果たしてどうだろうか?販売台数は「例の号令」さえかければ何とでもなる。ヒット作と言われるハチロクが良い例だ。「AE86の再来」と謳っていたが、試乗した感想はAE86の腰高感や小回りの良さは無く、S14系シルビアの再来と言った感じだ。街でたまに見かけるようになったが、多くは若いドライバーではなく、自分と同じ中年オヤジだ。

 

 

 


本当に器の問題?

2012-12-25 08:33:46 | Weblog

ジャパネットたかた社長“背水の陣” アマゾンの脅威、脱家電を急ぐ(産経新聞) - goo ニュース

リビングに20年間鎮座していたブラウン管テレビがいよいよ天寿を全うしそうになって来た。地デジ移行直前に「買い換えようか?」とも思ったが、キャビネットから下ろすだけで腰が砕けると思い、チューナーで延命させたのだが、最近はどんなに健康的なアイドルでも黄疸になったりゾンビやキョンシーのように青くなってしまう。先日の選挙特番では石破氏がガミラス星人になってしまった。

大手家電量販店を回ってみたのだが、異変に気がついた。年末商戦真っ最中なんで混んでいたのだが、今までコーナーの入り口には大画面のプラズマや3Dが『デーン』と置いてあったのが、32インチ辺りの液晶テレビの箱が山積みしてあって、『特価』や『お買い得』のポップが貼られていた。「大画面は?」というと奥の壁にズラーっと並べられていた。入り口の箱の山には客はいたが、奥の大型テレビの周りには客は疎らで法被を着た店員だけが目立っていた。 箱積みされた安売りテレビを調べると3~4万円台だった。

昼食を取るため、ショッピングモールに向かった。近道になるのでリサイクルショップの中を横切ったのだが、テレビの値段を見て驚いた。7-8年前のシャープやパナソニック、ソニー製の中古テレビが新品と殆ど変わらない値段なのだ。

自宅に戻り「どのテレビを買おうか?」と考えたのだが、テレビ不振はメディアの言う「地デジ化で強引に需要を掘り起こしたツケ」はその通りだと思うが、他にも理由がある気がしてきた。最近はテレビを見る時間が減っているのだ。少し前なら他の事をしていてテレビはツケ放しでも何とも思わなかったが、最近の番組は大袈裟なリアクションやナレーション、さらには大人数の某国民的アイドルらがギャーギャー騒いでいて耳障りなだけなので消してしまう事が多い。またスポーツも前フリだけがダラダラ続くのがイヤで殆ど見なくなった。テレビを見る時間と言えば深夜なので寝室のテレビがあれば良い。

さらに生活様式が変化している。家電店や大型スーパーの営業時間がひと昔前は19~20時だったので夕食を取ってから出かけていては間に合わなかったのが、最近は21~23時までと遅くなっており、夕食を済ませた後につまらない番組ばかりだったら出かけてしまう。テレビのプライムが19~22時はもう当てはまらなくなっているのでは無いだろうか?

いずれにせよテレビ不振は器だけの問題ではなく、内容物にもたくさん問題があると思う。


消えたブランドと復活したグレード

2012-12-06 21:41:10 | Weblog

【日産 シルフィ 発売】ブルーバードシルフィからシルフィへ(レスポンス) - goo ニュース

日産自動車は12月5日、グローバルセダン『シルフィ』をフルモデルチェンジ。同日より発売を開始した。
「初代シルフィは日産伝統のセダンである『ブルーバード』のブランドを一新した『ブルーバードシルフィ』として、洗練された上質な雰囲気と、先進の環境技術を備えた程よいサイズのセダンとして2008年に発売しました」と述べるのは、同社志賀俊之COO。
「当時は環境保全に対する世界的な要求が高まっていた時期で、日産は中期環境行動計画日産グリーンプログラム2005を発表し、大気汚染防止の取り組みを積極的に進めていました」と振り返り、「そうした中、このシルフィは平成17年基準排出ガス75%低減レベルを達成し、日本で初めて2LEV認定を受けたモデルとなりました」と話した。
また、2代目ブルーバードシルフィは、「もてなしと気配りのラグジュアリーミディアムサルーンを商品コンセプトとし、2005年に発売しました。美しく上質なデザインと、ゆったり足が組める後席スペースが特徴で、初代シルフィが先例を付けた2LEV認定に加え、車室内VOCの低減など、より一層環境に配慮したクルマとして好評でした」という。
「初代、2代目でシルフィブランドがユーザーに定着したことを踏まえ、この新型からモデル名をブルーバードシルフィからシルフィとしました。新型シルフィは日産のグローバルセダンとして、約120ヶ国で販売します」
日産には同様のグローバルセダンとして、『ラティオ』がある。志賀COOは、「(ラティオは)コンパクトなサイズと価格を特に重視するユーザーを想定していますが、このシルフィは、より洗練されたデザインや、上質なインテリアをお求めになるユーザー、あるいは、ひとクラス上のセダンから乗り換えるユーザーにも、十分に満足してもらえるよう仕上げました」と語った。

シルフィーがフルモデルチェンジした。今年4月の北京モーターショーで発表され、7月から中国で先行販売され、北米ではセントラ、オセアニアではパルサー、ロシア旧東欧圏ではアルメーラの13年モデルとして販売される。また予定通り車名から「ブルーバード」が消え、ライバルのプレミオと同じ運命を辿った。60年代後半の熾烈な販売競争から「BC戦争」と呼ばれた時代が過去のモノとなった。

伝統のブランド「ブルーバード」は消えたが、かつての高級グレード名「メダリスト」が10月にFMCした「ノート」に復活した。メダリストはローレルの最上級グレード名で3代目(77年:C230型)から最期となる8代目(97年:C35型)まで設定されていた。「ノート」のFMCで「ティーダ」が廃止されており、メダリストはティーダ・ユーザーを取り込むモデルのようだ。日産はこのクラスで以前はサニーとパルサー、今はティーダとノート、キューブで「共食い」を演じてきた。ティーダのノッチバックモデルだった「ティーダ・ラティオ」はシルフィー同様に「ラティオ」として10月にFMCされたが、マーチとプラットフォームを共有するモデルとなり、国内生産ではなくタイからの逆輸入車となった。シルフィーはティーダ・ラティオユーザーも取り込むモデルとなるのだろう。

最近の日産は小型セダンをマジメに作っている。車種を整理したものの大手の王道を忘れない日産と横綱相撲の取れないトヨタ。10年後、この2社はどうなっているだろうか?


二代目もビッグEだった

2012-12-02 22:35:38 | Weblog

エンタープライズ退役=次世代空母に艦名引き継ぎ―米(時事通信) - goo ニュース

【ワシントン時事】世界初の原子力空母として1961年に就役して以来、米海軍の主力を担ってきた空母「エンタープライズ」の事実上の退役式典が1日、バージニア州のノーフォーク海軍基地で行われた。
メイバス海軍長官は式典にビデオメッセージを寄せ、「この船は51年にわたり、艦名の示す通り、大胆さや冒険精神を体現してきた」と称賛。さらに、建造予定の「ジェラルド・フォード級」空母3番艦をエンタープライズと名付けると表明した。米海軍伝統の艦名は、次世代の空母に引き継がれることになった。
エンタープライズは、キューバ危機の際の海上封鎖やベトナム戦争などに参加。68年の日本への初寄港では、大規模な入港阻止闘争が起きた。

世界初の原子力空母CVAN-65は太平洋戦争で最も活躍した空母「エンタープライズ」の名を引き継いで61年11月に就役した。大西洋と地中海で慣熟航海を行ない10月に母港ノーフォークに帰港。その直後にキューバ危機が発生すると海上封鎖部隊の主力として参加した。64年5月に原子力ミサイル巡洋艦「ロングビーチ」と原子力ミサイルフリゲート「べインブリッジ」を率いて、65日間で世界一周航海を実施した後、最初のオーバーホール。終了後に太平洋艦隊に転属となり母港をアラメダに移した。その際に飛行甲板に乗組員の乗用車などを搭載して航行した。その後ベトナム戦争に参加していく。68年1月に佐世保に寄港する際、反対派と警察が市街戦さながらの激しい衝突となった。直後に日本海でブエブロ号事件が発生すると日本海に緊急展開した。69年1月に艦載機に搭載されていたロケット弾が暴発し、艦尾で火災を起こし死傷者340名の大事故となった。ハワイで修理を行なった直後にEC-121が北朝鮮空軍機に撃墜される事件が発生し、日本海で警戒行動を行なった。70年にオーバーホールと燃料棒交換を行なった後は主にベトナム戦争に参加。74年には当時の最新鋭艦上戦闘機F-14を最初に配備された。「パゴダマスト」と呼ばれたレーダーと一体化した独特の艦橋だったが旧式化したため79年から82年の大改装で撤去された。80年代後半は泥沼化したイラン・イラク戦争の影響で襲撃されるタンカーを護衛する作戦に参加。90年にノーフォークに到着して世界展開を完了。そのまま26年ぶりに大西洋艦隊に転属となって定期修理に入り、飛行甲板を延長した。復帰すると地中海に展開してボスニアやイラクの飛行禁止区域の警戒にあたった。98年11月にはイラクのクウェート侵攻に対するデサート・シールド作戦のためにペルシャ湾に展開し「D・D・アイゼンハワー(CVN-69)」から任務を引き継ぐ。12月には国連の武装解除決議に従わないイラクに対して空爆を行なった。01年9月11日同時多発テロが発生した時、ペルシャ湾からの帰途だったが、反転し戦列に復帰し南西アジアを警戒。10月にアフガニスタンのアルカイダ軍事拠点を空爆しノーフォークに帰還。03年から04年にかけてイラク侵攻作戦に参加した。

64年に放映されたスタートレックに登場する宇宙船の名前はこの空母が由来であり、86年の映画「トップガン」でも登場している。世界で最も有名なアメリカ軍艦である。

3代目は2025年に就役する予定だ


他の交通機関でやった事あるけど

2012-11-04 15:58:14 | Weblog

たった130円で関東一周の旅ができます(ただし、食事代別)(ライフハッカー[日本版]) - goo ニュース

この「グルっと周り」は周回できる交通機関ならば可能。但し車内で検札のある特急列車や降車時に運賃徴収をするワンマン列車の無人駅ではできない。

東京では山手・京浜東北線で、大阪では環状線で、名古屋では地下鉄でやった事がある。

一番楽しかったのはエキナカの発達した東京でつまらなかったのは名古屋だ。名城線が環状運転になったと言うのでやってみたのだが、外の景色は真っ暗だった。

高速道路でもやった事がある。正しくは狙ったワケでなく、別の目的地に向かうつもりで一宮から名神に乗る際に、いつものクセで事務所のある逆方向に乗ってしまった。そこで一宮JCTから東海北陸道に入り、美濃関JCTで東海環状道→土岐JCTで中央道→小牧JCTで名神に戻る事にした。もし途中でバリアや料金所があってもETCなので問題ない。予定を変更して高速ドライブとなった。途中の川島や美濃加茂SAなどで休憩しつつ走った。中央道で事故渋滞の案内があったので、そのまま南下して豊田JCTまで行くことに。この区間を走るのは初めてだった。山間部なんおで、いくつもトンネルを抜けるとかなり高い場所を走行していた。名前は忘れたが小さなPAで休憩した時に名古屋都市部が良く見えた。その後東名に入って名古屋ICに。最初の予定より3時間遅れで目的地に到着した。後日、クレジットの明細を見ると通常の450円だった。

普段は時間に追われて最短コースしか使わない交通機関だが、たまに大回りすると面白い。


nWo (4 life) 始動

2012-10-25 21:35:27 | Weblog

石原都知事が辞任表明=新党結成し、国政復帰へ―維新との連携で「第三極」構築(時事通信) - goo ニュース

東京都の石原慎太郎知事(80)は25日、都庁で記者会見し、次期衆院選に向け、自らが党首を務める新党を結成し、国政に復帰する意向を明らかにした。同日、都議会議長に辞表を提出した。石原氏は、日本維新の会(代表・橋下徹大阪市長)との連携に前向きな姿勢を示しており、民主、自民に対抗する「第三極」の構築を目指す。自身は衆院選に比例代表で出馬する意向だ。
石原氏は「きょうをもって知事を辞職する」と表明。後継に関しては、猪瀬直樹副知事の名前を挙げた。石原氏は現在4期目。任期半ばでの辞任については、「都民は理解してくれると思う。放り出すわけではない」と述べた。
公職選挙法の規定では、辞職の申し出を受けた議長が選挙管理委員会に通知してから50日以内に都知事選が行われる。
国政復帰の理由は、「明治以来続いている官僚制度をシャッフルしないと、国民が報われない。命あるうちに最後のご奉公をしようと思う」などと説明した。新党には、たちあがれ日本に所属する衆参国会議員5人全員が合流する見通し。石原氏は新党への参加者について、「予想外の人もずいぶんいる」と語った。今後、日本維新との連携協議も進める。
石原氏は4月に表明した沖縄県・尖閣諸島の購入問題への対応などを理由に、新党構想に一時慎重な考えを示していたが、結局、同諸島は国有化が決定。今月12日の記者会見では、新党結成の可能性について「あとは私の年齢と健康(次第)だ」などと発言。その後、健康診断の結果に問題はなかったことを明らかにしていた。

nWoは訳せば「新世界秩序」となるが、難しい話ではない。

96年にアメリカのプロレス団体WCWに登場したヒールレスラー軍団の事だ。当初はWWF(現WWE)から移籍したKナッシュ(ディーゼル)とSホール(レイザー・ラモン)。それまで絶対的ベビーフェイスだったHホーガンがボスを務めた。観客を「ゴミ」呼ばわりし、メンバーの試合にセコンドに付いては乱入して相手を打ちのめしダウンした背中に黒いスプレーで「nWo」を書いていった。基本的にはベビーフェイスの正規軍と対立する強敵スタンスだったが、目ぼしいレスラーは黒にnWoの白抜き文字のTシャツを手渡してメンバーに引き込んで行く。王座戦では負けても様々な政治的工作で王座移動を無効して行ったが、そのパフォーマンスが人気になり、nWoブームは全米に浸透した結果、WWFは倒産寸前に追い込まれた。WCWはレスラーに対するギミックやストーリー厳守をしなかったため、人気にあやかろうとするレスラーが続出してnWoは20名を超え飽和状態となったため、98年にホーガンが王座転落で一旦ストーリーを終わらせた。その後、新しいスタンスのストーリーが進行する予定だったが、nWo人気に未練があったWCWはホーガンとナッシュの対立からnWo分裂のストーリーとなり、赤と白のnWoが誕生し所属レスラーの大半がどちらかのチームに属する軍団対抗ストーリーが展開したが、ストーリーはマンネリ化して、アティイテュード路線で息を吹き返したWWFに対して劣勢となった。99年にホーガンと対決したナッシュが自分から負けて赤白が和解してnWoストーリーが終わった。その後は世代抗争のストーリーとなったが、対戦カードのマンネリ化やギミックの陳腐化を露呈し人気が低迷した。原因はnWoをヒットさせたフロントやベテランレスラーだけに与えられた演出権で、それに不満を持つ人気のある中堅レスラーが離脱してしまった事にあった。99年にはnWoを打ち出したフロント責任者が業績不振で解雇された。WWFから来た新しいフロント責任者は昨年までのWWFの焼き直しストーリーしか描けない一方で、レスラーの演出権を剥奪しようとしたたえめ今度は現場とフロントが対立する事態になり、00年解雇した元フロント責任者が復帰したものの、団体はさらに混乱して巨額の赤字を生んだ。01年に親会社のタイムワーナーはAOLとの合併前に赤字子会社の整理を発表。ベンチャー企業との売却交渉に入ったが、WCWを中継していたTV局のTBSが中継打切を決定したため決裂。ライバルのWWFに買収され、消滅した。

nWoは日本のプロレスの軍団抗争がヒントになったと言われる。最初の成功で発案者らに権限を集中させ過ぎ、不満分子を切り捨てた結果、観客も離れてしまい、nWoが元でWCWは買収・消滅したとも言える。

政治とプロレス同じには語れないが、石原知事や橋下市長のアイデアが仮に成功しても、彼らに権力を与えすぎると、間違った道に進んでも誰も止められない。

彼らは末期のnWoと良く似ていると思う。ギミック(=アイデア)は良いがストーリー(=行程)がしっかり描けていないし、石原さんの年齢では(申し訳ないが)ストーリーを描き切れないだろう。