ピンクが似合う新型クラウン…購入層若返り狙う(読売新聞) - goo ニュース
You called, my lady?(お呼びですか?お嬢様)
(Yes,Parker, Get the Rolls Royce. We're going for a little drive.(ええ、パーカー。クルマを回して頂戴。ちょっとお出かけしましょう。)
場面が変わり、バブルキャノピーの6輪のロールスロイスが登場。するとフライングレディーのフロントグリルから機関砲がせり出して、前方を走るパトカー(悪人フッドが逃走中)を破壊する。
60年代に放送された人形劇「サンダーバード」第1話のクライマックスシーンだ。
サンダーバードを制作したジェリー・アンダーソンがロールスロイスを劇中に登場させたいと同社に要請した際に出された条件は「呼称は『クルマ』ではなく、ロールスロイスとする事」だった。しかし日本では最初に放映したのがNHKだったので「クルマ」となった経緯がある。なお日本語版でペネロープの声を担当したのは黒柳徹子だ。サンダーバードは日本でも人気となり、登場するメカのプラモデルが発売されたが、ペネロープ号も人気モデルだった。サンダーバードは世界でヒットしてロールスロイスの認知度も広まった。ロールスロイスはジェリー・アンダーソンの新しい作品「U.F.O」(邦題:謎の円盤UFO)の第1話で最新型のリムジン「ファンタム」の使用を許可した。
ニュース番組でピンクの新型クラウンをテレビで見た時にまずこのペネロープ号を思い出した。カッコが良いか悪いか?は別にしてインパクトはある。
ピンクの高級乗用車と言えばもう1つキャデラックを思い出す。ピンク・キャデラックはエルビス・プレスリーの愛車でスターとなって初めて購入した55年型が最も有名で現在もプレスリー記念館であるグレイスランドに展示されている。ピンク・キャデラックはアメリカンドリームの象徴であり映画や音楽にも沢山登場する。
ピンクは別にして『14代目クラウン』のフロントスタイルに新鮮味は無い。フロントグリルがバンパー下まで一体で伸びる面はアウディがやっている。89年の初代セルシオが「三河産シュツットガルド製品」だったが、このクラウンは「三河産インゴルシュタット製品のFR版」に見える。シャシーは先代から受け継ぎ、ボディデザインとエンジンを全面刷新したモデルで、PCのOSで言えばWin7みたいなモデルだ。
大きく変わったのがエンジンで67年まで生産されたS4系以来45年振りとなる4気筒エンジンがハイブリッド用に登場した。ハイブリッドの形式はスプリットと変わっていない。現行モデルのハイブリッドを運転した事があるが、やはり重たいのだろうか?プリウスと違いアクセルを踏むとエンジンが直ぐにかかった。この方式ではバッテリーやモーターのスペースが必要なので、V6エンジンを直4に小型・軽量化するしか手が無かったと言う事だろうか?
クラウンは国際化とともに発展していったクルマの中で日本市場だけで独自進化をしてきた「ガラパゴス製品」でもある。初代RSと2代目S4の一部が輸出・ノックダウン生産された以外、11代目の17系まで国内専売だった。メッキパーツで飾られたボディーはキャディーやリンカーンとも違う雰囲気で「走る北島サブちゃん」。これはライバルのセド/グロも同じだったが87年に登場した7代目Y31でスポーティモデル「グランツーリスモ」が登場してポップスやジャズ、ロックも歌った。これに対抗してクラウンも89年に13系で「アスリート」を特別仕様として販売したが、サビの部分でコブシを回してしまったのか?人気とはならなかった。
もうひとつのクラウンの特徴が保守的な作りだ。国産車の多くが生産性向上と軽量化のためにフルモノコックになって行く中でクラウンは13系までフレームボディだった。91年発表の14系で新設された最上級の「マジェスタ」がフルモノコックとなり、95年発表の15系で全車フルモノコックとなった。これによって車重が100キロ以上軽くなり「頑丈だが重いクラウン」のイメージが無くなった。エンジンに関しては71年のS6系から直列6気筒を続けてきた。セド/グロが83年にY31系でV6に切り替わったのに対して、クラウンは03年の18系でV6に切り替わった。
クラウンやセド/グロは元々、社用車や公用車と言った「ショーファー・ドリブン」だった。モータリゼーションが発達して輸入車にほぼ独占されていた高級車市場に切り込むため、3代目のS5系で2ドアHTを追加している。(この型までは他にもワゴンやバン、ピックアップトラックもあった)セド/グロも追随し71年発売の230系で2ドアHT、さらに72年には4ドアHTを追加して人気を得た。クラウンも74年のS8系で4ドアHTを追加したが、セド/グロのサッシュ&ピラーレスに対してサッシュレスのみだった。83年のS12系で2ドアHTが廃止された後もサッシュレスの4ドアHTはセダンが分離された95年のS15系まで続き、17系でセダンとなった。なお分離されたセダンモデルは95年にX80系マークⅡを流用し5ナンバー枠に収まるタクシー・公用車専用モデルS10系クラウン・コンフォートが発売された。01年にS15系セダンが生産中止となり、コンフォートと共通となった。
クラウンに対するトヨタの保守的な姿勢は「クジラの悲劇」の影響が大きい。71年に発売されたS6系クラウンがパーソナルカーのイメージを意識して世界的に流行していた紡錘型デザインを採用した。ところがその重厚感の少ないスタイルと見切りの悪さから販売不振となり、73年にメッキパーツを多用した大掛かりなマイチェンを行なったが効果は薄く、ライバルの230系セド/グロに販売台数で負けた。V6エンジンを搭載し、主力車種をロイヤルからアスリートに変更した18系発表の際はライバルのセド/グロが「フーガ」に代わり、Eセグメントの世界戦力車になる事が決定し、直接のライバルでは無くなっていた背景がある。
トヨタの目論見では購買層の若年齢化を図るらしいが、果たしてどうだろうか?販売台数は「例の号令」さえかければ何とでもなる。ヒット作と言われるハチロクが良い例だ。「AE86の再来」と謳っていたが、試乗した感想はAE86の腰高感や小回りの良さは無く、S14系シルビアの再来と言った感じだ。街でたまに見かけるようになったが、多くは若いドライバーではなく、自分と同じ中年オヤジだ。