MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

#2009 政治に民意が反映されない(と感じる)のはなぜか?

2021年11月06日 | 政治


 自民党総裁選に勝利した岸田文雄氏が10月4日、国会で第100代首相に指名され、岸田内閣が発足しました。

 岸田総理大臣と20人の閣僚の平均年齢は61.81歳で、去年9月に菅内閣が発足した際の60.38歳より、1.43歳、高くなりました。最高齢は金子原二郎氏と二之湯智氏で77歳、最年少は牧島かれん氏で44歳と、「老壮青」のバランスを重視したのが特徴だと言われています。

 岸田内閣の閣僚を年代別に見ると、70代が2人、60代が12人、50代が5人、40代が2人で、うち初入閣が13人。安倍内閣で初入閣が最も多かった一昨年安倍改造内閣と並ぶ規模となり、そういう意味では自民党にも世代交代の波が訪れていると言えるかもしれません。 10月31日に投開票された第49回衆議院議員総選挙は、結果として自由民主党にはやや厳しいものとなりましたが、個別に見れば今回も97名の初当選議員が生まれています。

 政治と権力闘争はカードの表裏のようなもの。議員になったらなったで「雑巾がけ」もいとわず期数を重ね、より将来につながるポストの獲得に彼らも汗水流さなければなりません。多くの貸し借りを作りながら大臣を目指し、さらに総理大臣を目指す新たな戦いが始まったということでしょう。

 議員の序列には、年齢は無関係。当選回数だけがものをいう世界だというのは広く知られたところです。同じ当選回数の議員は「同期」と呼ばれ、同期の中でいかに早く出世するかが将来の明暗を分けることになる。一方、地盤・看板・かばんの三バンを備えた二世・三世議員はこうしたせめぎ合いにおいても発射台が高く、政務官→副大臣→大臣と、優先的に道が開ける場合などがあるようです。

 政治の世界を(少しでも)覗いたことのある人にとっては半ば当たり前のように見えるこうした状況について、在ワシントンのジャーナリスト冷泉彰彦氏が10月27日のニュースサイト「Newsweek日本版」に、「衆院選、民意の敵は党議拘束と当選回数」と題する興味深い論考を寄せているのでここで紹介しておきたいと思います。

 議会など廃止すべきで、ネットを利用した直接民主制が理想だなどという言論が流行した時代があった。確かに近年のデジタル技術の発達はガバナンス手法も可能にしたが、その一方で(その時々の)「民意」を唯一の拠り所とする直接民主制は、極端な減税とバラマキの双方を可決して国家を破綻に追い込み、最後にはポピュリズムが暴走して外部に敵を求めて戦争に訴え、本当に国を滅ぼす危険が予想されるなど、機能不全の問題を抱えていると冷泉氏はこの論考に綴っています。

 そんなわけで、民意と政策の間に代議員をはさむ間接民主制が「当面はベスト」という理解は揺らいでおらず、今回の衆院選もその間接民主制という思想のもとに行われている。しかし、有権者の間には、代議員、つまり国会議員を通じて民意が政策に反映されているという実感は弱いのではないかというのが氏の指摘するところです。

 それは何故か。具体的に言えば、例えば特定の小選挙区において、ある候補者がその選挙区の民意を受けて独自の政策を訴え、その選挙区の民意を代表して国会に登院したからといって、その政策を実現することはまず不可能だというのが氏の認識です。

 どうしてかというと、各政党には党議拘束というのがあって、法案の採決の際には党の決定に従わなくてはならないから。党の決定、つまり党議に違反すると懲罰を受けることになり、反対票などを入れたら除名にさえなりかねない。選挙区に強い反対論があるなどの理由でどうしても反対したい場合でも、せいぜい投票を欠席したり、棄権したりして処分を軽くしてもらうくらいしか方法はないということです。

 では、その党議というのは、どうやって決定するのか。党がまとまって行動する際の党議は、党内の序列によって権力を得た集団が決定すると冷泉氏は説明しています。そして、その党内の序列は、例外はあるものの(多くの場合)当選回数によって決まってくる。それは与党自民党だけの問題ではなく、日本の場合は少数政党でもこうした形での党議拘束は非常に強くなっているということです。

 候補者は、選挙運動の際にはそれなりに自分の言葉で、選挙区にアピールする発言を行い、その選挙区の民意を代表して国会に行くようなことを口にする。ところが一旦当選して議員バッジを身に着けると、選挙区の民意はどこかへ消えて「単なる一票」というモノになってしまうと氏は言います。

 部会とか研究会とか派閥の会合など、それなりに(若手議員にも)発言や意見交換の場はあるとしても、それは基本的に密室のコミュニケーションであり、基本的には当選回数の多い高齢議員がその発言力を行使しているに過ぎない。若者や女性など少数者の民意がほとんど国会に届くことがないのはそのためだということです。

 言うまでもなくこのシステムは、その選挙区で、その議員を選んだ有権者の民意を全くリスペクトしていない。党議拘束と当選回数の序列がある限り、選挙区の民意はダイレクトに国会に反映されないというのが冷泉氏の見解です。

 例えば、アメリカの場合、当選2回で弱冠31歳のアレクサンドリア・オカシオコルテス議員が下院民主党左派の実質リーダー格として国政に大きな影響力を行使していると氏は言います。これなどは、(巨大なミレニアル世代に支えられている部分が大きいとしても)党議拘束と当選回数序列がないという制度を前提としての現象だということです。

 もとより、議院内閣制を採る日本の場合、大統領と議会が分離しているアメリカと同じ土俵で議論するわけにはいかないという意見はあるだろう。総理大臣指名選挙や予算や重要な条約の批准などには強めの拘束もしかるべきだとは思うと氏はしています。しかし、それ以外の法案に関しては、法案の性格によって党議拘束に強弱をつけるべきではないか。また、党議そのものの決定も(重要法案については特にそうだが)、密室でなく党内での投票を行うとか、党内の少数意見を公開した上で決定プロセスを可視化して有権者の納得感を高めるなどの工夫が必要ではないかと言うのが氏の見解です。

 議員の意思を縛る党議拘束が乱用されている限り、日本の代表制民主主義は本来の機能を発揮することができない。党議拘束と当選回数による序列というガバナンスの手法は、各政党が自己改革をすれば実現できる問題であり、今回の選挙を機会に、この問題への関心が高まることを期待したいと話すこの論考における冷泉氏の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿