MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯180 「中二病」って何?

2014年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

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 「2ちゃんねる」などのオープンフィールド系のWebサイト(電子掲示板)などで用いられるインターネットスラングに、「厨房(ちゅうぼう)」という言葉があるようです。

 一般的に「厨房」は、言うまでもなく宿泊施設やレストランなどで食事や料理などを作るためのスペース、いわゆる「調理場」を指す言葉です。一方、現在のネット上で「厨房」と言えば、インターネット上で自分を誇張したり自慢をしたりというような幼稚な行動を行う者の「蔑称」として定着しているということです。

 ググってみたところ、もともとネット上では、中学生のように自己主張の強い(幼稚な)発言や行動を繰り返す者に対して、「中学生」を指す俗語である「中坊」(中学坊主もしくは中学坊やの略)という言葉が使われていたと言います。これを、日本語変換システムによる誤変換を「隠語」として用いることを好むアンダーグラウンドのインターネットユーザが「厨房」と変換して用いるようになり、気が付けばこちらが一般化して普及するに至ったということでした。

 Wikipediaによれば、コンピュータに興味を持ち始めた(大人になりかけの)中学生のような幼い「ネットワークコミュニティをかじり始めた者」が荒らしやハッキング、クラッキングなどを覚え、得意げにそれらの行為を繰り返すという「スクリプトキディ」を批判する立場から、精神的に幼稚な投稿者に対して投げかけられる言葉が「厨房」だということです。最近では、「厨」や「房」などと略して用いられることもあり、「馬鹿」などと同じように、相手を罵倒する言葉のひとつとして非常に広い意味で、また軽く用いられているとありました。

 この「厨房」から発展した言葉として、最近では「中二病」という用語も一般化しているようです。「中二病(ちゅうにびょう)」は、もともと「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する言葉でした。そしてこれが転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄するネットスラング(←Wikipedeia)となり、自分を大人に見せるために背伸びするNet上の言動を中傷する場合に用いられているということです。

 思春期の少年が陥りがちな「自己愛」に満ちた空想や嗜好などに対する蔑称として、特に創作物の評価において「身の丈に合わない壮大すぎる設定や仰々しすぎる世界観を持った作品」、ひいては「非現実的な特別な世界観や設定そのもの」を揶揄・否定するネットスラングとして定着しているとネット上の解説にありました。

 「厨房」は、「中学生みたい」という「誰もが通る道」として扱われていた存在でしたが、「中二病」ではさらにこれが「病気」として位置付けられ、健全ではない存在としてその場から排除するための、ある種の「レッテル貼り」として使われるようになったということなのかもしれません。

 関東学院大学教授の新井克弥(あらい・かつや)氏は、4月9日の自身のブログにおいて、この「中二病」の病態を「自己顕示欲が肥大化した状態」と総括しています。中学2年生くらいになると世の中についてのある程度の認識が生まれ、それに対して自ら思考したり行動したりすることが出来るようになる。それまで(の「子供」の時代)と異なり、社会が見えたり、社会に対して批判的態度を取ったりということが可能になる。そして、「自我」が目覚め、感覚ではなく理屈で関係性を捉えるできるようになるという認識です。

 ただし、この時期における社会に対する「理解」は、決して相対化された普遍的なものではないと新井氏は言います。この時点で少年達は社会に対して「物言う武器」を一つ獲得したに過ぎない。しかし、彼らは(多くの場合)その武器が使えると思うことで自らが「万能」であるような錯覚に陥るという指摘です。

 そうした「中二病」について、現在の日本のNet社会において一定の影響力を持つ動画サイト「ニコニコ動画」の投稿者が運営する「ニコニコ大百科」に、(当然、Net住民へのアイロニーを込めて)次のような「治療上の注意」が掲載されていたのでここで紹介しておきたいと思います。

 慢性化した「中二病」の場合、自らに対する万能感が理想の自分像として具体化しているケースが多いと「ニコニコ百科」では解説しています。そうした「中二病」は通常、社会や他者との関わりの中で理想と現実の溝が埋まっていくことで「自然治癒」していくことが多いと考えられています。

 しかし、症状が強い場合の「治療法」としては、急に現実を見せ付けるのは大変な危険を伴うと「ニコニコ百科」は特に指摘しています。「中二病」の患者達は「理想の自分」を守るためにヒステリーを起こし、最悪の場合社会との関わりを絶つ可能性がある。社会のありようを、徐々に自分で気付かせるよう特に心がける必要があるという注意です。

 Net環境の広がりにより顕在化したとされるこの「中二病」。シンプルな価値観が広がりを見せ世の中から「大人」がいなくなったとされる現代において、果たしてその症状が「成長過程」にあるからなのかそれとも「病気」なのかは、なかなか分かり難くなっています。

 「思い通りにならない」という苛立ちがどこか一つの方向に向う時、思いつきが観念に変わり、観念が妄想に変わり、妄想が行動に変わるというのは、幼い知性のもとではよくあることかもしれません。自分勝手な「欲求」と現実の「大人の社会」とのギャップを埋めていくのは様々な経験を積むこと以外にはないという指摘もあります。

 「子供」から「大人」に成長していく過程においては、それなりのイニシエーション(通過儀礼)が必要になるということでしょうか。
「中二病」を克服し、他者の考え方に寄り添うことができる「大人」になるためには社会の中で「もまれる」経験が必要で、周囲の人間はそれを温かく見守ることが大切だとする「ニコニコ百家」の記述を、この機会に改めて興味深く読んだところです。

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1 コメント

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自然数の本性 (√6意味知ってると舌安泰)
2022-10-13 19:10:43
≪…「子供」から「大人」に成長していく過程においては、それなりのイニシエーション(通過儀礼)が必要…≫だが、数の言葉ヒフミヨ(1234)そのモノには、崩れない「精神」(魂)がある。
 「大人」は、この【精神】を事象のインプットとアウトプットに適合させる天才となりつつなってしまう虞れが・・・
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