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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2828「コンプライアンス」とは何か?㊦

2025年05月19日 | 社会・経済

 振り返れば21世紀の初めの頃。バブル経済の崩壊を経験した日本で、旧来の構造を打破して市場競争の活力を高めていくことを目指し進められたのが「構造改革」。2000年に閣議決定された行政改革大綱で示された、「国民の主体性と自己責任を尊重する観点から、民間能力の活用、事後監視型社会への移行」のために設けられた新しいシステムが「コンプライアンス」(の考え方)だったと、成蹊大学教授の伊藤昌亮氏は3月14日の日本経済新聞のコラム「経済教室」に記しています。(『コンプライアンスの現在地 「自ら律する」に立ち返れ』)

 さて、それから約四半世紀が過ぎた今、われわれは本当に(制度が担保するとされる)「自由」と「自律」を手にできたのか。残念ながら、そうした見方は少ない。むしろ、「コンプライアンスのせいで窮屈になり、不自由になった」という見解のほうが多数派だろうと伊藤氏はこの論考で指摘しています。

 理由の一つは、この概念の内実が変化したこと。もともと、このシステムにより防ぐべき問題として想定されていたのは、贈収賄、談合、不正会計、品質偽装などの経済活動に伴う不正だった。しかし10年代になると、むしろ文化的な側面が強まってきたと氏は説明しています。

 とりわけDEI(多様性・公平性・包括性)に関連し、セクハラ、パワハラ、差別発言、差別表現など、人権に関わる不祥事が問題とされることが多くなった。これにより「経済活動に伴う不正をいかに防ぐか」という実利的な観点から、「人権に関わる不祥事をいかに避けるか」という社会的な観点に人々の関心がシフトし、いわばこの概念の「文化化」が進むことになったというのが氏の認識です。

 さらにその過程において、文化化はコンプライアンスに「大衆化」をもたらした。経済活動の問題は基本的に専門家にしかわからず、利害関係者にしか影響を持たない。一方、人権上の問題は誰にでも関わりがありしかもわかりやすい。そのため、一般の人々がさまざまな案件に口を出し、コンプライアンスの裁定者として振る舞うようになったということです

 そして、この状況をさらに促進したのがSNSだったと、氏はここで指摘しています。10年代に爆発的に普及したSNSは、人権侵害としてのコンプライアンス違反を人々が摘発し、糾弾するための装置となった。著名人の不規則発言やテレビCMの差別表現などで次々と炎上が起き、ときに過剰なまでのバッシングが繰り広げられたということです。

 そうした中、監視の実態も(現実に対応する形で)変化していった。コンプライアンスのための監視とは元来、自分で自分を監視することだったはずだが、SNSの普及とともに、それは人々の目で絶えず監視されていること、すなわち「衆人環視」を意味するものへと変わっていったと氏は話しています。

 そこでは自律的な価値判断より、他律的な状況判断が優先される。組織は炎上を恐れ、自分だけで自分を律することが困難となった。その結果、自由と自律のためのものだったコンプライアンスは、逆に、他律と不自由を強いるものになってしまったということです。

 こうした変化の結果、今日ではコンプライアンス概念は元来の意義が忘れられ、半ば空洞化・形式化してしまったというのが氏の指摘するところ。必要性がこれだけ叫ばれているにもかかわらず、企業の不祥事が後を絶たないことにも、そのような点が表れているのではないかと氏は懸念を表しています。

 一方、氏によれば、(ただし)根本的な問題は「文化化」そのものにあるわけではないとのこと。問題はむしろ「大衆化」のほうで、自律的な主体としての判断力や統治力を、組織自体が失ってしまったことにあると氏は見ています。匿名性を帯び、(扇動に乗って)時に無責任な集団と化すこともある大衆を恐れるあまり、過剰な自己規律に陥ったり「外からどう見られるか」を気にし過ぎ、「自らの中の価値観を確かなものにする」という姿勢を忘れてしまっている組織もあるということでしょう。

 繰り返すが、本来、コンプライアンスの本旨は組織が自らの手で自らを監視するということだと氏は言います。コンプライアンスを「他律的」なものだと考えている組織に、コンプライアンスは機能しない。だとすれば、今、私達に求められているのは、世間の動向にいたずらに振り回されることなく、コンプライアンスの本来の意義である、「自由と自律のためのもの」だという理念を取り戻すことなのではないかと話す伊藤氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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